3-14 予期せぬハプニング
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チロルの懸念とは裏腹に、奇妙な男からの接触はあれ以降一度もなかった。
念の為ギムに報告は行い、それらしい不審人物が周囲を彷徨いていないか警戒をしてもらうよう頼んだものの、特に何かが起こる訳でもなく、シルクスは着々と公演の日程をこなしていった。
その間にも来場する客の数は増え続け、このタカウマノマチ周囲に限定すれば、いつの間にかシルクスはエトワールと並ぶ話題の劇団としてヒト々の間で広まっていっていた。
当初懸念されていた目標収益も早い段階で達成され、まさに順風満帆。
このままこのマチでの公演は無事に幕を下す事が出来るだろうと誰もが思っていた最中、とある事件が発生してしまう。
調子が良いと気が緩んだタイミングで、そういうものは顔を覗かせてくるのが定石だった。
「フラン!」
その知らせを聞いたチロルは、下処理途中の玉ねぎを放り出し医療テントへと駆け付けた。
チロル同様に慌ててやってきた団員達で中はごった返しており、その真ん中にはベッドに腰掛けたフランの姿が遠くに見える。
「あらチロルちゃんまで。もう、皆んなしてそんなに詰め寄らなくても大丈夫よ?」
そう言って笑う彼女の額には包帯が巻かれており、更に腕にはギプスがはめられている。
怪我を負ったフランの姿に、チロルの表情がサッと青ざめた。
「誰が……どうしてそんな……ッ!」
まず初めにチロルの頭に浮かんだのは彼女が最悪の暴力に晒されてしまった可能性だった。獣人は、例え印付きであろうとも理不尽な拳に晒されやすい。
だがそんなチロルを「大丈夫だから落ち着いて」とフランが宥める。
「今日は楽ステだから気持ちがソワソワしちゃって。早起きして朝の空気を吸おうとしたんだけど……」
一座の生活区を抜けて散歩をしていたところ、フランは背後から何者かに襲われ、階段から突き飛ばされたそうだ。
現在チロル達が滞在しているメヤマ跡地は元々庭園として作られている場所であるため、順路のようなものが残されている。その過程にある石造りの階段に差し掛かったところで、背中を強く押されたそうだ。
「受け身を取り損ねて腕を怪我しただけで済んだんだけれど……」
「安静にしてれば時期に良くなるよ。ただ……今日の公演は、残念ながら立てないね。我慢なさい」
シルクスの専属医であるルニアンはそう言って掛けていたメガネのブリッジを指で押した。
今日は『モネット』の最終公演。タイトルにもなっているモネット役のフランが舞台に立てないとなればとても幕を上げる事は叶うまい。
その事実にチロルは少なからずショックを受けた。シルクスを守りたい一心でバニラと共に書き上げた脚本。その千秋楽を見届ける事はもう叶わない。こんな形で終わりを迎えるなんて。そんな思いに眉間にシワが深くなる。
「はいはい、怪我人がいるテントに大勢で押し掛けない! 今日どうするのかは外で話し合う! 皆んながいてもフランの怪我が治る訳じゃないからね!」
そう言って見舞いにやってきたメンバー達は皆んな医務室の外に押し出されてしまった。
医務室の外をとぼとぼと歩いていると、チロル同様知らせを聞いて飛んできたのだろうオルトと目が合う。
「フランさん、大丈夫でしょうか……」
「ルニアンが大丈夫って言ってたから、多分怪我は問題無い。フラン自身ケロッとしてるみたいだしメンタル的にも問題は無さそうだ。あのヒト、結構顔に出やすいから凹んでんならもっと分かりやすく凹むだろ。ただ……」
主役の怪我となっては今日の公演は中止するしか無いだろう。
折角注目を集めた『モネット』の千秋楽、残念に思う気持ちはあるけれど、金銭的にも十分な利益が得られている今、無理を押して幕を開かなくてはならない理由はない。
「……お前も残念だったな、初めての舞台がこんな形で最後を迎えるなんて」
「それは……確かに昨日は明日楽日なんだー、もう終わっちまうんだー、でも最後まで頑張るぞって気持ちでいましたけど……この状況で一番悔しいのは間違いなくフランさんでしょう。だから、その……」
相変わらず分かりやすい奴め。
尻尾や耳を見なくても、しゅんとしたを向いていては思っていることが丸わかりだ。だがチロルも同じ気持ちだ。フランが無事であった事以上に望むものはないけれど、それでも皆んなにはあの舞台を最後まで演じて欲しかった。
「今日はもう打ち上げだろうから。そっちを楽しみにしておけよ」
「そう言えば前回、フクロウマチでの打ち上げの時はチロルさん、部屋にこもって出てきませんでしたよね」
「蒸し返すなよ。根に持ってるのか?」
無理にでも明るい口調で話をしようとするのは、お互いに思う事があるからなのだろう。だが仕方がない。舞台な生物だ。映像作品とは違ってこう言った事故やハプニングはよくある話。
なあなあになってしまった幕引きを残念に思う気持ちはあっても、フランの怪我が大事になっていないのならそれで十分だと自分達に言い聞かせる。
「それにしても誰がフランに怪我をさせたんだろうな」
「エトワールの連中でしょうか? ほら、幕が開いてからチロルさんも例のイルサって奴に絡まれてましたよね」
「舞台そのものにあれだけ誇りを持ってる連中が場外闘争なんて考えるかな……」
ふと、いつか見かけた不審な男の姿が脳裏を過ったものの、それこそ証拠がある訳でもない。フランも自分を突き飛ばした相手が誰なのかは確認出来なかったそうだ。
「警察に連絡って言っても……このくらいじゃ逆に取り合って貰えなさそうだもんな……」
さて、公演がなくなってしまったとすれば今日は来場客への返金対応に追われてそのまま打ち上げ、それから舞台の解体作業か。
(力仕事ってなると、獣人の身体能力が羨ましくなるな。いや、そもそも獣人に生まれてたら舞台に立ててるんだけどさ)
そんな事を思いながら朝食の仕込みを終わらせるべく食堂に向かって歩いていくチロルだったが。
「チロル、ちょっと良いか」
急に背後から呼び止められて足を止めた。
振り返ると何やら切羽詰まった表情のバニラがこちらに向かって走ってくるではないか。
「何、フランに何かあったの?」
「『どうしてお前はそんなに自由でいられるんだ。そんな体で、笑っていられるんだ』」
「は……?」
突然何を言い出すんだ。怪訝な表情を浮かべたチロルだったものの、直ぐにバニラの様子がいつもと違う事に気が付いた。
(これ、バニラじゃない……シオンだ)
シオンは『辺境のモネット』でバニラが演じる、物語の語り部的な役どころ。彼が言ったのは作中に出てくるシオンの台詞だった。
確か、続くセリフは……。
「『この体が何であろうと、私は私。下を向く必要性なんてないじゃない。だって世界は、こんなにも美しいわ! ねえ、貴方の目にこの世界は、私はどう映っているの? この体に変わってしまった私は、そんなに途方もない不幸を抱えているように見えるの?』」
相手がシオンならば声を掛けられているのは自分ではなくモネットだ。自分達で作り上げた台本は何度も何度も読み込んだ。忘れる筈が無い。
(思わずモネット演じちゃったけど、本当にこれが求められてるのか?)
急に不安感が押し寄せてきて恐る恐るバニラの事を見上げる。だがチロルの不安を他所に満足げに微笑んでいた。




