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2-12 彼女の逆鱗


 その翌日、キャスト達の間では次の公演についてのミーティングが行われていた。きっと今頃オルトも自身のデビュー公演について話をされているのだろう。


 だがそれもチロルには関係のない事。


 その時間帯、チロルは一人で衣裳倉庫の整理を行なっていた。定期的に整理をして天日干しをしてやらないと虫に食われてしまう。舞台衣裳は一つ一つ作製に手間が掛かっている上、中には奮発して買った高価な布地が使われている物もある。出来るだけ大事に使いたいのだ。


(そういやオルトも役者になるって事は舞台衣裳が必要だよな……アイツ、妙に手足が長いから今ある昔のお古とかじゃ入らないだろうし採寸から行わないとダメだろうけど……。気まずいんだよなぁ、共同生活だし、いつまでもそんな事言ってられないんだけど)


 バニラとはしょっちゅう喧嘩をしているけれど、仲直りらしい仲直りをした事がない。怒鳴り合いをしていたとしても、一晩経って寝て起きればいつも通りが常だった。


 シルクスと言う狭い世界で生きてきた彼女にとって、誰かとこんな風に話しにくい雰囲気になった経験なんて無いに等しい。要するに仲直りの仕方が分からなかった。


 彼に落ち度は無いため、謝るにしたって自分から言い出さなくてはならないと分かってはいるのだが、仕事で一緒になるでも無いと話すきっかけが掴めない。

 どうしたものかなぁと頭を抱える。


「いたいた、チロルさん!」

「……ッ⁉︎」


 チロルの苦悩など知ってか知らずか、開けっ放しの扉の向こうから聞こえてきたのは、心情的に今一番会いたくないはずの相手だった。


 最後に会話をしたのは彼の異動について揉めた時なのだが、どうしてかオルトはとても明るい声音でこちらのトレーラーに駆け寄ってくる。

 彼の態度の変化に困惑しながらも、チロルは呼ばれるがままに衣裳部屋を出た。


 今日はとても良い天気。外に出て瞬間、陽光の強さに顔を顰める。


「ちょっとお話ししたい事がありまして」

「手短にお願い出来ると助かるんだけど」


 だからこう言う物言いがダメなんじゃないかと、口に出してから思ったものの、オルトは気にする素振りも見せずに「はい!」と笑顔で答える。


「……そう言えばステージデビューおめでとう。アンサンブルらしいけど、頑張れよ」

「え、なんで知ってるんですか?」

「昨日の夜ギムから聞いた」

「そうだったんですね!」


 もしかして早速バニラあたりが気を利かせてくれて衣裳の採寸でもしてもらって来いと言われたのだろうか。


(グッジョブだバニラ。たまには役に立つな)


 と、本人が聞いたら喧嘩のゴングが鳴り響きそうなことをチロルが考えていると。


「ありがとうございます。でも断りました!」


 屈託ない笑顔を浮かべ、衝撃的なセリフをオルトが放った。


「……は?」

「オレは降ります。ただその代わり、チロルさんを舞台に上げられないかって話をしてきて……」


 彼が何を言っているのかチロルには理解出来なかった。否、理解なんてとてもしたくはなかった。


 断った? 何を?

 デビューの機会を? 蹴った?


 舞台に上がる権限を、みすみすドブに捨てたと言うのか。

 その上でなんと言った。


 ボクを推薦したと言ったのか?

 人間である自分を、スポットライトの下に連れ出そうとしたのか?


 ガツーンと、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 信じられないものを見るような鋭いチロルからの視線に、オルトが気が付く事は無い。


「だってほら、勿体無いじゃないですか。あんだけ歌上手いのに」

「……話したのか? ボクが一人で歌ってたって事」

「いや、それは別に話してないですけど……」


 ああ、そこの約束は一応守っているのかと胸を撫で下ろす。


 だが安堵感が消える間もなく腹の底から湧き上がってきたのは、焼けた鉄のようにぐつぐつと煮えたつ感情だった。


 彼に悪気がない事は誰の目にも明らかだった。だがそれでもチロルにとって、そこは触れて欲しくない部分で、更に言えば触れ方自体が最悪だった。指先でそっと触るだけならばいざ知らず、泥のついたブーツで踏みつけられたようなものだった。

 それが意図的でなかったとしても、我慢ならなかった。


「お前は、お前は……シルクスの舞台を何だと思ってるんだよ!」


 まさか返ってくるのが怒声だとは思っても見なかったのだろう。声を張り上げたチロルを前にして、オルトは訳も分からず目を丸くする。


 どうしてチロルが自分を睨み上げているのかなんて彼に分かる筈がない。こんなものは一方的な暴力で、ハラスメントだ。頭の片隅で警鐘が鳴るのに、熱いマグマが言う事を聞いてくれない。暴走する感情の手綱を握っていられないのだ。


「どうして、どうしてボクが今日まで舞台に上がる権利がない事実を、甘んじて受け入れていると思ってるんだ! 舞台の上で歌いたい夢を、毎日毎日握り潰して生活してると思ってるんだよ! 誰が……自分の夢を殺したいって思うんだよ!」


 やめろ、とまれ。とまれ。

 そう自分が叫んでくれているのに、意識に反して口が彼をなじった。


「この一座には行く当ての無い獣人を救うセーフネットの意味だってある。人間が出しゃばる場所じゃない。それを弁えているから、ボクは夢を捨ててるんだよ! 何よりも、このシルクスを愛していて、尊重したいから! ギムが掲げた理想の正解のためだったら、だから夢だって捨てられる‼︎ ボクはボクを、殺せるんだよ‼︎」


 オルトが小さく息を呑んだ。

 とまれ、とまれ。

 何度も繰り返しているのに、言葉が、感情が、溢れ出して制御出来ない。


「与えらえた権利を簡単に捨てた上、ボクに譲りたいなんて……お前はこの舞台を侮蔑してる自覚はあるんだろうな。このボクを……」


 自分は間違っていたのだろうか。

 家族を捨ててでも夢を追う事が正解だったなんて、そんな事あるのだろうか。


 自分にはここしかないのに?

 人間でありながら獣人のコミュニティに身を置く以外、世界の何処にも居場所がないのに?


「その行いがこのボクに対する最大の屈辱だって、理解してるんだろうな⁉︎」


 涙ながらにそう叫ぶと、チロルは踵を返してその場を後にした。

 一方的に怒鳴り散らして一方的に逃げ出して。自分は何をしているのだろう。何がしたいのだろう。


 自己嫌悪が湧き上がってくるのに、頭も心も全部ぐちゃぐちゃだ。


「なんでだよ……エマ……っ!」


 吐き捨てられた彼女の声を聞くものは誰もいない。

 一人涙するチロルの脳裏に浮かぶのは、かつての友の姿だった。


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