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2-14 エマ


 大人達の献身的な治療と看病の甲斐もあって、彼女は奇跡的に目を覚ましたそうだ。


「なんだ、同い年なんじゃないか」


 大人達に囲まれて育ったチロルにとって、エマは初めて出来た同じテントで暮らす同世代の友達だった。


「ボクはチロル。仲良くしてくれ」

「よろしくねチロル」


 エマの体調が回復すると、彼女はチロルと一緒に大人達に混ざって裏方の仕事をするようになった。


「チロルには感謝してるんだ。助けてくれてありがとう、きっと役に立つから」

「良いよ別に期待してない。昨日だってお前、予備のホリ幕破いたばっかじゃん」

「あ、あれは爪が引っかかって……ちょっと、笑わないでよチロル!」

「ははは」


 少女らは直ぐに打ち解け、仲良くなっていった。今でこそ無愛想な表情が目立つけれど、あの頃のチロルはとても良く笑う子どもだったそうだ。


 少女達は友達になりました。めでたしめでたし。それで終われば誰も傷つかなかったのだろうけれど、彼女らの間では小さなすれ違いが発生していた。


「チロルも人間に酷い事されたんだね。だからそんな仮面を付けてるんでしょ?」


 当時のチロルは自身が人間である事への強いコンプレックスから、ケモノの顔を模したような奇妙な面をいつも被っていた。耳の付いた帽子や、アームカバーなどの過剰な装飾品を身に付けるようになったのも丁度その頃。人種を理由に舞台に上がる事をギムから禁じられたばかりの事だった。


 獣人を模したチロルの姿しか知らなかったエマは、彼女もまた、差別される側のヒトだと勘違いしてしまったのだ。

 それだけなら「ボクはノルマレだよ」と、誤解を解いて終わった筈。チロルだって直ぐに自分の正体をエマに打ち明けられただろう。


 しかしそれが出来ない大きな要因がエマにはあった。それは彼女がこれまで生きてきた証にも等しいもので、環境によって擦り付けられたものだった。


「本当に人間って全員クズしかいないよね。なんの力も無い。揃いも揃って同じような見た目して、同じような事して、機械みたいに動いてる。気持ちの悪い連中だよ。あたしらみたいな優れた人種をやっかんで、数を使って攻撃する。あんな能無しがのさばってるから、世界はこんなにも悪くなったんだ」


 エマは獣人街等、獣人の貧困層の間で広く広まっている『獣人至上主義』の思想に染まりきっていたのだ。


 獣人はより進化した高尚な人類。人間は力もなく数で群れるしか能がなく、排他的で凶暴な生き物だ。彼らを取り除き、獣人が権力を握る事でこの世界は生まれ変わるだろうと言うのが、獣人至上主義に基づく考え方だ。


「あのくそノルマレめ……やっぱりあの時、パンなんか捨てて差し違えてでも殺しておくんだった。人間を一匹でも排除出来たら、きっと世界のためになったのに」

「……」

「ね、チロルもそう思うでしょ?」

「えっと……ボクは……」


 エマは人間を嫌っているのではない。心の底から憎悪し、排除するべき敵だと信じていた。

 彼女に染み付いているのは、差別される中で獣人達の中に生まれてきた負の感情そのものだ。


 初めて出来た友達だったからこそ、チロルは自分が人間だなんて言い出す事は出来なかった。言える筈が無い。自分も貴方が恨む人間の一人なんだなんて、幼い彼女に言える訳が無かった。


「なんで人間なんかの前で芸をして金を貰わなくちゃならないの⁉︎ 貴方には獣人としての誇りは……牙は無いの⁉︎」

「人間の旅芸人一座だっているだろう」

「そう言うことを言ってるんじゃない!」


 思想故にエマはギムに食ってかかる回数も多かった。シルクスのあり方そのものが気に食わなかったのだろうけれど、ここを出ていったところで行く当てもない。結局は文句を言いながらも、大人しく仕事には従事していた。


 チロルはエマの過激な思想は間違ったものだと分かっていたけれど、それでも彼女の生い立ちとこれまでに受けてきた仕打ちを考えてしまうと言葉が出てこなくなる。

 チロル相手に無邪気に笑っていようとも、エマの顔は半分がへしゃげて、右目は開かなくなっていた。歯だって何本か折れてしまっていて、本来彼女がどんな顔で笑っていたのかなんて誰にも分からない。


 共同生活を送っていれば、いつかは自分の正体もバレる。何度も何度もチロルは本当の事を打ち明けようとした。

 でも出来なかった。


「チロル、食堂からリンゴくすねて来たよ」

「しょうがない。共犯になってやるよ」


 だってエマは、初めての友達だったから。

 友達に嫌われたくない。そう思って口を閉ざしてしまったチロルを誰が責められただろうか。



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