3-3 歌劇一座エトワール
「な、エトワールだって……⁉︎」
よもなこんな場所で、そんな相手と巡り会うなんて。
言葉を失うチロルとは対照的に、事情が掴めぬオルトは首を傾げる。
「……何なんですかコイツ」
チロルはイルサと名乗った青年から視線を背ける事もなく、彼からの問い掛けに答えた。
「エトワールってのは、東都付近で興行をしてる旅の一座の中でもトップレベルの人気と実力を誇る団体だ。特に古典作品を歌劇にアレンジした演目が得意で……サーカスが目玉のうちと比べると正反対の一座だな」
エトワールとは、アリタノマチに拠点となる大きな劇場を所有した上で、シルクスのように旅の興行を行うチームを複数抱えている巨大な歌劇団体だ。歴史、公演の座席数、売上、団員数に至るまでシルクスとは比較にならない規模を誇る、まさにクニを代表する劇団の一つと言えるだろう。
どうやらシルクスは運悪く、このタカウマノマチでそんな競合他社と鉢合わせてしまったらしい。
「……君、僕に見覚えは?」
イルサからの問い掛けに、チロルは「お前なんて知るか」と吐き捨てる。
思ったまでの事を行ったのだがその言葉に青年のこめかみに青筋が寄ったのが分かった。
「……サーカスなんて低俗な見世物とうちの舞台を一緒にしてもらっては困るな」
態度の大きさと言いいちいち癇に障る男だなとチロルは眉間のシワを深くした。
「それで? そのエトワールの団員さんがボク達に何の用なんだ」
上から物を言うイルサ相手に、チロルは下からガンを飛ばして応戦する。
バチバチと火花を散らせる二人を一歩引いたところから見ているオルトは、小さな声で「怖……」と呟いた。
「いやはや驚いたんだよ。まさかケモノ連中が舞台の真似事をしてるだなんて、初めて話に聞いた時にはそれはもう驚いた事さ」
「いつまで獣人差別なんてやるつもりだ? 大きな一座の役者様は、仮面の被りすぎで面の皮まで厚くなったのか」
「……気に食わないんだよ。半端者のケモノが役者の真似事をして舞台を穢すなんて」
敵意のこもった物言いに緊張感が走る。
こういった差別的な発言に、獣人達はいつだって晒され続けている。だがそれでもイルサの端から獣人を見下した物言いを見過ごす訳にもいかなかった。
「確かにシルクスはまだ歴史も浅い未熟な団体だ。だがボクの家族をあまりコケにしないで貰いたいな」
「……君も舞台に上がるのかい?」
「ボクは裏方だ。それがどうした」
そう言うと、彼が一瞬表情を詰まらせた。
「見た上での批評なら兎も角、見てもない舞台の是非が分かるなんて……大きな団体の役者さんは随分目が肥えてるんだな?」
「は……ッ! まさか! 所詮は獣人。ケモノに出来る事なんてたかが知れてるだろう。だが……」
彼が何かを言いかけたため、チロルも黙って次の言葉を待った。しかし次の瞬間、あっと声を上げる間も無い。
チロルの被っていた耳付きの帽子が彼の手で剥ぎ取られてしまったのだ。
「な……ッ!」
チロルは咄嗟に、丸い耳を手で覆い隠した。
「こんなものまで被って……どうしてキミがケモノなんかに混ざってるんだ」
「……ッ、返せ!」
直ぐ様腕を伸ばし帽子を取り返そうとする。だがイルサはサッと腕を上げてしまった。
体格差から当然飛び跳ねてもチロルの手は届かない。下から声を上げる事しか出来ずに歯噛みをしていたチロルだったものの……。
「離してくれませんか」
「……ッ」
「チロルさんが嫌がっています。分かりませんか?」
帽子を握ったイルサの手首をオルトが掴んだ。
人間にしては長身のイルサであっても、流石にオルトが相手では見上げる事しか出来ない。
「チッ……ケモノ臭が移るだろう、触るな」
露骨に嫌そうな顔をしながら拘束を振り解くと、イルサはこちらに向かって乱雑に帽子を投げて返してきた。
慌てて帽子を被り直し、再度キツくイルサを恨めしそうに睨み付ける。
「……まあ良いさ。キミに正しい道を示してやろう」
目の前に差し出されたのは二枚のチケットをチロルは何気無く受け取った。
「なぁ……ッ!」
紙面に印字された文字を前に、彼女の表情が揺らぐ。それもその筈、そこには【劇団エトワール旅一座“ホシノエ”公演 待ちビトは来ず】と書かれていたのだから。
「今夜のチケットだ。是非一度見に来ると良い」
「……っ」
目の前の男は確かに気に食わない。初対面でありながら当たり前のように獣人差別を宣う男に対して好意的な印象を持てと言うのが無理な話なのだ。
だが、彼女の手元にあるのは予約必須、入手困難なエトワールのチケットだ。
(しかも、しかも演目が古典の名作【待ちビトは来ず】……! 自分自身が旅をしてるから観劇する機会なんて来ないと思ってたのに……!!)
悲しいかな。それは舞台を愛する者からしてみれば垂涎もののプラチナチケットだった。
当然チロルにも効果はてきめん。先程までイルサに向けていた敵意剥き出しの瞳はどこへやら。紫色の宝石のような彼女の双眸がキラキラと、トランペットを前にした少年のように輝き出した。
「は……っ!」
我に返ると同時に高揚を悟られぬようキッとイルサを睨みつけるけれど、この行為にどれ程の意味があるのだろう。イルサの目にもオルトの目にも、チケット片手に子どものように微笑んだチロルの表情はバッチリと写った後だった。




