リュイ(3
※軽い下ネタ注意
――それで、だ。衣装を選んでルキ様が……。
「リュイ、心ここにあらずという風だな? 緊張しておるのか?」
ぴったりと身体の線に沿っているが、露出度が低いために決して下品にはならない赤いドレスに身を包んだ美女が皮肉気な笑みを浮かべた。
これは、これはこの1週間で良く見た癖、よく聞いた声。
「……あっ、へ、へいか……?」
「たかが化粧のひとつやふたつで狼狽えるでない」
「……ひとつやふたつ……ひとつやふたつ?」
絶世の美女こと、皇帝アレクサンドルは姿勢を正すと食事を続ける。
「良いか? リュイ。私はアレクサンドルだが、アレクサンドラでもある。分かるか?」
「全く分かりません」
「お前、そこの返事はしっかりできるな。他はぼんやりなのに」
「ぼんやり」
アレクサンドルはカップに注がれた果実酒をごくごくと飲みながら話す。
「……私が産まれる時、父は名前に悩んでおられた」
皇帝の話はこうだ。
名前を付けるのがめんどくさくなった先の皇帝は男でも女でも愛称の変わらない『サーシャ』にしようと思い立つ。
男なら『アレクサンドル』、女なら『アレクサンドラ』。どちらも愛称はサーシャだ。
そして生まれてきたのは女であったので、アレクサンドラと名付けた。
彼女は成長する毎に周囲を圧倒していく。思いの外良く出来た子であったのと、占術師の託宣が後押しとなり、次皇帝の座は満場一致でこの娘に決まった。
そもそも帝国では昔から女帝が立つこともあったので、素地はある。あるが問題は配偶者だ。
これまで立った女傑とも呼ばれた女帝たちは、皆男運が殊の外悪かった。例えば――。
皇配が女帝を弑し皇位簒奪。女帝の傍系が簒奪し返したり。
女帝が皇配に政の決定権や采配する権をねだられるままに譲渡してしまい、国が混乱する事態になり、こっそり皇配を病死に仕立て上げなくてはならなくなったり。
皇配が次々と女に手を出す。女帝のための後宮はあったが、皇配の嫉妬で刃傷沙汰があったために閉じれば、その皇配が浮気性であった。嫉妬からの反動であるとも言うが、女帝も耐えきれなかったのだろう……ちょんぎった。
「ひぇ」
リュイは思わず手で隠した。何を、とは言わない。
「まあ、過去そういう事があったのだ。そして私は男装していたわけでも、女ということを隠している訳でもない。ただ皇帝を継ぐにあたり『アレクサンドル』に名前を変え、帝国の正装である軍服を身に付けているだけだ。だが愛称は変わらぬ。身内は皆私をサーシャと呼ぶ」
ふふ、と目線を下げて微笑った皇帝にリュイは見惚れる。
「それでな、私にはいわゆる男の好む女らしさが少ないらしいのだ。要は丸みと膨らみが。代わりに背が男に引けを取らぬくらい伸びた。それで性別を黙っておれば男と見なされることが多いのだ。だからこそ、そこで人を見て……自ら選び取ることができるのだよ、リュイ」
アレクサンドルは皿の上の肉をカトラリーで弄んでいる。
「リュイ、お前は 女が苦手なのだろう? 私はどうだ? 苦手か」
弄んでいた肉を突き刺し、リュイの口元に差し出す。思わず口を開けると、そこに肉を突っ込まれた。
――これは、まさかこれは『あーん』というやつでは!?
