3-1 末っ子と新人
引き裂かれた腸は、酷い異臭を放つのだ。
溢れ出る鮮血の鉄臭い臭いだけでは無い。溢れ出た胃や腸の内容物がそこかしこに飛び散る事で、噎せ返るような刺激臭を放つのである。
真っ赤に染まったマチの中に彼女は立っていた。
家屋の外壁や路地を斑に染める赤黒い色の正体に気が付いて、チロルは言葉を失う。辺りには体を無惨に引き裂かれた人間達の骸が幾つも転がっていた。
目を見開いて、苦悶の表情を浮かべたまま事切れた遺体の傍で、死体に縋り付いて泣く人々の姿が目に付いた。
遺族なのだろうか。
体が血に塗れる事も厭わずに泣きじゃくる姿が痛々しくて、しかし目を背ける事も出来ない。
この光景を地獄絵図と呼ばなければ、本物の地獄はどれだけ凄惨なものなのだろうか。
「特定危険害獣の沈黙を確認」
「絶命が確認されるまで油断するなよ。奴らは首だけになっても動く個体もいる」
聞こえてきた声にチロルは弾かれたように顔を上げた。
揺れる視線のその先では、複数人の男達が何かを取り囲んでいる。彼らは皆一様に同じ制服を身に纏い、胸には銀色に輝くバッジを付けていた。
呼吸が浅く、荒くなる。
男達に取り囲まれたその真ん中には、大きな獣が倒れていた。爪や牙には生々しい肉片がこびり付いていて、一連の殺戮を実行した犯人がそれである事が分かった。
深い青色の毛並み。
半開きの大きな口からだらんと零れた舌はまだ血色の良い桃色をしていた。
「オルト!!」
狼のような彼の姿を前にして、チロルは声を荒らげた。
それと同時に、目を覚ます。
「はぁ、はぁ……はぁ……ッ」
ドクドクと心臓が血液を巡らせる。
全身がぐっしょりと嫌な汗で濡れていた。
チロルは、見慣れた自室のハンモックの上にいた。モゾっと寝返りを打つフランの姿を横目に確認しながら、深く深く息を吐き出す。
(なんつー悪夢だよ……)
エマの死に際の姿とオルトが重なった夢だなんて。なんてものを見ているんだと頭を抱えた。
「……」
窓の外からちょろちょろと射し込んでくる白い光。もうそろそろ起きなくてはならない時間帯だ。
とても仕事をする気分にはなれないけれど、今日はそうも言っていられない。シルクスはまた新しいマチに到着した。そのため今日は舞台や生活区域の設営作業が待っている。
(……本当に最悪な夢だ。だけど、ボクが舞台を拒絶する限り、あんな悲劇は二度と生まれない)
生まれさせやしない。
体の震えを無理やり押し込めると、チロルはハンモックを抜け出した。
シルクスの平穏な日常こそが、自身の決意が間違っていない事を証明する一番の手立てであるとチロルは信じている。
「壊させて、なるもんか」
家族の平穏な毎日を絶対に守ってみせる。エマのような被害者は二度と出してはならない。
そんな思いを固めながら、チロルは自身のトレーラーから外へと踏み出す。
明け方の薄明かりに包まれた空は、それでも少し眩しくてチロルは目を細めていた。
「フクロウの次はウマか」
テント設営用の機材を持ちながらチロルが呟くと、近くを歩いていたバニラが「東にはクマネコもあるぞ」と声を掛けてきた。
シルクスが次に訪れたのは『タカウマノマチ』
フクロウに続いてまたしても動物の名前を冠したマチだ。
「フクロウマチにはフクロウの像しか無かったけど、タカウマノマチに馬はいるのかな。……馬なんて何処にでもいるか」
「そんな事はどうでも良いけどよ、オルトとはあれからちゃんと会話したのかよ」
「……」
バニラからの指摘に気まずそうに目を背けると、背中を小突かれた。和やかに会話をしていたのだからそのまま放置してくれれば良かったのにと内心悪態をつく。
