リュイ(1
大陸の半分を支配し、大陸の覇者とも呼ばれるファン帝国。
この帝国には男子禁制の後宮がある。
ファン帝国を築いた、祖・ファン1世が繁栄と権力の示威のために自国各国から美姫を集め囲い侍らせたのが始まりと言われる。
現在の後宮の主は6世皇帝アレクサンドル・ファン・メイエット。
16歳の若き皇帝だ。わずか10歳にして栄華を約束される代わりに責任重大な頂きに立った。
アレクサンドルの背は高く、肉は付きすぎずほっそりした長い手足、彫像のような白い肌と鋭さのある瞳は帝国人には珍しい。
帝国人は多種多様な人種が交わっているが、特徴として多いのは肌が浅黒く髪と瞳は茶色。顔の彫りは深く、体格も厳つい。従者として仕えていたニエムはこの特徴にぴったり合う帝国人らしい帝国人の中の帝国人だ。
さて、件の皇帝はその面立ちは中性的、嫋やかな皇太后によく似ているが見た目に反し武にも秀でているため、異性同性問わず帝国内外での人気が高い。
そのために正室どころか、側室扱いで身分は奴隷となる後宮に上がりたがる者は自薦他薦問わず年中引きも切らないのだが、本人はどこ吹く風とばかりに意に介さない。
そして本日、件の皇帝はやはりのんびりと庭園で本を開いて寛いでいた。
つい最近、自分の後宮に人を入れたことで宮殿内どころか帝国内が慌ただしいが皇帝アレクサンドルにとっては些末な事だ。
現在世継ぎ作成のため、と休暇を取っているところだが後宮にはまだ顔を出していない。
「慣れたか? リュイ」
皇帝は背後に立つ新しい従者に声を掛けた。
「……は、いえ、まだ慣れておりません陛下」
帝国軍服に着られている状態だ。アレクサンドルはふ、と鼻で笑う。
「――で、奴らの様子はどうだ」
「サリーに会いたいと……」
「ふむ……特に誰だ」
「……ロイス以外の……」
リュイが言いにくそうに伝えると、アレクサンドルは珍しく腹を抱えて大笑いする。
リュイは初めて年相応の表情を見せる主の様子に目を見張った。
『帝国皇帝アレクサンドルは傲慢で冷徹非情の人非人である』と王宮では言われていた。
厳密には王家のみで、だが。
けれどリュイは、まだ仕えて短いながらもこの若き皇帝への評価は違うのではないかと感じている。
確かにマッドの利き腕を斬落とした時は、なんと恐ろしく非道なことをとは思ったが、あれは彼のためでもあると今なら分かる。
リュイ以外は皇帝が言った通り後宮に入れられた。それにあたり、皆奴隷の身分となる。
皇帝はあの悪夢のような日に、リュイも帝国に連れて帰ると血の臭いの充満する中で王に言った。
* * * * *
リュイは元第3王子クリスタの乳兄弟である。
クリスタの乳母に選ばれたのはリュイの母だ。
――だが、リュイは正真正銘クリスタと兄弟である。
同い年だが、リュイの方が半年早く生まれたクリスタとは血を分けた兄である。
リュイの母は貴族ではない。ただのお針子だった。
城から出される繕い物を繕い、日銭を稼ぐごくごく普通の庶民であった。
彼女の人生が変わってしまうのは、16年前のある日、急に降りだした強い雨の日だ。
彼女は仕事帰りにぬかるみにはまった小さな馬車と行き遇った。最初は通り過ぎようかと思ったのだが、お節介焼きの性質から見過ごすことができず、車輪をぬかるみから外す手伝いをする。
雨避けかフードをすっぽり被った男1人だけだったので、不安はありつつも彼女は思い切って男と一緒に馬車を馬を車輪を引いたり押したりした。
小一時間はそうしていただろうか、何とかぬかるみから車輪が出た時には彼女の身体は冷えきってガタガタと震えていた。
フードの男はそれに気付くと、馬車で送ると彼女を乗せた。男は湯が使える料理屋で馬車を停め、部屋を取った。
温かい湯に浸かり、汚れを落とし、温かい飯を食えば礼にもなると思っての事だ。
世慣れしていない若い2人はそうと知らずに連れ込み宿に入ったのだ。
彼女もまた素直に礼を受け取り、湯を貰った。
このまま帰っていたなら彼女は市井で幸せに暮らしていけたかもしれない。
残念なことに彼女は若く、見目が良かった。
フードの男は湯上がりの彼女を見初めてしまい、そのまま手篭めにしてしまったのだ。
そしてそのまま泊まり、朝になっても離さずそのまま彼女の家までついてきてしまった。
彼女の両親は無断で外泊した娘に驚いたものの、庶民の世界にはままあることのため、心配はしていたが娘にも、捨て置かなかった男にも怒りはしなかった。
これは男が彼女の両親に少なくない金を渡したせいもある。
そして男は月に数度通ってくるようになり、とうとう彼女は妊娠する。妊娠発覚から出産後は男が来ることはなかったが、代わりに金の入った袋と男からの愛の詰まった手紙が定期的に届けられることになる。
彼女は――リュイの母は早い時点で相手が妻子持ちだと気付いていた。
貴族であることは最初から分かっていたが、家庭があることまでは流石に見抜けなかったのだ。
リュイの母はどうあっても一緒になれない立場の男だろうと考えた。男からは愛の手紙が届けられたが、彼女は文字が読めない。万が一のために届いたものは火に焼べていた。
男のことは欠片も愛しいと思えない。お金はともかく読めない手紙は残してもろくなことにならないと彼女の勘が告げていた。この勘は正しいと後々知ることになる。
王国は一夫一妻制と言っても、裕福な貴族や商人なら妾・男妾をこっそり囲っている者も少なくなく、生活のために割りきって妾をする者もいるくらいだ。
なので彼女は割りきることにした。
生まれてきた子供は彼女の生きる支えだ。
男が彼女をすっかり忘れて、二度と会うことがなくても子供は違う。ずっと側にいる。
しかも彼女の子は彼女の色をそっくり受け継いでいたので、仮に男の家族が彼女から全てを取り上げようとしても言い逃れることが出来るとそこまで考えていた。
ところが突然の王家王宮からの使いにより彼女の願った穏やかな生活は壊れていく。
第3王子の乳母として召し上げられたのだ。
本来なら王妃の派閥から出しているのだが、王は上手く派閥の者を抱き込んで彼女を捩じ込んだ。
本人の身元と推薦者がしっかりしていて、母乳が良く出ていれば庶民であっても貴族や王族の乳母になることは珍しくない。
まして彼女は未婚の母だ。夫が家で帰りを待っているわけではないので、都合がよい。
乳母の仕事だけであれば良かったのだが問題は王だ。
王は自分が第3王子の様子を気にかけているように見せかけて、リュイの母を貪る。それを不自然に思われないためだけに彼女を乳母に捩じ込んだのだ。
執着の成せる業とも言えよう。
そしてそれが露見しないと思っているのは王その人だけであり、王妃も侍女も、側に仕える者は皆すぐに気付いてしまった。
王妃は悋気の強い人である。乳母に召し上げられた経緯は把握されてしまい、リュイの母は嫌がらせにより心休まる暇が殆どない。
しかしそんな中でもリュイは見逃されていた。王家の色が髪にも瞳にもなかったからだ。顔立ちも母に似ていて父となる者の面影はない。
彼女は我が子だけは守ることができた。父である王も、どんなに母親に似ていてもリュイには興味がなかったからだ。
仮に王の、王家の色をリュイが持っていたならば溺愛され、リュイは既にこの世にいないかもしれない。