ハレムの主(2
※同性愛表現有
サーシャとしては正室予定の想い人にしか身を委ねないつもりであるのは、あくまでも予定の人を慮ってのことだ。
調査の結果、予定の人は女性を苦手としていることが判明している。男色に走るかとも思ったが、それはなさそうだった。仮にそちらに走ってもサーシャは凹凸が少ない上に男と見られることの方が多いため可能性はある。
ニエムに言わせればサーシャは「ちっぱい」なのでこのまま成長したならば大丈夫なのではと言い、但し「相手が受身だと流石の閣下でも厳しいかも」と言って、その後ベラや姉妹たちに思い切り頭を叩かれボコボコにされた。
とにかく、帝国生まれ帝国育ち、後宮も彼女と半分血の繋がっている兄弟姉妹の家だ。皇帝として世継ぎを残すためにも、内外に力を示し、人質として囲うために何人も側室を持つことに否やはない。
ただ正室がどう思うかだけが気になるところ。
なので正室を迎えてから後宮を調えるつもりでいた。彼が嫌がるなら形だけにして閉じる心積りもある。
――それなのに、全てをひっくり返すような。
そうして足音高く苛々と謁見の間へ入れば、既にサーシャの父と長兄バリスが待ち構えていた。
そして兄の隣には、どこかで見た男の顔がある。
サーシャはどこで見たか記憶を探りながら、皇帝の椅子に座り、顔は顰めたまま挨拶もせず、無遠慮に男をまじまじと眺めた。
彼の服装は軍人ではない者が着る帝国の正装だ。筋肉がさほど付いていないのでどこぞの高位貴族だろうか、とサーシャは考える。
髪は長い。結び方に特徴があり、ああ、と思い至った。先日帝国に反旗を翻した小国ナーチェの男性の特徴だ。
そう思い当たれば眉の太く唇の厚い顔立ちと、褐色の肌に灰の髪色も彼の国のものだと分かる。
「ふむ、ナーチェの者か……先の戦に対しての謝礼か献上品のつもりか」
眇められたサーシャの瞳に射貫かれて、彼はびくりと震えた。兄が快活に笑いながら彼の肩を叩く。
「まあまあ、そう怒るなサーシャ。これはナーチェの次期国王予定であったマルーシャだ。歳は15。お前とそう変わらん」
「――は?」
サーシャは耳を疑った。
「……兄上……今何と? 次期国王? ……聞き間違えましたかね」
「兄上ではなく、あに様と呼べ。兄様ではなく、あに様、だ。サーシャ、はい、せーのっ」
「バカか! 献上品とは言え次期国王を寄越すなど」
ナーチェは小国だが、暖かな気候を利用して様々な果樹を育て加工し富を得ている国だ。
先日の戦は帝国に反旗を翻したという始まりだが、蓋を開けてみれば単なるナーチェ国内の派閥争いだ。
帝国の属国は、それらしく主の思うままに動かねばならず、王家の中でも帝国の意に沿うものが次王に選ばれている。
だが、属国であることに不満のある者達と王家から王位を簒奪したい者達の利害が一致したために戦が起きてしまった。サーシャはそれを平定させたのだ。もちろん武力で。
そのサーシャの目の前、怯えて困った顔をしている男こそ、簒奪されそうになった側。帝国にとって大事な駒である、正統なナーチェの次王だ。
サーシャが唸っていると、男がおずおずと口を開く。
「マルーシャ・エディバル・イヌメト・アダ・オムムロ・ナーチェにございます、陛下。此度は後宮に側室として迎えて下さるとのこと、ナーチェ王族は帝国の輝ける太陽、沈まぬ明け星であるアレクサンドル皇帝に永遠の忠誠を……」
「長いっ! 長いわ! ……その長い名前と口上でお前がナーチェの者だというのはようく分かった。分かったが私には側室は不要だ、国へ真っ直ぐ帰るが良い。恥にならぬ様、土産と使者は沢山付けてやるゆえ」
言葉を飾り立てることで礼儀を表し、庶民すらも長い名前を持っているのもナーチェ人の特徴だ。
サーシャがそれにうんざりして立ち上がろうとすると、それまで事の成り行きを黙ってニヤニヤと面白そうに眺めていた先皇が彼女を留めた。
「まあまあ、サーシャ。バリスの話も聞いてやれ、コイツ面白いことになっておるから」
