4 生きる意思
ここはどこだろう――あぁ、いつもの白い空間だ。
トイエリさんに会いに行こう。
扉を探して前を歩いているつもりだったが、白一色の空間に、歩いているという事実すら疑わしくなってくる。
「おかしいな。扉がない。いつもはすぐ目の前にいるのに…。」
そう思った矢先、上から紙がヒラヒラと降ってきた。
その紙を拾い上げると、普通のA4サイズの紙だった――しかし、何も書かれていない。その瞬間、突然“単語”が浮かび上がり、次々と現れては消えていく。
“帝国”
“逃げろ”
“王国”
“行け”
一つの単語を読むたびに消え、また別の単語が現れる。その繰り返し。
「帝国…王国…あ!そうだ!俺、帝国の奴らに無理やり奴隷契約をさせられた!これは校長室でトイエリさんが最後に言っていたことだ!」
「確か…帝国から逃げて、カ、カカカ……王国に行けって――」
(急な出来事で肝心の王国の名前を覚えていないなんて…。)
「でもどうやって帝国から逃げればいいんだ?俺はただの普通のサラリーマンだぞ。金なしで警察に見つからないよう、空港から外国に逃げろって言われるようなもんだ。」
召喚された直後の出来事を思い返すと、混乱はさらに増してくる。その時、また紙に新たな言葉が浮かび上がる。
“魔法”
“使え”
「魔法を使えって言われても、使い方がわからないよ、トイエリさん。」
強引に奴隷契約された事実を思い出すだけで、将来が真っ暗に思えてきた。諦めそうになったその時、再び単語が現れる。
“魔法”
“≒”
“想像力”
“雄二くん”
“絶対”
“できる”
“私”
“助ける”
「もう、こんな単語を見せるなんて…つらい気持ちをこらえないといけないだろうが。」
(正直、少しは泣いてしまいそうだった。でも、今は別の意味で涙が出そうだ。)
「トイエリさん、ありがとう!俺、頑張ってみる。」
深呼吸し、心を落ち着かせる。
(こんな時だからこそ、冷静になれ。社会人何年やってるんだ?トラブル対応なんて慣れっこだろう。前向きになれ。最善と最悪の対応方法を用意して、絶対うまくやり遂げてみせる――いつものことだ。)
その後、紙に次の単語が浮かび上がる。
“助っ人”
“試す”
“呼ぶ”
「ありがとう。あなたも無理しないように。この世界に直接干渉できないんだろう。正直、あなたの言葉がなかったら、もう諦めていたよ。ホントに助かった。助っ人が来れるなら助かるけど、期待しないようにして待っておく。」
俺はあえて、いつもの調子で言った。
最後に現れた言葉は――“ごめん”。
多分、トイエリさんは今も罪悪感を感じているのだろう。自分の世界が急に俺を誘拐したことに…。
紙が消えた後、俺はあの白い空間の上に向かって、少し大きめの声で話しかける。
「大丈夫、オタクの妄想力の強さを忘れたのか?ただの妄想の力で魔法を使えれば、すぐに習得してみせる!安心しろ!次に会う時は椿ちゃんの和風メイド服でお願いします!」
彼女の罪悪感を少しでも減らすために、精一杯の笑顔を作って上を見上げた。
自分の言葉が届くことを祈りながら、心の中ではそっと感謝の思いを抱く。
その時、少しずつ雨の音が聞こえ始めた…。
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雨の音が次第に大きくなり、意識が戻った。
目を開けると、見知らぬ天井が目に入った――その瞬間。
「かぁぁぁーーー!ゔぁ!うぁぁぁぁーーー!!」
思わず大声を上げた。体内を泳ぎ回る、熱い何か――その嫌な感覚が全身を駆け巡っている。
その何かは、まるで40cmの太陽が体内を動き回っているかのようだった。移動する場所の細胞や神経が焼かれるように熱く、頭が割れるような痛みを伴う。そして身体全体には別の違和感――幼稚園児の服を無理やり着せられたような窮屈さ。そうだ!全身に小さな圧迫スーツを着せられているような感覚がする。呼吸すら苦しい。
誰かの声が聞こえた――俺の声ではないが、女性の声だ。
誰が俺と同じように苦しんでいるのか?今はどうでもいい。耐えるんだ!耐えなければ死ぬ!俺が死んだらトイエリさんが悲しむ!耐えろ!
「か…かぁぁぁぁーーーー!」
頭を押さえたいが、手が言うことを聞かない。その痛みに耐えるしかない。
暑い。
俺の上に被せられている布団のようなものを蹴り飛ばしたが、それでも何かは熱いままだ。その熱いヤツを、誰か取ってくれ!
「あぁぁぁーーーーー!うわああああーーー!!かーーーあーーー!」
誰かの話し声が聞こえる。その後、誰かが俺の手を握った。
その手は冷たくて涼しい。ぼんやりと見えた――何もはっきりしないが、多分茶髪の女性だろう。彼女が俺の手をしっかり握ってくれている。涼しい…ありがたい…う…耐える…俺は耐える。
暑さが襲ってくる中、彼女が手を離した。代わりに俺の上半身を持ち上げ、口に何かの液体を流し込んできた。
水だ!冷たくて美味しい!
