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3-15 突拍子も無い提案



「合格……ッ!」


 いや、何が?

 そう問い掛けるよりも先にバニラに手首を掴まれた。


「え、バニラ……ちょ……ッ⁉︎ ええぇぇぇ?」


 そしてそのまま声を掛ける暇も無く、ズンズンと何処かに向かってバニラが歩きしてしまった。チロルは為す術なく引きずられていってしまう。流石は獣人、凄い力だ。


「フラン、チロルイケるぞ!」

「だから待ってよ何の話……、……っ⁉︎」


 チロルが連れて行かれたのは先程後にしたばかりの医務室だった。

 チロルを引き摺ったバニラが勢い良く中に入ると、その先には怪我をしたフラン、医者であるルニアン、それから座長であるギムの姿がある。

 フランのベッドの傍にギムが控えており、ルニアンはその奥で我関せずと茶を啜っていた。


「やっぱりね、チロルちゃんなら大丈夫だと思ってたわ!」


 何やら嬉しそうにフランが微笑んでいるものの、チロルの頭上にはクエスチョンマークが浮かぶばかり。


「なあ、ギムさん良いだろ? これっきり、これが最初で最後のチャンスなんだ」

「……?」


 バニラが何やら真剣に訴えかける先で、ギムが渋い顔をしている。

 やっぱり訳が分からないと困惑しているチロルにフランが笑顔をこちらに向けてきた。


「わたしの代役、チロルちゃんに任せたいの」


 フランが何を言っているのかチロルは直ぐに飲み込む事が出来なかった。


「何を言って……」


 目をぱちくりさせたまま、口を半開きにして呆けている彼女の背中をバニラが力強く叩いた。


「うちはそもそも人材が厚い訳じゃない。代役を立てられるのだとしたら、チロルしかいないと思う。お前、『モネット』の台本全部頭に入ってるよな?」

「そりゃ、覚えてるけど……」

「ほらギムさん、やっぱり他にいないですよ!」

「そうですよ座長さん。わたし、チロルちゃん以外に代役は任せられません。それにこれだけ成功した『モネット』が、楽ステ出来ずに終わってしまうなんて耐えられないわ!」


 チロルを置いてきぼりにして、ギムを説得するバニラとフランに熱が入る。何が起きているのか彼女には全く理解が出来なかった。


 代役?

 何の事だ。まさか今日の公演の?


 バニラとフランはモネット役としてチロルを舞台に上らせようとしているのか。


(いやそんな馬鹿げてる。だって開幕は夜、それまで十数時間しか残されてないんだぞ。それに、それに……)


 ギムを説得しようとバニラ達は必死に言葉を並べて立てている。その様子を一歩下がった所から見ていたチロルだったが。


「待って!」


 気が付いた時には声を張り上げていた。


「無理だ。時間が無い。ボクじゃ代役なんて務まらない!」

「何言ってんだ。お前だったら台本だけじゃない、キャストの立ち位置から照明の当たり方、全部頭に入ってるだろ」

「それはそうだけど、そうじゃなくて……」


 心の内側がざわついて、言葉が絡まりそうになる。気持ちを落ち着けるように深く息をた吐き出した後、彼女は付き物が落ちたかのような表情で、静かに微笑んでいた。


「ノルマレのボクが、舞台に立っちゃダメなんだ。ボクは人間なんだぞ!?」

「チロル……ッ」

「バニラだって! 忘れてないだろ、エマが起こしてしまったあの事件! 獣人達に根付いた厭悪……ここは、家族にとって守られるべき場所なんだ。それを、ボクの身勝手で壊しちゃいけないんだよ!」


 もうあんな思いはたくさんだ。自分が夢を押し殺す事で誰かを救えるのなら、なんて安い代償だろう。家族がいて、ここにいる事は許されていて。これ程幸福な日々に水を差す必要なんて無い。

 必死にチロルが訴えかける。するとバニラとフランは困ったように顔を見合せた。

 そんな顔しないで欲しい。自分がこれまで積み上げてきた覚悟を、まるで子どもの我儘を見るような目で見ないでくれ。


「なあ、チロル。お前がいっつも獣人である家族達の事を思って行動をしているのは分かってる。だがなぁ、兄貴が妹の夢を応援すんのは、そんなにいけない事なのか?」


 膝を折り、視線を合わせ。手を握りながらそう問い掛けてくるバニラの姿にチロルは言葉を詰まらせた。


「それともなんだ、お前さんは嫌なのか。お前が舞台に上がりたく無いってんなら、今日の楽ステは中止にする」


 右手を包み込むバニラの手はチロルのそれとは大きく違う。ふわふわの毛に包まれていて、少し硬い肉球があって。よく手入れされた大きな爪が生えている。


 小枝のように細い自分のそれとは全く違う、小さな頃からチロルを慰めて励まして、引っ張ってきてくれた兄の手。とても温かい。

 その温もりが、チロルの中でずっと蓋をしていた感情を爆発させる。


 言うな、言うなと自分の中で自分が叫んだ。

 認めてしまったらきっともう我慢なんて出来なくなる。積み上げてきたものが一瞬で崩れてしまう。

 分かっているはずなのに、こちらを見て優しげに微笑むバニラの前で嘘は付けなかった。


「嬉しくない訳無いじゃないか……だって、だって! ギムがシルクスを立ち上げたあの日からずっと、ずっとボクは……舞台に立てる日を、シルクスの舞台を夢に見て来たんだから……!」



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