そしてどこかで聞いた一節
序章3/4
12歳のソフィア・ロシュタリアはとても困っていた。
帝国での社交界デビューを済ませた彼女は、表向きは幼き皇帝アレクサンドルの従者で、裏向きには腹心でも護衛でもある6歳上のニエムと将来を約束している。
1年の殆どを帝国で過ごしていたのに、突然王国王宮に呼び出されて伝えられたのは王国の第3王子、2歳下のクリスタとの婚約決定だった。
アレクサンドルは何も言ってなかったわ、とソフィアは眉をしかめる。
しかも両親はこの場におらず、騙し討ちされた気分になった。
王も王妃もいて、にこやかに笑っている。第3王子のクリスタだけは不満そうにやや俯き加減で視線を合わさない。
「まあ、本当に噂に違わず美しいこと! やはり帝国の姫君であるお母様に似たのかしらね、ソフィア嬢は」
「グラスペイル公爵も美丈夫だ、二人に似たなら美しいのは当然であろう。だがソフィア嬢、我が息子クリスタも中々であろう?」
「王家色である金の髪はまるで朝焼けにたなびく雲のよう、私の紫紺の瞳と相まって美しさではご令嬢に引けを取らないのよ」
――私はこの王子に劣る、と言いたいのかな。いいんですけどね。
ソフィアはうーんと内心で唸る。
こちらを褒めているようでどうも引っ掛かる。おそらく帝国を甘く見てるわね、王家は。
帝国皇帝アレクサンドルは現在10歳、幼き皇帝と冠に付く。だが別に先の皇帝が急逝したから皇帝になったわけではない。
アレクサンドルのほうが向いているからというご指名なのだ。
なのでチビッ子、所詮お子様と侮るのは非常に危険だ。近隣諸国もそれを知っているからこそ攻めては来ない。
これが単なるすげ替え程度の皇位の譲位であれば今頃帝国は瓦解の道を走っていたかもしれない。
アレクサンドルの兄弟姉妹は沢山いる。その中で勝負をしたわけではないが、アレクサンドルであればと皆諦めたのだ。
それを知らないで今こんな勝手なことをしているのかしら――と、ソフィアは頭を抱えたくなった。
結局、それを知った父公爵は怒り心頭で王家からの要請は無視していた。母は姉である帝国の皇太后に手紙をせっせとしたためている。
ニエムからはものすごい厚みのあるなんだか所々濡れて読めない手紙が届いたし、アレクサンドルからは便箋一枚に『とりあえずそっちの王子と婚約していいよ、そのうち何とかする。本気で王子が良ければそのまま結婚していいよ(意訳)』という手紙が届いた。
12歳のソフィアとしてはニエムは歳上のお兄さんであって、まだ男性として意識できなかったし、まあ色々男性を見ておくのは悪いことでもあるまい――そう考えている時点で彼女はすでにニエムを選んでいるのだが――と父を説得しクリスタと婚約を結ぶことに合意した。
フィリア王国はそこで初めて帝国に報告する。
『約束を反古にしますがソフィア嬢がぜひにと言うので婚約を結ぶことにした』と。
想い人との婚約を諦めることになり、わんわん泣き叫んで仕事にならないニエムをロリコンと罵りながら、アレクサンドルはフィリア王国にナメられているのだとはっきり知ったのだった。
ちなみにニエムの名誉のために言えば彼はロリコンではない。
そしてソフィアというと、王国の社交界への参加、更に王国王家についてのマナーや勉強をせねばならなくなった。
婚約者となったクリスタはずっと不満そうにこちらを見ているだけで何も言っては来ない。
歩み寄りもなければ、怒りをぶつけてくることも子供ゆえなのか子供なのにと言うべきか、その頃にはなかった。
だがソフィア16歳、クリスタ14歳の春に悪い方向への転機が訪れる。
ピンクの風船ことサリー14歳の登場だ。
サリーはこれまで市井で暮らしていたが、王族の血が入っているために王家に引き取られたという話だった。
現王には今は亡き放蕩者の兄がいた。