リュイの頭は熱暴走しそうだ。彼には情報量が多すぎてパンクする。
「すぐに私と分かってもらえる予定だったのだが、時間がかかってしまったために説明しなくてはならぬことが多い。意外とにぶちんなのだな」
「に……にぶちん」
「よくそれで気を回さねばやっていけぬ従者になどなったものよ。で、どうだ?」
「……っど、どうとはっ」
「私のことは苦手かという話だ」
リュイは天を仰ぐ。見えるのは空でも神でもないアーチを描く高い天井だ。
「正直に言わせて頂ければ、苦手ではありません」
「ほう?」
アレクサンドルの瞳が獲物を捉えて光ったように見え、リュイは冷や汗をかく。
鈍感なつもりはない、ないのでこの一連の会話はおそらく。
「まだ知り合って間もないです、陛下! へ、陛下のことは苦手ではなく、むしろその逆……ンンッ。お美しいと思いたてまつります」
「奉らなくともよいが。お前緊張しすぎだぞ、酒でも飲め」
勧められるまま、リュイは果実酒を飲む。
「う、美味いです……」
「だろう? 今夜のためにナーチェから取り寄せたのだ」
聞いたリュイは盛大に噎せてテーブルに噴いた。
「ははは! 勿体ない、あははははは! 驚いたなリュイ、あははははは」
アレクサンドルはリュイを見て大いに笑った。
ナーチェは大陸の端だ。帝国からでも数ヶ月はかかる。
リュイが帝国に来たのは1週間前であるから計算が合わなさすぎる。
「じ、冗談ですよね、陛下」
「冗談ではないぞ、リュイ。そして私のことはサーシャと呼べ、許す」
思わずリュイはカップに視線を落とした。両手で持ったそれには、赤い果実酒が揺れている。
「陛下……もしかして私を後宮に?」
「いや? リュイをあそこにやる気はないよ」
アレクサンドルは視線を落とした。リュイの気のせいかもしれないし、酔いのせいかもしれないが、彼女の目の下はほんのり紅く染まっているように見える。
――あんなに女が怖いのに、陛下のことは大丈夫なのはなぜだろう。男だと思っていたからなのか?
目を伏せていたアレクサンドルが、リュイの瞳を見つめた。
「私はな、リュイを正室にしたいと思っている」
「……はぁ、なるほど、せいしつですか」
リュイはカップに口を付け、酒を飲む。ごくりと飲み干すとそのまま固まった。
「……せいしつ?」
「正室だ。皇配とも言う」
「こうはいかあ」
「まあ急なのは急なのでな、そこはゆっくり考えると良い。婚姻は焦ってはおらぬゆえ」
「……せいしつ? ……こうはい?」
「リュイ、大丈夫かお前。酔ったか?」
アレクサンドルが少し心配そうにリュイを見る。
「とにかく婚姻はゆくゆくで良い。今夜は後宮に部屋を用意したので、伽をだな――」
リュイは立ち上がって、ずい、とアレクサンドルの顔の前に屈んだ。
「えっ!? まさか、まさか陛下は私と閨を共にということでしょうか!?」
「お前急に元気だな」
「む、無理です! 畏れ多すぎてできません! たちません!」
リュイの言葉は最後悲鳴のようにも聞こえた。
「そこは元気ではないのだな、それは困る」
「な、なぜ私なのですか!? まだ出会って1週間ですよ、陛下」
言われたアレクサンドルは目をぱちぱちと瞬かせる。
「そうか、大事なことを伝えてなかったな、実はな」
リュイをひたと見据えた。
「お前は1週間かもしれないが、私にとっては6年だ。一目惚れからの6年におよぶ片想いだ」
そう言ってうっそり微笑むアレクサンドルは、今まで見た彼女のどの表情より美しかった。
「あ、ありがとうございます?」
「と、いうわけだ。これで納得してもらえただろう? よし、今夜は初夜だ」
「男前ですね、陛下」
「敵に逃げられる前に止めを刺さねばな、それに」
「それに?」
「後宮で己の立場を分からせないといけない者共がおるのでな」
それまで温かかったアレクサンドルの雰囲気が一気に剣呑なものに変わって、リュイは息を飲んだ。
おかしい。
ヒーローのポンコツ化が止まらない。