3-8 チロルの行く末
「チロルがエトワールに勧誘されたァ⁉︎」
シルクスのテントにバニラの声が響き渡る。
帰って来た二人を、バニラとフランが待ち構えていた。どうだったのかと感想を聞き出そうとするものの上の空で生返事しか返そうとしないチロルを不審に思ったバニラが。
「なんかあったのか?」
とオルトに尋ねた結果、彼から今日あった事の説明を受けて出て来たのが先の悲鳴にも似た声だった。
四人がいたのは食堂として利用されている長い机がいくつも置かれた場所だったため、当然ながらその周りに団員達がいる。ぼんやりと物思いに耽りながらパンを齧っていたチロルだったものの、バニラの大声にようやく我に返った。
「おいオルト、それここで言ったら……!」
自分が歌っていた事も皆んなにバレてしまうじゃないかと慌てたチロルだったけれど。
「まあチロルちゃんの歌ですもんね」
「そりゃ引き抜きにもあうか。裏方させておくには勿体ねぇもんな」
と、何故か周囲は何の疑問を抱く事もなくうんうんと首を上下に振っているではないか。
チロルが歌を歌っている事なんてこれまで誰にも話した事はなかったはずだ。それなのにさも当然、全員が知っているかのような反応にチロルの思考が止まる。
「ちょっと待て……何でそんな、当たり前みたいな口振り……」
わなわなと体を震わせる彼女の肩をバニラがポンと叩いた。
「チロル。お前は獣人の聴力を舐めすぎだ」
「って事は……」
「全員、少なくても一回は聞いたことあるわよ。チロルちゃんの歌。隠れているつもりみたいだったから誰も指摘しなかったけど」
ちくちくちく、ぽーん。
次の瞬間、辺りに響き渡ったチロルの絶叫。
誰にもバレているはずがないとタカを括って思い切り歌っていたと言うのに、まさか全員にバレていたなんて思いもしなかった。
顔を真っ赤にして机の下で縮こまるチロルに「大丈夫ッス、チロルさん。滅茶苦茶上手なんすから」とオルトが追い打ちをかけた。この際技術的な良し悪しなんてどうでも良い。
誰にもバレてないと思っていたのに結果全員に知られてたという事実がチロルには耐え難かった。
「そ、それにしても!」
気を利かせて何とかオルトが話題の転換を試みようとする。リンゴのように頬を染めたチロルは、おずおずと硬いパイプ椅子に座り直した。
「あのイルサって奴、どうしてチロルさんにあんなに執着してるんでしょう。チロルさんが人間だって事も最初から知ってたようでしたし」
「その事なんだけど……アイツと面識があったわ」
「え⁉︎」
会ってから暫くの間は気が付かなかったのだけれど、別れ際の一言で思い出した。
『あの日の約束を果たそう』
彼は最後に言い残した言葉で、ようやく記憶の蓋が開かれた。
「あの頃のボクはまだ小さくて裏方仕事って言っても大して出来る事もなかったから。忙しい時間帯は一人で時間を潰してたんだ。その時マチで出会ったのがイルサで……仲良くなってからは劇場から漏れてくる音に合わせて一緒に歌ったり踊ったり、舞台ごっこみたいな事をして遊んでた」
「だからアイツ、チロルさんの歌声も知ってて勧誘を……」
「……で、どうするんだ?」
バニラからの問い掛けにチロルは質問の意図が読み解けずに「何がだよ」と視線を尖らせる。
「向こうに移籍すんのか? あっちに行けば、舞台に立てるだろ」
「そんな……ッ! そんな事する訳無いだろ!」
押し詰まったような声がチロルからは飛び出してきた。
確かにあの舞台に焦がれた。それは否定出来ない。
「否定しないけど、でも……そんな事のために家族を捨てられる筈が無いだろう! 大体ボクはただ舞台に上がりたかったんじゃない! シルクスだったから、愛する家族と共に舞台が作りたかったからで……ボクは……ボクはそんな簡単に……ッ!」
感情が昂り、チロルの目に涙が浮かんだ。言葉を詰まらせ何とか泣くまいと堪えるチロルに、バニラは「あーあー、悪かった!」と慌てて頭を下げる。
「そんな追い詰めるような事言いたかったんじゃねぇよ。お前さんの意向は確認しておかないと、話が進まないだろ」
「シルクスを辞めるなんて、選択肢がボクにある訳ないだろ……! 馬鹿バニラ……!!」
「あーもう、泣くな泣くな」
「泣いてないぃ……ッ」
べそべそと鼻を啜るチロルを、フランがそっと抱き締める。
「可哀想にチロルちゃん……全く酷い男ね。よしよし。お姉さんが癒してあげるわ」
豊満なフランの胸元に顔を埋められてチロルが若干息苦しそうにしているのだが、周囲の男性陣からは切望の眼差しが向けられていた。




