3-18 除幕
〇〇〇
荒れ果てた荒野を一人の男が進んでいく。何処かで拾ったのだろう棒切れを杖がわりに体を預け、今にも押し潰されてしまいそうな重たい鞄を担ぎながら歩いていく。
「ぜぇ……はぁ……ッ」
息も絶え絶えに何とか歩いていた男だが、途中で力尽きてしまったのだろう。バッタリと地面に倒れ込んでしまった。
苦しげな男の呼吸音が風の吹き抜ける荒野にこだましていた。
するとそこへ、一人の少女がやって来る。背中には大きな白い羽根が生えていた。
まるで神話の世界で暮らす天使のような姿をした少女は倒れた男の元まで歩み寄ると、未だに呼吸が整わない彼を不思議そうに眺める。
体を左右に揺らして角度を変えてみたり、頭の方を覗き込んでみたり。
「死んでる?」
「……そんな訳、ないだろう」
頭上から降ってきた問いかけに、男は苛立った声音で返事をした。返事が返ってきたことに驚いたのか少女は「わぁー!」とわざとらしく両手を上げる。
「旅人さん、旅人さん。何処に行くの? 何しに行くの?」
「……うるさい」
「何よもう、つれないなぁ。折角三日と十三時間二十三秒振りに人と会えて、こっちは天にも昇る思いなのに」
「そんな事より、み、水……」
「ミミズ?」
「そうじゃなく、て……水を、水を分けてくれ……」
息も絶え絶えに訴えかける男。対照的に少女の顔はパッと明るくなった。
「良いわ、お水ね。私の分を分けてあげる。ただし、交換条件ってのは如何?」
「何でも良いから……早く水をくれ……」
「せっかちな旅人さんね。でもこれで交渉成立。はい、どうぞ」
そう言うと少女は男に懐に下げてあった水筒を手渡した。少女の手からそれをひったくると、男は慌てた様子で中身を喉に流し込む。
恐らく八割方入っていただろう水を全て飲み干すと、男は深く息を吐き出した。
「ぶはッ……い、生き返った」
「それを飲んだってことは、私のお願い聞いてくれるのよね?」
ヒヒヒと、少女は肩を竦めていたずらに成功した子どものように笑っていた。
「ねえ旅人さん。わたしの事をある場所に連れて行ってくれない?」
「は?」
「わたしの大事な大事なお水、一滴残らず飲み干したんだから。連れってくれるわよね?」
「……」
少女の言葉に男は空になった水筒を見下ろした。確かに、ここで彼女の願いを全く聞き入れないと言うのも人としてどうなのだろうか。
「一つ訂正しておく。私は旅人ではなく科学者だ。目的があって旅をしている以上、君の望みを叶えられる保証はない」
「聞くだけ聞いてくださいな。水ならここから一キロも進めば川があるからまた汲み直してくれば良いだけの話だけれどね」
「な……ッ、川なんてあったのか……!」
「お兄さん旅慣れしてない様子ね。それならわたしがいれば一石二鳥じゃないかしら? わたし、こう見えて放浪歴が長いから、連れて行けばそれなりに使い物になると思うのだけれど」
「それで、お前が向かおうとしてるのは何処なんだ。旅に慣れているのなら、自分でそこまで行けば良いだろう」
「それがそうも行かないの。あの街って人の出入りに凄く厳しいらしくて、若い女が一人で入ったりとかだと、審査に弾かれてしまうらしいのよ」
少女の言葉に男が怪訝な顔をする。
「お前の目的地ってまさか……」
「知ってるの? 城壁都市シンジュク! あそこに、大きな劇場があるんですって。私そこで歌手に……」
「ダメだ!」
夢を語り少女が目を輝かせるものの、その光は直ぐに男の怒声によって掻き消されてしまった。
「私はシンジュク出身の科学者だ。幻想症候群の治療法を探して夢想人、つまり発症者を元の人間に戻すべく、故郷を捨てて旅に出てきたんだ」
なんと、少女の目的地は男の故郷だったのだ。
その事実に少女は目を輝かせるものの、男の表情は険しかった。
「話が早いじゃない。連れて行ってよ、貴方の故郷に」
「ダメに決まっているだろう! 夢想人であるお前を街に連れ込めるか。あの街は外界との接点を極力持たずに長らく日の当たらぬ場所で独立した統治を続けている。だからこそ、あの忌まわしい病の発症者を殆ど出さずに済んでいると言うのに! お前を連れ込んでパンデミックにでもなったらどうなる? 街が一つ消えかねない!」
険しい表情で捲し立てる男を少女は静かに見上げていた。
「お兄さんはこれ、病気だと思ってるの?」
「病でなければ何だと言うんだ。発病した人間の体がある日突然人外のものへと変容していく。……幻想症候群はこの世で最も忌まわしく、悍ましい病だ」
「わたしだって羽根生えてきた時にはびっくりしたけど。それ以外に困ってることなんて何にもないわ。ちょっとなら飛べるし、結構便利よこの体」
「人間が人間じゃなくなっているのに何を言ってるんだ君は」
「わたしは別に人間のままよ。ちょっと背中から羽根が生えてるだけ。でもまあ……そうだな。やっぱりお兄さんに着いていくのが良さそうね」
少女の言葉に、男は眉間のシワを深くしたまま次の言葉を待った。彼女はクルクルと体を回転させた後でパンっと手を叩くと男と向き直る。
「わたしのこれ、治し方が分かったら一緒にシンジュクに行けるって事でしょう? だからお兄さんの目標が達成されるまで、旅に着いて行こうと思うの」
男は最初、少女の誘いを断った。しかし水場の確保すらまともに出来ない科学者の彼に一人旅は難易度が高く、結局少女の誘いに乗る以外に選択肢は無い。
「まあ、実際の発病者が近くにいれば、記録を取るにも困らないか……」
「そうそう、お互い良いこと尽くめよ。旅は道連れ渡る世間は鬼ばかり」
「いや違うだろ」
「かくして、幻想症候群の謎を追う男と、夢想人の少女は互いの目的のために行動を共にする事となったのであった。続く……」
「何を言ってるんだお前は……」
「そう言えば自己紹介もしてなかったわね。わたしモネット。お兄さんの名前は?」
「……シオンだ」




