3-5 場違いな観客
結局、夕暮れ時になるとチロルはオルトを連れて劇団エトワールの仮設劇場の前に立っていた。
イルサの態度に腹が立ち悩みに悩んだけれど、結局チケットを破り捨てる事も出来なかった。そんな彼女に痺れを切らしたバニラから「良いから行ってこい!」とケツを叩かれてしまったのだ。
おまけにギムからも「敵情視察なら良いんじゃないのか?」とお墨付きを貰ってしまい、引くに引けなかったのだ。
(イルサって奴がいくら腹立つ奴だったとは言っても、エトワールの舞台に罪は無いからな……)
と、チロルはここに来るまでの道中何度も自分に言い聞かせた。
「それにしても、なかなかデカい劇場っスねぇ……」
オルトの言葉に釣られてチロルも顔を上げる。
仮説劇場とは言えど、エトワールではマチに常設された劇場を間借りして公演を行っているらしい。
自分達でテントを建てているシルクスとは偉い違いだ。
建物の中央が縦に伸びた奇妙な形の建築物。歴史が感じられる大きな建物の前でオルトはポカンと口を開けてはいるものの、場の空気に圧倒されている様子もない。
一方のチロルは、本人意図せずとも涼しそうな顔をしているけれど余裕なんてものは欠片も持ち合わせていなかった。
(食うに困る程では無いにしろ、シルクスの財政は別に余裕がある訳でもないからな……)
サラッと渡されてしまったけれど、エトワールの良席のチケット代なんてチロルのポケットマネーからはとても出せない代物だ。ここは一応貴族の関係者も足を運ぶような、クニの中でもトップレベルの舞台なのだから。
「それにしても……動きにくい」
エトワールの舞台を見に行くのならそれ相応の格好をして行けとギムに指摘され、チロルは青紫色のイブニングドレスを纏っている。
当然シルクスにそんな用意があった訳ではないため、昔公演でフランが使用したドレスを即興でアレンジして拵えたものだった。丈は兎も角胸部をいくら詰めても詰めても体にフィットせず、最終的には諦めてパットを詰め込んで無理やり形にしてきた。
チロルが貧相なのではない。フランが豊満なのだ。
「あと、耳が付いてないと違和感が凄い」
当たり前なのだがいつものトンチキな獣人ファッションを禁じられてしまい、挙げ句張り切ったフランの手で髪を綺麗に結い上げられてしまった。コンプレックスでもある丸い耳を晒して往来を歩くのはいつぶりだろう。風が耳に触れる感覚が落ち着かない。
「でもお似合いですよチロルさん、お姫様みたいです!」
「そりゃどうも……」
(コイツは余裕たっぷりだな……場馴れしてるのか?)
こんな場所に正装で立たされようとも余裕を見せていられるのは、彼の半生が理由なのだろうか。貴族に飼われていたのならばこう言った社交の場に連れ出された経験もあるのだろう。
チケットを見せて劇場の中に入る。座席もしっかりした作りで設置された真っ赤なクッションも柔らかい。天井からは大きなシャンデリアが吊り下げられていて、ハコそのものから規模の違いを見せつけられた。
「チロルさん、今日の演目ってどんな話なんですか?」
「ああ……【待ちビトは来ず】って言う古典作品だな」
今回二人が観劇するのは、世界の真相を探るため旅に出てしまった恋人の帰りを待つ女性、ミユキを取り巻く群像劇。
ミユキはその見目の良さと家柄から様々な男性に言い寄られる。しかしそれでも誰にも靡く事無く、彼女は一途に旅に出た恋人の帰りを待ち続けるのだ。
「『彼がいなくなった東の地平線の先を毎日毎日見つめているの。毎日毎日、彼が帰って来るその日を待って、信じて。太陽が登るようにあの人の人影が現れることを願って。私は荒野を見つめているのです』……ってな」
「はわぁ……」
「なんだそのはわぁって」
「……チロルさん演技も出来るんスね。そのセリフだけで、チロルさんが誰かを待ってる、別の人に見えましたもん」
「趣味が高じてってやつだよ。伊達に何年も劇団に所属してる訳じゃない」
「それで、恋人は帰ってくるんですか?」
「観る前にネタバレってナンセンスだろ。結末は自分で見て確認しろよ」
そんな話をしているうちに周りの座席が埋まっていく。
いつもならこの時間帯は楽屋でメイクの手伝いをしているか、舞台袖でキャストのサポートをしている。ザワザワと少しだけ騒がしい開幕前の客席面の中にいるのは何だか新鮮だった。
ブーッとブザーが鳴り響き、辺りの照明が落とされる。これは敵情視察だと自分を言い聞かせながらも、胸の高鳴りを否定出来なかった。
ああ、いよいよ。いよいよ始まるのだ。
このクニで最も美しいとされる、歌劇が。
ゆったりと舞台面に光が点る。それが幕開けの合図。ドセンラインには一人の女性が立っていた。
ピンク色のドレスが目を引いた。
ゆったりと緩慢な仕草で女性が胸に当てていた手を遠くへと伸ばす。観客の視線が自然と、彼女の憂いを帯びた表情へと集まった。
伏せていた目がそっと持ち上げられた時、まるでこちらと目が合ったかのように錯覚をする。
心臓が跳ねた。
彼女は美しかった。
「『皆が私を不幸だと笑ったわ』」
最初のセリフを足掛かりに、物語の世界にチロルは引き込まれていく。それはまるで泥沼に足を踏み外して、もがいてももがいても深い所に落ちていくような感覚だった。
舞台の泥濘はチロルを掴んで離してはくれなかったけれど、まるで微睡みのように心地良かった。