飲み終わった後も、ひたすら体の痛みと熱さに耐え続ける。耐えろ。痛みと熱さに耐え続けるうちに、叫びと気絶を繰り返した。
心の中ではずっと、夢の中で見た“単語”を反芻しながら耐えていた。
何日が過ぎたのか、それとも実際にはたった数分なのか――神経系統が次第に痛みに慣れ始めた。ようやく少し思考の余裕ができた。嫌な全身圧迫スーツの感覚にも慣れ、水を何杯飲んだかすら覚えていない。俺を介護してくれている女性には感謝しかない。
脳内に余裕が出ると、まず考えたのは――この熱い何かを消す方法。
異世界ラノベの知識を頼りに状況を考える。
この熱い何かは、きっと俺の“魔力”だ。元々の身体には魔力がないはずだが、トイエリさんが魔法を使えと言ったのだから、今の身体には魔力があるということだ。
まず最初にやるべきことは、“魔力操作”。
“魔法≒想像力”という教訓を頼りにする。定番の知識だが、これが命がけの状況を救う鍵だ。俺の最初のイメージがこの熱さを生み出したのならば、そのイメージを上書きすれば良い。
明確なイメージを持つんだ――俺にはできる!体内のこの何かを支配するんだ。そして、その何かは太陽ではなく…。
“そう…水玉だ、涼しい水玉だ。そして穏やかな水玉。”
穏やかに…。
水――そうだ、さっき飲んだ水の温度を思い出すんだ。水を飲んだ後、熱さが少し和らいだではないか。痛みを忘れ、涼しい水の温度を思い出してイメージするんだ!
眠れない夜に寝ようと考え続けるように、俺は涼しい水玉のイメージを何時間も描き続けた――海、水鉄砲、クーラー、涼しい物をひたすらイメージする。
そしてついに――その瞬間が訪れた。
熱い何かの温度が急に下がり、俺が想像した涼しい水玉の温度に変わったのだ。オタク知識の勝利だ!
ミッション1、“魔力操作”クリアとしよう。
だが、体内のその何か――いや、水玉は熱さをなくした後でわかったことがある。あの水玉は、結構な速度でどんどん大きくなっているようだ。
早速、次なるミッション2だ。
体内で未だに泳いでいる巨大な水玉は、どうやら魔法で影響を及ぼすことができる。それならば、これは俺の魔力に違いない。この魔力を体内にバランスよく分散させれば良いのだ。
熱さがなくなり、痛みもかなり麻痺してきた今、頭の中の余裕が出てきた。だからこそ、イメージがしやすくなった。細かく体に吸収するイメージ――
“栄養素が細胞に吸収されるイメージ。”
しばらくすると、水玉の成長速度は完全に止められないものの、その速度をかなり減らすことができた。
その栄養は隅々まで行き渡っているのが実感できる。体感では、80cmほどに成長した水玉が未だに血管内を泳いでいる。しかし、その成長を抑えることができたので、これでミッション2はクリアとしよう。
とは言え、うまく分散したものの、俺の細胞たちは『もう食べられない』と訴えかけているように感じた。それでも、水玉は未だに少しずつ大きくなり続けている。問題は依然として解決には程遠い。
ここで考えるミッション3だ。
ゲーム脳で考えるなら、体内の細胞はすでに“魔力満腹状態”――すなわちMP満タンの状態だ。そして、体内の水玉は余った魔力そのものであり、今も大きくなり続けている…。
俺が導き出した答えは二択だった。
一つは俺の魔力上限が少なすぎること。もう一つは、魔力の自然回復速度が速すぎること。このどちらかだろう。もしそうなら、解決方法はシンプルだ――魔法を使えばいいのだ。
早速魔法を使ってみるか…だが、今まで気づかなかったが、俺は本当に“起きている”のだろうか?もし気絶したら、魔法は使えるのか?
わからない。考えても無駄だ。
とりあえず、今の問題を解決することが優先だ。
魔法――どんな魔法を使えば良い?
ファイヤーボール?だが、側には俺を介抱している彼女がいるかもしれない。誰なのかは知らないが、恩人を傷つけるのは避けたい。
発想を変えよう。
直接、魔力を身体から放出することはできないだろうか?今、大きくなり続けるこの水玉を何とかするために、考えるより行動だ。
そこで思いついたのは――“汗”。
身体が自然に水分を流出させる方法だ。これを魔力にも応用できるはずだ。
早速、魔力を汗腺を通して毛穴から体外へ散布するイメージをした。
何時間が過ぎただろうか。
体内の水玉の成長はついに止まり、次第に小さくなっていき、やがて完全に消え去った。その瞬間、身体中の痛みも水玉の消失と同時に消えていった。
なんだか、非常に長い戦いをしていたような気がする――だが、俺は勝った。
生物学がまさかここまで役に立つとは思わなかった。顔も名前も思い出せないけれど、生物の先生、本当にありがとう!そしてラノベ知識にも感謝だ。ミッションコンプリート。
ごめん――気が抜けると眠くなってしまった。
ちょっとだけ寝…よう……。