3-13 束の間の宴
舞台の幕が降り観客達が帰路に着くと、役者達はミーティング、スタッフ達は舞台や大道具の点検等いつも通りのルーティンが繰り返される。そうやって各々が自分のベッドに戻り明日からの公演に備えて体を休めるのがシルクスの日常……だったのだが。
タカウマノマチでの公演が始まってからと言うものの、その様相が少しばかり変化していた。
「かん、ぱーいッ!」
時刻は深夜十二時。にも関わらずシルクスの食堂スペースは、まるで酒場のような熱気に包まれていた。
「全く、そんなに飲んで……ちゃんと明日舞台に立てるんだろうなぁ?」
「わーってるよ! 明日の公演に響かないよう、今日もきっかり一時間でお開きだ。それにこの俺が自身の美貌を欠いて舞台に上がるような真似する訳ないだろ。バニラ様の美しさがない舞台なんてチケット半額返金ものだ」
酔ってるなぁ、とチロルはいつになく上機嫌な兄を見つめ口角を持ち上げた。
タカウマノマチで始まった『辺境のモネット』の噂は、旅ビトが多いと言うこのマチの特性も相まって瞬く間に近隣のマチにまで届いていった。その噂と言うのも初めのうちは良いものではけしてなかったのだが、いざ幕が開いてみればその華やかさと意外性がハマったらしく、チケット売り場には連日列が出来る大盛況ぶりを見せていた。
エトワールと公演が重なってしまい、あわや資金回収が出来なくなるかと慌てていたのも今となっては懐かしい。
臨時収入だからとギムから褒美として酒が振る舞われ、毎日とは言わぬものの三日に一度、一時間だけ。こうして皆で酒を飲んで互いの仕事ぶりを称え合うようになっていた。
「チロルさん! 飲んでますか⁉︎」
「飲んでるよ。何、オルトも酔っ払ってんの?」
「飲まなきゃダメよぉ、チロルちゃん♡」
「フランまで酔ってるし……」
酔っ払い達に左右から挟まれてげんなりとしているチロルだったが、内心それ程嫌な訳でもなかった。
皆で続ける興行の旅を守りたくて頭を抱えて作り出した舞台。それがきちんと評価を受けて、こうして酒が飲めている。その状況が素直に嬉しかった。
「チロルちゃんの肌はすべすべのモチモチね」
「本当ですね〜」
「フランは兎も角、お前は触るな‼︎ 暑苦しいんだよ!」
どさくさに紛れて頬をつつくオルトを跳ね除ける。
喉を潤すエールは苦くて舌が痺れるけれど、こんなシチュエーションでならそんな渋みも悪いもんじゃない。
いつもの憎まれ口を叩きながらもチロルは束の間の宴会を楽しんだ。
どんちゃん騒ぎの宴会も、予定通りきっかり一時間でお開きとなった。皆それぞれにプロ意識が高いんだなと関心しつつ、チロルも同室のフランと一緒に自分達の寝所に戻る。
「あ、まずい。オルトの衣裳のビジューが取れかかってたんだ」
「明日で良いんじゃないかしら?」
「十分もあれば直せるから、寝る前にやっておくよ。フランは先に戻って寝てて」
「はぁい。あんまり夜更かししちゃ駄目よ」
欠伸をしながらヒラヒラとこちらに手を振るフランに「おやすみ!」と声を掛けてから、チロルは楽屋の方へと走っていった。
さっさと作業を済ませて体を休めよう。そう思いながら楽屋の前に立ち鍵を取り出していたチロルだったが、ふと劇場の前に人影が見えた。
今日落し物は無かった筈だが、数日前の客が何か取りに来たのか。それとも悪さをしに来た不良なのか。放置する訳にもいかず、チロルは鍵束を仕舞うとテントを見上げているそのヒトの方へと歩いて行った。
「すみません、何か御用でしょうか」
声を掛けるとそのヒトは緩慢な動作でこちらに視線を向けてきた。
紫色の長い頭髪に白いメッシュ。暗い色のマントを来ているせいで今にも宵闇に溶けてしまいそうな怪しげな雰囲気が醸し出されている。
オルトやギム程では無いにしろ、背丈が高い。ただ体の線の細さも合間って、縦に長いような印象を受ける。獣人らしい身体的特徴は見られないため、恐らくは人間の男性なのだろう。
「今晩は、小さなお嬢さん」
「申し訳ございません。本日の公演は既に終了しております」
仮面の笑顔を貼り付けてそう言うと、男は「おやおや残念です」と口角を持ち上げたまま答えた。
「噂になっていたものですから、是非一度観てみたいと思ったんですがね」
「ありがとうございます。明日の十時よりチケットの販売がございます。よろしければそちらでどうぞ」
「これはこれはご親切に」
事務的な会話。だが男はテントの前から動こうとはしない。
じっと劇場を見上げた後で、今度はシゲシゲとチロルの事を見下ろしてくる。観察するような粘度のある視線に気味悪さを感じながらも。
「いかがなさいましたか?」
と、接客用の態度は崩さずに問い掛けた。
「貴方もここの団員なのでしょうか」
「はい」
「へぇ……そうなんですね……」
翡翠色の双眸がこちらに向けられる。彼の視線は髪の毛と帽子で隠されたチロルの丸い耳の方に向けられている気がした。
「申し遅れました。私、黒百合ラコロと申します。芸事に関する雑誌の記者をしておりまして」
「記者の方が、こんな時間に?」
「獣人達の演じる『辺境のモネット』の噂を聞きつけて、滞在していたシルベマチからやって来たのですが、こちらに到着したのがついさっきで。今から観劇をするのは無理でも、一度この劇場を見ておきたかったんです」
「そうでしたか……」
何となく、この男が記者だと言うのは嘘のような気がした。そう言った取材の申し込みが来ている事は知っていたけれど、バニラから聞いた話によればギムはそれらを全て断っていた筈。
記者だと嘘をついてまでして、この男はどうしてシルクスに近づこうとしているのか。
(気味が悪い。この男、ずっと目が笑ってない)
不信感を隠しつつ、チロルは「そう言う事でしたら是非とも明日、改めてお越しくださいませ」とあたり感触の無い言葉を吐いた。
「ええ、そうさせて頂きます」
「ご足労おかけしてしまい申し訳ございません」
「いえいえ、それでは私はこれで失礼させて頂きます」
そう言い残すとラコロはマントを翻してその場を立ち去っていった。
「ではまたお会いしましょう。ノルマレのお嬢さん」
「……ッ!」
咄嗟に自身の丸い耳に触れた。仕事が終わり、宴の後と言う事もありいつもの帽子を被っていない事に今更気が付いた。
最後に、チロルの体の深いところを暴くような文言を言い残し去っていった男の背中をチロルはじっと睨み付ける。
「何だったんだあの男……」
不審者が彷徨いていたと、明日ギムに報告をしておいた方が良いかもしれない。何となく嫌な予感がした。
ラコロの消えていった方向を睨み付けていたチロルだったものの、男がこちらにもどっって来るような事もなければ何か異変が起こるような気配も感じられない。
本来の目的である衣裳の修繕を行うため、チロルは楽屋の方へと戻っていくのだった。




