ヘリング(3
※医療関連も創作です。
ヘリングは王都にある孤児院の門を叩いていた。
両親からの指示にあった通りに、王都まで長い旅をしてきた。
なぜ、この孤児院か。
ここは何代か前の王妃の名を冠に戴いている。
元々当時の王妃が建てさせた孤児院で、以降歴代の王妃が支援している。王妃直轄の王立孤児院だ。
王立だからこそ預けられる子供の数は多い。普通の孤児院で良かったならそれこそあの思い出の中に置いてきた町にもあった。だが、それではいけない。
王立孤児院では優秀な子供を王立学校に無償で進学を推薦している。更に優秀な成績を納めることが出来れば、王都、王宮、その他主要な場所での仕事に就くことも許されている。孤児院出は生まれが悪い。だからいわゆるエリートと呼ばれる出世街道まっしぐらな職には就けない。だが、生きていくために困らない学とコネと職というものは、贅沢が出来なくても余裕のある暮らしをもたらすことはできる。
それを見越して両親はヘリングに王立孤児院に向かえと言う指示を出した。
ヘリングは賢い子供だった。文字の読み書きも公用語だけだが出来る。これだけで恐らく学校の推薦は取れるはずだと両親は予想し、また見事に的中していた。
ヘリングは孤児院に無事迎えられる。
来るまでに用意した麻布の賄賂により、院の中でも楽な部類に配置され、読み書きが出来ると知れると院内の事務仕事の代わりに本を好きに読んでも良い権利を得た。
当然王立学校推薦を受け、優秀な成績での進学卒業。そのまま見事に大学への推薦入学と卒業も果たす。
学生時代のヘリングは最初こそ遠巻きにされたり、庶民の癖に孤児の癖にと罵られることもあった。だが、彼の才覚に感心しその知識に助けられた高位貴族の子息たちに受け入れられ、取り巻きに迎えられると周囲のヘリングへの扱いが一変した。
『無位の者は何も出来なければ手足となり搾り取られるだけ。高位の者にとって己は旨味がある、利益になる、大事なものだと思わせる事が生まれながらに権力も金も後ろ楯も持たない無位が強くなれる道』
これはヘリングの両親の言葉だ。彼はそれを思い出し納得する。
難民だった両親には誰の助けもない。自分たちを搾取する側に媚薬を作ることで上手く取り入りやってきたが、結局搾取される側から抜け出した訳ではない。破落戸たちより金を持ち権力がある者と繋がりを作れなかったせいで逃げることしか出来なかった。
両親が残した手紙は強かに生き残れという遺書だとヘリングは思っている。
そんなヘリングは学校の自称友人たちと付き合うようになると垢抜けていった。
己の見た目が女に好まれる容姿だと気付いた。柔らかな紺の長い巻き毛は緩くひとつに結び、やや垂れた青い瞳に目尻のなきぼくろが彼女らには艶かしく大人っぽく映るらしい。
外を歩けば誘惑されるままに遊び、友人たちと盛り場の女性に手ほどきを受け、取り巻きとして参加した夜会では未亡人や火遊びをご所望のご婦人方に人気だった。
彼らと付き合うことで貴族について教わり吸収していく。だが全てを事細かに教えてくれるわけではない、立ち回りにある程度困らないだけの知識だ。ヘリングもそれで十分だと思っていた。
飛び級もしながらの学生時代が終わり、取り巻いていた貴族子息が後ろ楯、付き合いのあった未亡人の財力のおかげで優秀な成績だけでは手が届かなかった王宮医師にヘリングは成った。
これは王家を含めた色々な思惑も裏で動かした。王妃直轄孤児院出身であるヘリングが、王立学校から大学まで出たこと、医師という名誉な職に就いたことで王家には大きな宣伝となった。
そして王国では難関職の医師だが、他国から見ればその知識や技術水準はかなり低い。
フィリア王国の医療は民間療法と怪しい外科手術。頭痛がすれば少し切って血を抜く。腹痛なら昔からの虫下し薬。関節が痛ければ蛭に血を吸わせてみるというものだ。
