3-11 レッスン開始!
翌日から早速、開幕に向けての準備が始まった。
スタッフ達もビラやチケットの変更に追われているものの、一から台本を叩き込んで、幕が開くまでに人に見せられるものを作らなくちゃならないキャスト陣の忙しさに比べたら比較にならない。
「それにしても、こんな物いつの間に……」
そう言いながらオルトは手元に視線を落とす。彼の手には、表紙には【ビスティアサーカスシルクスプレゼンツ・辺境のモネット】の文字が記されたピカピカの台本が握られていた。
「古典って言うから身構えてたんスけど、これ面白いっスね。感動しちゃいました」
そう言ってオルトは嬉々として台本のページを捲る。難しい言葉遣いや表現は抑えられたそれは、古典が苦手な彼が読んでも素直に面白いと思える出来だった。
昨日の今日でどうしてそんなものが団員達の手元に行き渡っているのか。その答えは至極簡単。
「それ、あの話し合いの後でチロルとバニラが徹夜で書き上げたらしいわよ」
「ば、化け物か……!」
あれから今に至るまで一体何時間あっただろうかと指折り数える、
そこに練習着姿のラフな格好をしたバニラと、見慣れた作業着姿のチロルがやって来た。
「流石に一から話を作った訳じゃない。元になる古典脚本は、俺が持ってたからな」
「違うよバニラ。あれボクが買ったヤツ。借りパクされたままなんだよ」
「それ言うならお前だって【月読む天女】、俺の本棚に返しておけよ」
「そうだっけ? ごめん」
ギムが突然一座を作ると言い出してから、兄妹達は舞台について勉強した。そこには確かに育て親の力になりたいと言う思いがあったのは間違いないのだが、それ以上に二人は飲み込まれてしまったのだ。舞台と言うものの面白さに。なので有名どころの脚本はあらかたポケットマネーを出し合って手に入れていた。当然その中には今回の演目である『モネット』も含まれている。
そもそも普段の演出だって、バニラがチロルに意見を求める形で成立しているのだ。やっている事自体はいつもと余り変わらない。
パンパンッと歯切れの良いクラップ音が辺りに響き渡った。バニラが鳴らす、稽古開始の合図だ。
「さて、今回は急な脚本の変更もあって時間がねぇ。本読みから立ち稽古まで、巻きで進めていく。覚悟しろよオメェら!」
「はいッ!」
「それと今回は俺一人じゃ手に負えねぇ。演出補佐としてチロルも役者稽古に参加する」
「夕飯の支度前にはいなくなるから、それまでよろしく」
(チロルさんは通常業務をこなしながら役者練に顔を出すつもりなのか?)
バニラにしたって、基本的にずっと舞台に上がりっぱなしの役を演じながら、他のキャストへの指導も行おうとしている。兄妹二人してオーバーワークも良いところの筈なのだが。
「楽しそうにしてるわね、あの二人」
目がキラキラしているのが伝わってくる。
初めこそ今後の資金と売り上げのためにと講じたエトワールへの対抗策だったものの、今の彼らからしてみればそんな事は二の次になってしまっているのかもしれない。
新しいオモチャが嬉しくてはしゃいでいる子どものようだ。自分にとってはどちらも世話になっている先輩達だがなんだが微笑ましいなと、オルトは目を細めていた。
……この時までは。
「違う! もっと客面からの視線を意識して!」
「感情の表現に照れが見れるぞ!」
「身振り手振りと声をデカくすりゃ良いってもんじゃない! 違う、それじゃあ動きが小さい! マイムの意味を考えろ!」
実際にレッスンが始まってみれば、双方から飛んでくる指摘の嵐の激しい事激しい事。
(き、キツい……!!)
何とか対応しようとするものの頭のキャパシティが追い付いてこない。
(でも、負けてらんねぇ……!)
裏方仕事で失敗を繰り返していた時とは違う難しさ。歯痒さはあるものの手応えは感じる。オルトは何とか歯を食いしばってレッスンに食い付いていった。
稽古場で練習中だったアクロバットを披露した際、チロルは「良いな……」と小さく感嘆の溜息を零してくれたのだ。自分には誰にも負けない武器がある。それを知れた上でならば、厳しい指導に心が負ける事も無い。
体を思い切り動かして、声を出すのは気持ちが良い。
日を追う毎に二人からの指導に熱が入っていたが、それに応えるよう全体の士気が高まっているのを肌で感じていた。
きっと今自分達は凄いものを作ろうとしている。そんな実感が胸を躍らせてくれた。
だがだからこそ一点、気になる事があった。
こんなに楽しくてワクワクする経験をしているのに、チロルは彼女が本当に望む事は出来ていない。
その事実が喉につっかえた小骨のように、オルトの中に残り続けていた。




