1-17 特別な印
(なんで、なんでだよ! 同じヒトなのに。人間のボクは救われて獣人のアイツは救われない。そんなこと、そんなこと……!)
悔しさからチロルが固く瞼を閉じる。
頭をどれだけ回しても打開策が浮かばない。どうしよう、どうしよう……!
このままではオルトは殺される。仮に生きていたとしても首輪で繋がれ死んだ方がマシだろう扱いをされるのは間違いない。
奴隷となってしまった彼をどうやって救い出せば良いのだろうか。
「確かに、獣人の売買は法律で禁止されている訳ではない」
絡まりそうになる思考回路を必死に回していたチロルだったが、背後から聞こえてきた声に我に返る。
聞き慣れたそ低い声は、彼女に最大の安らぎをもたらしてくれるヒトの声だった。
「だが扱うためには獣人法第二十五条に即した資格取得が必る。印無しを捕縛するのにも同様の資格が必要だ。獣人が商品と成りうるからと言って誰彼構わずその毛皮を剥ぎ取れる訳では無い」
コツンコツンと、底の分厚い靴が床を叩く音が辺りに響き渡る。その音が鳴る度に、周囲は静まり返っていく。
裾の長いコートを翻しながらこの場に現れたシルクスの座長であるギムは、一歩一歩、ランウェイを歩くかのような歩調でこちらに近づいて来た。
「君達、その資格の証明は可能なのか? 直ぐに警察を呼んで確認して貰おうか?」
「い、いやぁ……その証明書は今なくてな」
「構わない。登録コードを警察に確認させよう」
「いや、そんな……獣人如きが警察を動かせるはずが……」
「……これを見ても、そう思うか?」
そう言うとギムは上に羽織っていたコートを脱ぎ、自身の二の腕を男達の前に晒した。
そこには当然、人権を持つ獣人の証明である印が付けられている。だがバニラ達が持つそれとは模様が違っていた。
ギムの緑色に光る黒い鱗に覆われた皮膚。その上に刻み込まれていた印は日出る翼に、更に月桂樹の葉が描かれた焼印だった。通常の印ではないそれは、人権の証明以上の意味がある。
「流石に見覚えがあるようだな」
ギムの言葉に男達は言葉を失っていた。
「嘘だろう……王政府直属の役人の印なんて。たかが旅一座の座長にそんな権限が……」
「嘘でも冗談でもなく、これが事実だ。マチの警察程度では私の申し出を断れないだろう。私が調べろと言えば彼らは小一時間もしないで結果を運んできてくれる筈だ。……彼らを呼んでも、問題はないのかね?」
最早ぐうの音も出まい。
男達が歯噛みをする音がこちらまで聞こえて来そうだった。
「さて、どうする? 交渉の余地など、そちらにあるとは思えないが」
その言葉が決め手だった。
「……ずらかるぞ!」
男達は尻尾を巻いてその場を後にしていく。どうやら彼らは無免許のまま違法で人身売買を行っている、ようは半グレ集団だったようである。
倉庫の中にはシルクスの面々だけが取り残されていた。
「逃してしまって良かったんですかギムさん」
男達がいなくなった後でバニラがギムに尋ねた。
「誰が逃がすと言った。近くに警察を呼びつけてある。袋のネズミだ、向こうから勝手にお縄にかかりに行くだろう」
「流石ギムさん、抜かりない。それにしても奴らが無資格のバイヤーだって良く分かりましたね」
「ハッタリだ。そういう連中も多いからな」
「本当に流石ですね!」
二人の会話を横目に、チロルはパッと走り出した。
「オルト! 大丈夫か⁉︎」
毛皮の色のせいで分かりにくいもののどれだけの血が滲んでいることだろうか。彼の体には酷い暴力の痕が身体中に刻まれている。
「オルト、オルト!」
意識も混濁しているため、チロルの声掛けにも返答が返ってこない。
「ギム、どうしよう……!」
チロルが助けを求めると、ギムは即座に彼を運び出すようスタッフ達に指示を出した。グッタリとしたオルトが連れていかれる様を、チロルはその場にへたりこんだまま、見ている事しか出来なかった。
「お前も直ぐに医者にかかれ」
「ギム……」
チロルの体をギムはひょいと抱き上げた。
彼女だって幼少期と比較すれば確実に成長しているはずなのに、大柄なギムの腕の中に収められるとどうしても実年齢よりずっと小さく見えてしまう。
表情も相まってまるで迷子の子どものようなチロルの背中を、ギムは優しくポンポンと、あやすように叩いた。
「大丈夫だ」
父は多くを語らない。だがその掌と低い声は、無条件にチロルに安堵感を与えてくれる。堪らず父のコートにギュッとしがみついた。
そうして再び倉庫の外に連れ出されると、駆けつけた警官達によって人身売買のグループが連行されていく様子が確認出来た。
「ギム、オルトはどうなるんだ?」
「テントでルニアンが診る。印無しの獣人なら、下手に病院に連れていくよりウチで見る方が安心だろう」
そう言ってまた背中を叩かれる。
「良く生きて逃げ延びた。今日はもう休め」
ギムは、大きなトカゲを思わせるような姿をしている。
そのためなのか彼の体温は他のヒトよりも少し低い。
他のヒトとは違う安心をくれる体温と香りに包まれて、緊張の糸が切れたのだろう。おまけに今日は色んな事がありすぎた。
公演に穴を開けさせてしまった申し訳なさ。
結局自分では何も出来なかった不甲斐なさ。
そんなものを抱えながらもチロルの意識は微睡みに引きずられていってしまった。
こうして、チロルの誘拐事件は幕を閉じた。
そしてこれがチロルとオルト。
少女と青年。
名前を付けた人間と名を与えられた獣人。
二人の最初の出会いとなる。
笑い合い、時に諍い。舞台を通じて家族としての絆を深めていくその先で……。
自分達がいつか対立しなければならない運命にある事など、この時はチロルもオルトも、周囲の誰も知る由もないのだった。
第1部 ヒト耳少女と奴隷の少年 了