1-10 自由の提示
「な、名前なんていらないだろう……! オレは奴隷だ。お前だって直ぐに買い手が見つかる。そうしたら適当な呼び名を付けられて……」
「ボクの名前はチロルだ。父から貰ったこの名前以外で生きるつもりは無い」
愛玩動物のような名前を付けられて生きるなんてまっぴらごめんだ。自分にはやるべき事があるのだから、誰かのペットになってる暇なんて無い。
「もし、お前がその訳の分からないナンバーとか、どっかの貴族がノリで付けたような名前を背負って生きるつもりならそれでも構わない。ボクには関係の無い事だしな。ただ……そうじゃ無いって言うのなら、ボクに手を貸せ。ここから抜け出すぞ」
「……何だって?」
オルトは信じられないと言わんばかりに表情を曇らせた。チロルとしては、おかしな事を言っているつもりは微塵も無い。不当に捕まえられたのだから、正当な権利を持って逃げ出すだけだ。
(まあコイツは正当な手順で売られてきた奴隷かもしれないけど)
余計かエゴかもしれない。オルトと勝手に名付けた彼が、本心から脱走を望んでいる訳ではないのかもしれない。それでもチロルには見て見ぬ振りなんて出来なかった。
ここで虐げられる彼を見捨てはシルクスの理念に反する。例え舞台に上がれなくても、チロルはシルクスの一員なのだから、胸を張ってあの場所に帰りたい。
「逃げて、それからどうするつもりなんだ。人権のない獣人の行く宛なんて、この世界の何処にもない。まさか獣人街に逃げ込んで、闇に紛れて生きていくつもりか?」
「奴隷でいるより少しはマシな選択だな。ボクは行かないけど」
「それなら何処に……」
「帰るべき場所に帰るだけだ」
「……帰るべき場所?」
「一緒に逃げるってんなら、お前の事も歓迎するよ。ウチはそういう、訳アリに優しいから」
言葉の意味が理解出来ないのか、オルトは眉を顰めた。そんな彼にチロルはふふんと鼻を鳴らして得意げな表情で笑い掛ける。
「その体格があって、牙があって爪があって。そんな小さな檻の中に引きこもっていられるお前の気がしれないな。折角世界はこんなに広いんだから。あちこち見て回らなくちゃ損だろう」
「世界……?」
「そうだよ。ふざけるなって怒鳴りたくなるような理不尽も転がってるけど、そんなの皆で歌って踊って忘れちゃえば良い。一緒においでよ、クソッタレた世界だけど、外は案外悪い所じゃない」
「……」
「そのために……」
会話の途中で倉庫の扉が開かれる音がした。咄嗟に口を噤むと、チロルは音がした方を睨み付けた。
「アイツは見るからに愛玩用だろうが。傷物にしちまったら、価値が下がっちまう。それを思い切り蹴飛ばしやがって!」