2-10 強引な転向
「チロルさんはオレの事、自分が助けたんじゃなくてギムさんが助けたんだって言ってしました」
「んな事言ってんのかよ。だからその誤解される物言いどうにかしろって言ってんのに、アイツは……」
「そ、それでもオレは嬉しかったんです。確かにオレに人権を与えてくれたのはギムさんかもしれない。だけどチロルさんが動いてくれなければ、オレがオルトになる事はなかったから」
あの人の役に立ちたいんですとオルトは言った。
「現状、迷惑を掛ける一方なのは理解しています。それがあの人の負担になっている事も……だからこそ不甲斐なさに負けそうになる日がある事も、認めます」
「……」
「今のオレの所有者がチロルさんだからとか、そう言う事じゃなくて。ただオレが、オルトが、あの人の隣に並び立っていたい。あの人が裏方なのなら、オレはあの人と同じが良い」
彼が自分の意思をハッキリと持っているのならバニラの出る幕は無い。
バニラは自分よりもずっと背の高いオルトを見上げて、小さく微笑んだ。
「お誘いありがとうございます。でもオレはやっぱり、チロルさんと裏方をやりたいです」
「そうかい。分かったよ」
ポンと肩を叩くと、オルトも少しだけ口角を持ち上げた。
「あ、ですが……本当にチロルさんの手に負えなくて負担になってて、彼女が限界を迎えそうと言うのなら……オレは速やかに荷物を纏めて立ち去ります」
「何でだよ! そこはキャストに転向で良いだろうが! 一緒に舞台やろうぜ!?」
それから二人は顔を見合せてケラケラと笑った。
笑顔を見せるオルトの様子に、バニラも胸を撫で下ろす。自己肯定感の低さやチロルに認められたいと言う承認欲求。不安はあっても可及的速やかな対処は求められてない。今のバニラのすべき事は静観だ。
「だけど、なんかあればこのバニラさんに相談しろよ」
「はい、ありがとうございます!」
明日からもオルトは苦労するだろう。やる事なす事不慣れな事ばかりで頭を抱えて悩むだろう。それでも現状、彼が大事にしている気持ちが壊れてしまわないように気を付けていけば、近い未来色んな事が笑い話になるはずだ。
バニラも、オルト自身もそう思っていた事だろう。
フクロウマチでの公演は残り三日程。もう直ぐに次のマチに移動しながら、次の公演に備える日々がやって来る。
キャスト陣は新しい公演の稽古のために忙しくなるものの、スタッフの方は公演期間中の忙しさが僅かに鳴りを顰め、束の間の休息の時となる。そうなってくればオルトだって今以上にゆっくりとしたペースで仕事を覚えられるようになるはずだ。
歯車が綺麗にハマる予感を二人は感じていたはずなのである。
しかしその翌日、ギムから告げられたのは衝撃的な知らせだった。
「本日よりオルトはスタッフの仕事から外れて貰う」
いつものように朝食の支度のため、日が登る前から起きてきたオルトの元にやって来ると、ギムは淡々とした口ぶりでそう告げた。
「え……?」
厳しくても、それでも自分を救ってくれた彼女の役に立ちたい。バニラに胸の内を吐露してから数時間での通告に、オルトは立ち尽くした。
「次の公演からお前はキャストとして舞台に立ってもらう。指導係はバニラだ。今日の稽古から、彼の所に向かうように」
「ど、どう言う事ですか……? 確かにバニラさんから誘いは受けました。ですが最終的な決定はオレ自身に任せるって話では……」
「今回の決定にバニラは関与していない」
ギムの言葉にオルトの瞳がこれでもかという程見開かれた。昨日オルトを舞台側に誘ったバニラが関与していないとなったら、一体自分は誰の決定で異動になったのか。
「まさか……」
ハッとオルトが視線を後方に向ける。
そこにはこちらに背を向けて、黙々と朝食の下拵えを行なっている、少女の小さな背中があった。
間違いなくこの決定を下したのはオルトの教育係であるチロルだ。彼の意見を聞かずに異動の決定を下せるヒトは他にいない。
「チロルさん!」
目の前にいるギムに構わず、オルトは彼女のもとに駆け寄っていった。オルトからの声掛けに振り返ったチロルの目からは何の感情も読み取れず、目が合った瞬間オルトの肩が跳ねた。
「チロルさん……?」
彼女は元々表情豊かと言う訳ではない。だがこんなドロンとした、何の色も写していないような瞳をしているところなんて見た事がなかった。
「……何だよ」
苛立ちを含んだ声に怯みそうになる。
目を輝かせながら森で歌を歌っていた少女と、目の前の彼女がとても同一人物には見えなかった。
「オレがキャストになるって話を座長から聞いて……チロルさんの決定だろうと」
「妥当な判断だと思うけど。ボクの腕の怪我も殆ど完治してるし、お前の身体能力は舞台の上の方が向いている。苦手な事を無理して続けていく事もないだろ」
「そうかもしれないけど……それならオレ自身の意思はどうなるんですか?」
「先輩の決定だ。逆らうなよ」
「そんなんじゃ納得出来ません」
「納得出来ない事だっていくらでもあるもんだろ」
「だけど……ッ」
食い下がろうとしたオルトの肩に誰かが触れる。弾かれたように振り返った視線の先、花束が目に入る。
「……フランさん……?」
彼女は何も言わずに首を横に振る。
自分の知らない何かを感じてしまった以上、オルトはチロルにそれ以上追求をする事も出来なかった。
それから三日後。
シルクスは予定通りフクロウマチでの公演の全日程を無事に終了、恙無く千秋楽の幕も閉じた。
最後の幕が閉じた後もチロルは黙々と裏方の仕事に精を出していた。ストイックに仕事に従事する姿は周囲の目には半ば意地を張っているようにすら見えた事だろう。
そしてキャストへの転向を命じられてしまったオルトはと言うと、楽ステに向けて稽古に励むバニラたちに新人教育を行う暇があるはずもなく、この三日間はキャスト見習いとして舞台や稽古の見学以外に特にする事も与えられなかった。
その間、チロルとオルトとの間で発生した会話は、事務的なものを除けばゼロに等しく。
末っ子と新米の間に流れる微妙な空気を残したまま、シルクスは次の目的地であるマチへと発つのだった。