あれからチロルは、彼と一度もまともに話せていない。それどころか目を合わせる事すらしてなかった。勿論、業務連絡くらいならばしているのだけれど、それ止まりだ。
「喧嘩は長引かせても良い事ねぇぞ。とっとと謝って来い。話聞いたけど、今回のはお前が悪い」
「そんな事、分かってるよ」
「……そもそもエマの件はお前のせいじゃねぇ。何度も言ってんだろ」
「……」
「だがそれはそれ、これはこれだ。良い加減に頭を冷やせ」
そう言ってクシャリと帽子ごと頭を掻き回される。
バニラの言い分はごもっとも。会話が出来なくなったそもそもの原因は、チロルの八つ当たりにある。オルトは知らなかっただけで何も悪くないのだから。
「分かってるけどさ……」
そう言ってチロルは唇を尖らせた。
嫌な所に踏み込まれてしまったけれど、それはオルトを嫌う理由にはならない。仲直りをしたい気持ちはあるのだけれど、意地を張ってしまった手前、何をやっても不自然になってしまいそうで。なんて切り出せば良いのか正解が見つからなかった。
「お前は俺相手に仲直りの練習しておくんだったな」
余裕のあるバニラの言葉に、チロルは面白く無さそうに顔を顰めるのだった。
タカウマノマチでの公演期間が終わるまでの間、シルクスが滞在する事になったのはメヤマ跡地と呼ばれる場所。この辺りはテツノキもなく、森が広がる静かな場所となっている。
旧時代の東都は人工物により舗装された土地が多く、緑は殆どなかったらしい。そんな中人々は敢えて緑の公園などを作る事で、自然との触れ合いを行っていたんだとか。
メヤマもその一つ。灰色に覆われた世界では数少ない自然を切り貼りした憩いの場だったそうだ。
旅の疲れを癒す間もなく、木々の隙間にテントを張って、これからの生活の拠点を作る。拠点作りは大仕事で、それだけで丸一日は余裕で掛かってしまうのが常だった。
この間スタッフ達は休む間もなく慌ただしく走り回っている。毎度のことではあると言っても、この時期はどうしても決まった拠点があれば楽なのになと思わずにはいられない。根無草の悲しい所だ。
まだしっかりとマチ中を見て回れた訳では無いけれど、こちらもフクロウマチのように旧時代の建造物であるテツノキが残っていた。ただあちらほどゴチャゴチャとした印象はなく、テツノキの高さも差程ない。
マチの規模そのものは余り大きくはないけれど、大きなマチとマチを繋ぐ場所はヒトの通りが激しいため、旅ビトの集客が見込める利点もある。旅一座としては名を広める効果も期待出来るため、こういったマチは狙い目だった。
「おーいチロル、ギムさんが買い出し行ってこいって」
バニラに呼ばれてチロルは「なんの?」と返事をした。
「業者に頼み忘れて米が足りてないんだと」
「それなら別のヒトに頼んでよ。ボクに運べるとでも思ってんの?」
「無理だろうから、オルト連れて行け」
急に名前を呼ばれたオルトの尾がぶわっと勢い良く広がった。手に取るように彼の緊張が伝わってくる。
こんな状況で買い出しなんて行けるかと目で訴え掛けたものの、バニラは無言で首を横に振るばかり。
「……分かった」
数秒の言葉を交わさぬ攻防戦の後で観念したのか、チロルはバニラから買い出し用の財布を受け取った。
「オルト」
名前を呼ぶと耳がピンッと立ち上がり、それからゆっくりと視線がこちらを向く。
ああ、久しぶりにあの月みたいな目を見た気がする。
そんな彼を直視する事も出来ず、チロルは「行くぞ」と声を掛けるのがやっとだった。
「は、はい……」
当然ながらオルトも、まるで叱られた子犬のように尻尾を下げてチロルの後を追う。気まずい雰囲気を隠す事も出来ないまま二人はシルクスを後にしていった。
そんな彼らの遠ざかっていく背中を見つめながら、バニラは一人大きな溜息を吐き出すのだった。




