2-7 心配性のお兄さん
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その日の公演も無事に大盛況の中、幕を閉じた。観客から上がる声援は日に日に大きくなっている。歓声の音量は自分たちへの肯定だとバニラは考えていた。
獣人だけで興行するサーカス団なんて、最初はどのマチでも警戒される。最初は物見遊山の冷やかし客が集まれば上々、そこから少しずつ公演そのものの質が評価されていくのがお決まりのパターン。
評価に伴い大きくなる歓声は何度聞いても気分が良い。
バニラには自分がこの一座の顔だと言う自覚がある。そうなれるように努力をしてきたつもりだし、事実それが仲間内で評価されている自負もあった。
研鑽に加えて、自分の見目が良い事もバニラは自覚している。何故から知らないが、猫を思わせるこの容姿は人からのウケが良いのだ。
人を惹きつけ魅了する。自分に与えられた役目を全うする傍ら、バニラはずっと妹と、彼女が連れてきた新米団員の事を気に掛けていた。
チロルがオルトの教育係として裏方の仕事を教えるようになって早一週間。二人の様子がなかなかに悲惨なものであったと他の団員達から聞いている。バニラ自身がその現場に出くわす事も多々あった。
あの青年は、家族以外の人と深く関わった経験の希薄なチロルが相手をするには荷が重い相手のように思われた。彼の半生が透けて見えるようになった今、その思いはバニラの中でどんどん膨らみつつある。
「お兄さんがちょっと、手ぇ貸してやりますかね」
バニラはキャスト達のミーティングを終えた後、オルトのいるトレーラーへと足を運んだ。
コンコンと扉を叩き待つ事数秒。黒い陰がぬっと扉の隙間から顔を出してくる。自由な時間を与えられてから長いだろうに、ずっと眠れずに一人、物思いに耽っていたのだろう。
「バニラさん……?」
「ちょっとその辺で話さねぇか?」
通常新人は四人一部屋での集団生活をさせられるのだが、オルトの場合はたまたま部屋の空きがなかったため、急遽倉庫の一部を改造して自室としている。とは言ってもサーカス団での暮らしにおける部屋なんて、私物の保管と睡眠を摂る事以上の使用用途も無い。
「公演、お疲れ様です。それとすみません、沢山ご迷惑をお掛けしてしまって」
「気にすんなって」
一言目に出てくるのは労いの言葉。そこに続くのは謝罪の言葉。
この一週間、事ある毎に謝り倒して来たのだろう。すっかり滅入ってしまっている様子だった。
(こりゃ重症だ。チロルが難儀する訳だ)
オルトの失敗をチロルが激しく叱責する事はない。彼女は出来ない事を強く責めたりはしないし、起きてしまった事にぐちぐち文句を垂れるようなタイプでも無い。それなりに修羅場の経験もあるため、チロルは良い意味でタフなのだ。
だが如何せん、多くを語る事を苦手としいてる節がある。そこはきっと、血の繋がらない父親に似てしまったんだろう。
「ここでの暮らしは慣れたかよ」
「皆さんによくして貰っています。特にチロルさんにはご迷惑をお掛けしてばかりで」
「……」
チロルはそんな風に思ってないぞ。
そう自分の口から伝えたところで大した効果は見込めないだろう。削られてしまった自己肯定感は、自分の行動とそれに伴う周囲の評価がなければ穴埋め出来ないものだ。
バニラは、連れ出したオルト相手に他愛のない話をして聞かせた。最近あった舞台でのトラブルの話。まだまだ駆け出しの頃、下世話な人間の客から卵を投げられてストリップを求められた苦い思い出。
そんな事を話しながら、トレーラーの集まった区画から少しずつオルトを引き離す。この手の話をするなら、ヒト目に付かない場所の方が好ましいだろう。
「本当に、ここのヒト達は皆んな優しいですね。元奴隷の自分を、受け入れて下さって……」
「その事なんだけどよ……」
サーカス団の生活区域からは随分と離れてしまい、近くの森の奥にまで来て仕舞えばもう、いくら獣人の聴力があったとしても二人の会話に聞き耳を立てる事は出来ない。
「お前さ、労働力目的の奴隷じゃなかったろ」
「……ッ」
バニラの指摘に、暗闇に溶け込んでしまいそうな濡れ羽色の毛が一瞬にして逆立った。
その様子にアーモンド型の瞳がすっと細められる。
「……やっぱりそうだよなァ。普通の奴隷であそこまで不器用なら、早々に処分されちまってる筈だ」
チロルはまず、単純な仕事からオルトに教えていた。そこから徐々にサーカス団特有の覚えなくてはならない事や、細かい仕事を与えていくつもりだったのだろう。
それこそ、予備のシーツの洗濯に始まり、最終的には公演の舞台袖でのアシストを教える、と行った様子で。
ただオルトが躓いているのは一番最初。
彼はまともにシーツを洗う事すら出来なかった。
「獣人の奴隷の用途は大きく分けて三つ。一つは力仕事や単純な肉体労働を肩代わりさせたり、旅商人なんかが護衛目的で使用するケース。もう一つは毛皮や牙の採取。長毛種や鱗があるタイプなんかも狙われやすいな」
仮に護身用の奴隷であったとしても、家の中の事くらい一通りさせられる。シーツが洗えないなんてことにはならない。
毛皮が目的の場合には、餌代が嵩むため奴隷商人がわざわざ生きた状態で檻に入れておく筈がない。もし彼がその用途で買われていたら、早い段階で屠殺されていた筈だ。
家事もろくに出来ない奴隷が何時までも生かされていた理由なんて、一つしか無い。
彼の方を見ると、金色の目がオロオロと泳いでいた。きっとこれは彼にとって暴かれたくない過去だったのだろう。そりゃそうだ。あんな過去、恥ずかしくてとても大っぴらになんて出来やしない。
その気持ちが誰よりも分かるからこそ、バニラは優しく微笑み掛けた。
「……俺もそうだった。愛玩用の奴隷だったんだよ」




