1-9 嫌いな目
体毛の黒さ故にどういう体勢が取られていたのかハッキリとは分からなかったが、相手はやはり獣人だった。
狼のような顔立ちをして、四肢と尻尾がとても長い。
「他にこの状況で声を掛けられそうな相手がいると思う?」
「命令以外で話す気は無い」
ツンと青年はそっぽを向いてしまった。
「もうご主人にシッポ振る練習を始めてるのか?」
青年の反応が面白くなかったのか、チロルの眉間にシワが寄る。
「威勢がいいのは結構だが、ここに連れてこられた以上お前もオレと同じ穴の狢だ。買い手が付けば同じ事をさせられる。いや、生きる為にそうせざるを得なくなる」
「……」
声にも瞳にも覇気がない。ただ事実を語る淡々とした口振り。先程とは違った意味合いでチロルの眉間がキュッと寄った。
彼は、自分が物のように扱われる事を受け入れている。さも当然だと言わんばかりに、自分の人権を軽んじていた。恐らく彼はチロルのように今し方誘拐されて来たのではなく、元々奴隷だったのだろう。彼は奴隷がどんな扱いを受けるのかを知っている様子だった。
(同じ立場の相手がいるなら協力して逃げ出せるかもって思ったんだけど……)
チロルは再度、隣の檻に視線を向けた。
体が大きい。ギムは身長が二メートル近くあるのだが、彼もそう変わらないのではないか。いや、体を小さく丸めているせいで分かりにくいだけで、ギムより大きいかもしれない。
体も筋肉質で、見るからにパワーがありそうだ。掌も大きく、チロルの頭蓋骨なんて簡単に握り潰してしまえそう。
獣人はそもそも平均的な身体能力が人間のそれよりもずっと高い。彼程の体格の良さがあれば、こんな所で大人しく捕まっている必要も無いだろうに。
彼があの檻の中に窮屈そうに収まっている事実そのものが、反抗する為の牙も、これまでの悲痛な境遇で抜き取られてしまった証拠なのだろう。
(気に食わないな……)
シルクスは獣人サーカスだ。元々奴隷だった所を救われて加入したメンバーも多数在籍している。
彼らがどんな扱いを受けて来たのか、何を見て来たのか。チロルはその詳細を知っている訳ではない。だが彼らが心と体に負った無数の傷の深さを、嫌という程近くで見てきた。
奴隷上がり構成員は皆、最初は揃いも揃って同じような目をしているのだ。
どんな理不尽でも、無感情に受け入れなければきっと心が壊れてしまうのだろう。それ程までに傷付けられ、虐げられてきた結果の生気の無い瞳。
曇天の空よりも暗い目が、チロルは大嫌いだった。
一部の獣人達が受けている不当な扱いへの怒りは抑えようがない。
人間と獣人は見た目と身体能力の差こそあれど、それ以上の差異はない。それなのに多数が少数を抑圧する社会に、チロルはずっと疑問を抱いていた。
「お前、名前は?」
チロルの問いかけに、青年は小さく「は?」と声を漏らす。
「ボクはチロル。ほら、先に名乗ったんだからキミも名乗れよ」
「……No.091942」
「そんなもの、名前とは言わないだろ。それ以外に何か無い訳?」
「……無い」
「全く仕方がないな。そうだな……それなら……」
顎に手を当てて、目線は上方に向けた。
何かないかなと記憶を手繰り寄せる。浮かんでくるのは幼い頃、眠れない夜に父が話してくれた寝物語。
「オルト」
「……オルト?」
「昔話に出てくるオオカミの名前がオルトなんちゃらだったから。お前、犬科系の顔してるだろ」
「なんちゃらって……」
突然知らない少女に名前を付けられ、青年、オルトの表情には動揺の色が浮かんだ。