「……は?」
「サーシャもバリスの性分は良く分かっておろう? お前の歩みたい道を邪魔する気はないと思うぞ。まずは聞いてやれ、聞けぬのは狭量だ、サーシャは心が狭い、ケチだ」
「……それ普通に悪口ですよね、父上」
サーシャは浮かしかけた腰をもう一度落ち着かせ、話を聞く姿勢を取ったが、バリスも長い名前の元王マルーシャも何やらもじもじと落ち着かない。
焦れていると、バリスが大きく深呼吸してやっと語り始めた。
「サーシャ、俺はお前なら皇帝としてやっていけると信じている。俺には無理だ」
「なるほど」
サーシャは素直に頷く。確かに長兄に優秀な参謀がいなければその座は難しい。
「もう一つ理由がある。中々お前には打ち明けられなかった。お前の尊敬する兄でいたかったからな」
「なるほど?」
サーシャはバリスを尊敬など生まれた時からしていた記憶が一切ないのだが、彼がそう思っている分には害はないので黙っておこうと思った。
「……あー、実はな、俺は男しか愛せないようなのだ」
「……なるほど」
サーシャはこの集まりが何なのかあっさりと呑み込んだ。
マルーシャを見れば頬を染めて俯いている。
それで得心し今後の事を考えてみれば、自分の先ほどまでの予想とは全く違うだろうと思い当たり、安心して彼女は嘆息した。
「それでだな、このマルーシャを。いやその前に馴れ初めから話すべきか?」
「……いえ、結論でお願いします」
「うむ。マルーシャをお前の後宮に入れてもらいたい。そして俺をマルーシャ付きの……護衛でも侍従でも何でもいいが、とにかく一緒に過ごしていてもおかしくない位置にだな、配置してほしいのだ」
「……なるほど、しかしそれは――」
難しい、とサーシャは内心渋る。
バリスの思う所は分かる。帝国もナーチェも同性愛を禁じてはいないが大手を振って歓迎しているわけでもない。だから彼女と彼女の後宮を隠れ蓑にしたいという事だ。
軍隊の中だけで言えば、戦での昂りを発散するために娼婦を用意するが、それでも足りない状況から同性同士の行為は嗜みであるというのが昔から暗黙の了解であったりする。
ただ、それを帝国の万人が理解して受け入れているかと言えばそうではない。
更に他国では宗教の教義上、同性愛を禁じている国もある。その一つがナーチェだ。ナーチェは暖かで長閑、国民の気質も穏やかで朗らかだが、宗教の教義が根幹に根強くあり文化や生活の土台となっている。それは帝国の力を以てしても剥がせない。だからフィリア王国と同じく友好国という形を取る属国にするしかない。宗教が浸透している国は手強いからだ。
「マルーシャはナーチェを出たかったのだな?」
「……はい、陛下。王族として……次期王として、してはいけない選択だと分かっています……ですが私は」
目を伏せ、膝の上に握られた拳がふるふると静かに揺れていた。
「――まあ、気に病まずとも良い、悪いようにはせん。兄上を軍から離すのは少し時間を貰っても良いか?」
さらりと認められたマルーシャは驚いて顔を上げる。
「へ、陛下は、その、お嫌ではないのですか? ……私を穢らわしいとは」
「……特には? まあ、わりとここではよくある話なのでな。兄上もさっさと言ってくれておれば良かったのだ。私は女だが軍隊にもいるし、この皇城で生きてきたのだ。同性同士のあれやこれやくらいで喚いていたら今頃憤死しておるわ」
「サーシャ! 兄上ではなく、あに様と呼べ」
やれやれ、とサーシャはバリスを無視して肘置きに凭れる。片手を額に添え、空いた手の指でトントンと軽く膝をしばらくつついていたが、よし! と突然大きな声を出した。
「ベラ、ナーシャ姉上を呼んでこい。大至急だ。ついでに姉上にくっついているのも一緒に連れてこい」
「はあーい」
ベラは返事をすると扉から出ていった。
「では、姉上が来る間私の話を聞いていただこうか、マルーシャ」
サーシャは軽く笑みを浮かべると、マルーシャに、この室内の男達に向けて語り始める。