そんな知識の下での医師の仕事は楽なものである。ヘリングは偉そうにふんぞり返っている老医師に付かされていたが基本的にあまり仕事はない。
王妃は王子2人産んだ後も妊娠し出産したが産後の経過も良く、王子王女たちは病気ひとつしなかった。
たまに勤め人たちが手や足を怪我しただの火傷しただのその程度の処置しかない。
こうしてヘリングが王宮に上がって5年が経ち26歳になる。
彼は気楽な暮らしをしていた。遊びたいとき遊ぶ女はいる。ヘリングは貴族ではないので妻を持たなくても煩く言われない。そんな気ままな暮らしの中で、ある日彼は第3王子からサリーを紹介される。
ヘリングは王宮医師という立場から王族とは割と近い。流石に王、王妃夫妻とは隔たりが大きいが歳の近い王子たちとはそれなりに交流がある。
特に第3王子のクリスタは気難しい子供だが、立場を知ればそうなるのも無理はない気がした。
そんな彼から紹介されたサリーは、どこか懐かしい匂いのする少女で、貴族らしくない自由奔放さを隠しきれていない。クリスタには婚約者がいるがこんな風に楽しそうに話をしているのをヘリングは初めて見た。
王族の仲間入りをしたサリーは不思議な少女だった。
ヘリングからすると貴族ではないのに貴族になるというのはかなり辛いことのように思える。
だが彼女はどんなに教育を受けても貴族に、王族らしくならない。それがヘリングに安心感を与える。
彼女はヘリングと同じだと思った。サリーを取り巻く男たちには彼女を純粋で綺麗な生き物と見ている節がある。
だがヘリングには分かる。これは擬態だ。
自分に益があるように振る舞って身を守っている。
ヘリングがそうするのとは違う方法で。だが、自分の武器が何かを良く知ったやり方だ。
純粋で無垢で自由奔放。そうして男たちを籠絡して侍らせ身を守る。
まるで蜘蛛のように絡めとるやり方にヘリングは文字通り痺れた。たかが14歳の小娘に。
王家を出されるクリスタはサリーと結ばれることはないという話を聞いた。
マッドもまた微妙だ。父親は騎士団団長だが、当人はいまだ見習い。継ぐべき爵位もない彼はこのまま行けば持て余される存在だ。サリーとは一番年齢や価値観が合う相手ではあるが身分差がありすぎる。
ロイスはサリーをそういう目で見ていないとすぐに分かる。サリーは彼を落としたと思っているようだが、アレはそういう対応ではない。仮にサリーが望んだとしても彼とは結ばれないだろう。
そして自分、これもない。自分は王宮医師ではあるが、それを抜けば爵位を持たないただの平民だ。
サリーを娶りたいわけではない。彼女に多少なりとも真剣さがあれば考えもしたかもしれないが、サリーにはその熱がない。
役者を見て騒いでいるような、ゲームを楽しんでいるような遊び感覚と先を考えてない不安定さがある。それでいて彼女だけを見るように仕向けるのは男を手玉に取る熟練のそれだ。
ヘリングはサリーの味方になることにした。
彼女はクリスタの婚約者の女を蹴落としたがっていて、知らない振りをして冤罪作りに手を貸した。
サリーは王族だ。公爵令嬢などより上だ。ヘリングはサリーにそうと知られず恩を売る。見返りは何を貰おうかなどと嘯いてみる。
貴族の中にあっても貴族の中には入れないヘリングは、貴族であって貴族ではないサリーだからこそ焦がれ惹かれている。
ヘリングは手に入れられなかったもう一つの未来をサリーにそっと重ねていた。
思い出のなかに置いてきた町でヘリングはサリーと笑いながら暮らしている。
何も見返りは要求されない、誰からも搾取されない、ただ笑いながら生きている。
貴族なんて遠い世界を気にしない、親のやったことは子に関係ない、仕事帰りに気の置けない友人たちと飲んで喧嘩して仲直りする。贅沢は出来ないが子供がいて……。
彼はあの小さな町に彼の心を置いてきた。いつか取り戻すために。
――自分が捨てられたのではない、自ら捨てたわけでもない。置いてきただけだ。