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2-11 親子の関係



   ○○○



 チロルだって、何も最初から自分が舞台に立てない現状を受け入れていた訳じゃない。


 シルクスが立ち上げられた当初、彼女はまだ四つの子供だった。スミレとの出会いから歌い人への憧れを募らせていたチロルは、父がサーカス団を立ち上げると言い出した際に手を挙げて喜んだ。これから先広がってるだろう自分の未来を想像し、期待に胸を膨らませたものだった。


 しかし蓋を開けてみれば父はチロルを舞台には上げないと言い出した。

 最初のうちは「まだ幼いから」との説得も受け入れられた。今の自分では実力不足だと、必死になって芸を磨いた。自分がもう少し成長した時、父を唸らせられるだけの技術力を手に入れようと血の滲む思いで研鑽を積んだのだ。


 だがバニラが初めて舞台に立った時と同じ年齢になっても、ギムはチロルのステージデビューを認めなかった。


 チロルも、それから兄であるバニラも。直接何度も何度もギムに抗議をした。どうしてチロルを舞台に上げてはならないのか。獣人なのか人間なのか分からないような格好をさせて舞台に立たせれば良いだろう。方法なんていくらでもある筈だ。


 そう繰り返し繰り返し強く主張をしたけれど、ギムが首を縦に振る事はついぞなかった。


 不満がなかった訳じゃない。どうしてと父に泣き付いた夜だってあった。だがある日を境にチロルがそう言った我儘を訴える事はなくなった。


 チロルは知ってしまったのだ。

 父がどうして人間である自分を頑なに舞台に立たせなかったのか。

 シルクスに込められている本当の願いとは、何であったのかを。






「本当に良かったのか?」


 ギムからの問い掛けに、チロルは「何度も言ってるだろ」とぶっきらぼうに返事をした。


 ここはシルクスの座長室、つまりギムの個人トレーラーだ。深い茶や黒の家具で統一された色味の少ない室内には、彼の趣味なのだろうか。漆塗りの地球儀や、よく分からない骨董品等が陳列されている。見た目だけならば、古めかしい書斎を思わせた。

 部屋にはいつも甘くないお香が焚かれている。まだ小さな頃にチロルが好きだと言った香りだ。自分の香りの趣味も変わってしまったのだが、今のチロルが何を好んでいるのか父は知らないのだろう。


 この部屋を訪れるのは、オルトの異動の申し出をしたフクロウマチでのあの夜以来だった。

 チロルは確かにギムの娘ではあるものの、普段の生活を送る上で二人の関係はあくまで座長と一メンバーに過ぎない。親子の時間はそう簡単に取れるものでもない。


 デスクの前に置かれたアンティークチェアに腰掛けながら、ギムは指を組んでいる。


 巨大なトカゲのような容姿をしたギムの体は、その全身の殆どが角度によって緑色に鈍く光る黒い鱗に覆われている。爬虫類系の獣人は表情が読み取りにくく、キツい印象を与えやすいと言うけれど、娘であるチロルからしてみればギムの表情の変化を読むことなんて、明日の天気を言い当てる事よりもずっとずっと簡単だった。


「今ならオルトをスタッフに戻す事だって可能だ。何より、オルト自身はそれを望んでいる」

「……キャストの基礎練に混ざってるアイツを見た。ボクの目が節穴じゃなければ、ペコペコ頭下げながら食器を割ってた時より、ずっとイキイキしてるように見えるけど」

「……」


 頑なな娘の態度にギムからも思わず溜め息が溢れる。


「所で、なんで今更そんな話になるの?」

「ああ……次の公演の演目が決まったからな。その最終確認だ」


 その言葉でチロルは直ぐにその後の展開を察したようだった。


「随分早いね。もうオルトにデビューさせるんだ」

「今はメンバーの数が足りていなくてギリギリだったからな。メインではなくてもアクロバットのアンサンブルならば直ぐに出せるだろうと、バニラの判断だ」

「あの身体能力があればそうだろうね。……話はそれだけ?」


 仕事が残ってるんだけど。そう伝えるとギムももうそれ以上チロルを引き留めようとはしなかった。


「大丈夫だよギム。ボクは自分の立ち位置を弁えてる」


 扉に手を掛けたままチロルは父の方へと向き直る事無く告げる。


「……すまないな」

「それに何度も言ってるけど、ボクはシルクスと、ギムが見た夢が好きだ。自分の意思でここに立ってる。勘違いしないでよね、別にギムの為じゃないんだから」


 じゃあねと、彼女は部屋を後にした。扉を開くチロルの背中に、ギムが何か声を掛けてくる事は無かった。

 外に出ると、室内との寒暖差で身が縮こまる。


「ふぅ……」


 本当は今日、やらなくちゃならない仕事なんてない。だが自室に戻る気にもなれず一人夜空に視線を向けた。


 今日は新月。どおりで暗い訳だ。彼の瞳もいつから見てないだろう。

 はぁと小さく吐き出した溜め息は、墨汁を溢したような闇の中に溶けていき、直ぐに見えなくなってしまった。



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