放蕩が過ぎて勘当されたのだとか真実の愛を見つけて市井に降ったのだとか曖昧な噂しかなかったが、簡単に言えば女好きの色狂い、最期も性病を患って亡くなったのだという(アレクサンドルの調査より)。
とにかく王兄は亡くなる前に生活を共に……ヒモをしていたらしい本職の女性がいて、サリーはその娘であった。
現王は王族の色である金髪碧眼だが、王兄は金と桃色の混じった、光の加減ではピンクの髪と碧眼という珍しい色を持っていた。
サリーも王兄と全く同じ――むしろより強いピンクだが――色の髪と瞳。更に王兄のペンダントまで持っていたために彼のご落胤と認められ王族に迎えられることになる。
ここからサリーの快進撃が始まった。
王家王族として恥じぬよう、と教育係が付けられた。
教育係は上級官僚というエリートコースを邁進するロイス(22)独身バツイチだ。どうやったのかまずロイスを陥落して味方にした。
続いて騎士団団長子息で見習いのマッド(14)が陥落。
王宮医師のヘリング(28)独身陥落。
一番チョロかっただろう第3王子クリスタは言うに及ばない。
王子の乳兄弟で従者でもあるリュイ(14)だけは彼女に慄き、王宮で目にする時は彼女から逃げ回っていることが多かった。
そしてサリーによるソフィアへの不可思議攻撃だ。
ソフィアとすれ違えば必ず転ぶ。これは王宮勤めの侍女や従者や官僚の方々が目撃しているので、ソフィアにとってはどうということはない。
問題はクリスタ一味だ。事あるごとにソフィアを睨み付けたり、すれ違い様に捨て台詞を吐いたり、隙あらば侮蔑し貶してくる。
ソフィアは王宮と公爵家、両方の侍女たちと首を傾げた。
「あの方たちは私を公爵令嬢とは思ってないのではないかしら」
「お嬢様はやんごとなき血の歴としたご令嬢でございます。あのサリーというどこの馬の骨か分からぬ娘が仮に真実王兄ご落胤であっても、立場的には庶子、お嬢様を敬って然るべしなのですが」
「ソフィア様、王陛下にご相談なされては」
「……してるのよ、実は。王妃陛下にもお伝えしてるのだけど、頼りにならなくて」
ソフィアが困ったわ、と眉を下げると侍女たちも小さな声で話し合う。
「しかも王陛下が付けられた教育係がアレですよ」
「そうねえ」
「教育係が率先してお嬢様を睨み付けるとかどうなっているのでしょうか」
「困ったわねえ」
「ソフィア様、王家に、王宮で勤めている私たちが言うのも何なんですが、もう婚約を解消されてはいかがです?」
「……ずっとお願いしてるのだけれどね」
「『男の子は1人じゃ満足できない、一夫一妻とは言えまだ婚約中なのだから不満は我慢しろ』と『帝国ならば後宮があるのだろう、それよりマシだ』とか『アレはイトコで突然出来た妹のようなものだ、邪推するな』……っざけんじゃないわよ!」
肩を落としたソフィアの代わりに彼女の侍女が小声で怒鳴り倒すという離れ業をやってのけた。
「何という……王妃様なんて悋気が酷くて浮気なんて本職のお店ですら絶対お許しにならないのによく言えたわよね」
「仲良し夫婦なんてとんでもないのよ、本当はね」
ソフィアが気付いた時には廊下が侍女たちによる大暴露大会と化していた。
絶対的な味方にはならないが、とりあえず王と王妃は敵でもないようでそこだけは安心した。
いくら帝国の庇護があろうと王宮で万が一のことがあればソフィアには抗う術がない。
なので王宮で絶対に1人にはならないと決め、連れて歩く者も公爵家の身元がしっかりしている侍女と王宮の侍女、法務官僚と護衛の計4人を指定した。公爵家の侍女はともかく、王宮の人間は日によって変えた。これはアレクサンドルからの忠告に沿ったものだ。
こうして様々なことがありつつも、ソフィアは自身が何もしていない証拠を積み重ねて2年の月日が流れた。