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ロイス(3

「何で今さらあんな夢を――」

 ロイスは寝台に倒れ込み、両手で顔を覆う。

 悪夢は毎日見ていたが、ミシェルが出てきたのは初めてだ。


(断罪されたいのか?)


 彼の中で人形(ドール)の声がリフレインする。

 いや、あれは人形ではない。悪夢の中の美しい人形は、帝国の頂点、帝国の黒い悪魔、黒鷲。彼の二つ名は幾つもある。


 王国でのあれ以来、姿を見ていない。

 彼の姿を思い出せばなぜか胸に鈍い痛みが走る。


 マッドの腕をわざと(・・・)従者に斬らせた恐ろしい皇帝。

 嘲るような笑みを消すことはなく、冷たく見下ろし絶対服従しか認めない、覇者。


(貴方だって私に冷たかったわ)


 唐突に、もう思い出そうとしても思い出せない彼女(ミシェル)の声がする。

「そんなつもりは……っ」

 慌ててがばりと起き上がる。もちろん誰もいない。

 焦る声音に言い訳が言葉にせずとも乗っていて、ロイスは自己嫌悪に陥った。


(あの娘には優しかったのにね)


 見えないミシェルが彼を責める。(なじ)るというよりも哀しげに。

「違う……あの娘は、サリーは」


 サリーが照れくさそうにはにかむ顔が浮かぶ。


 

 * * * * *


 

 初めてサリーを見た時、庶民と思えないほどに垢抜け整った顔立ちの少女だと思ったが、王兄の忘れ形見だと聞いて、だろうと納得した。


 そこで見た目というものにロイスは思い当たる。

 なるほど、貴族も貴族、王家の血を引いていればこのようにはっきりと他と違うのだな、と。


 それが心にあったのだろう、ふとロイスはあまり気にしていなかった自分の姿を鏡で改めて見て愕然とする。


 金が薄く、ほぼ銀か白にも見える髪。光の加減で紅に見える赤茶の瞳。


 ――鏡の向こうに兄がいる。ミシェルに乱暴な真似をしたのは、自分が兄と同じものだからなのか?


 彼は合点のいく気がした反面、恐れもした。他人を傷つけてしまう、と。

 それで人との距離感が測れなくなった。


 そんな中、サリーは王族に席を連ねるため、教育が必要ということになり、王宮の常識など知識方面ではロイスが抜擢される。

 もう14歳のサリーに貴族としての教育は難しいのではないか、と誰もが――勿論ロイスも――思い、実際その通りだった。


 サリーは明るい。誰にでも親しげに話しかけ屈託なく笑い、あけすけに物を言うそれは貴族子女として落第点だった。

 だが、ロイスにはとても好ましく見え、それを彼女から消してしまうのは惜しく感じる。

 サリーはロイスになぜか懐いた。優しくしたわけでもおべっかを使ったわけでもない。

 人と近く接する事を怖がっているロイスは、むしろ冷たかったと思う。まして年頃の少女で庶子とは言え王族だ。何か間違いがあっては困るのだ。


 だがサリーは気安い。マナーの講師がどうだとか、ダンスの担当がこうだとロイスに愚痴を言う。だがよくある悪感情を彼女からは感じなかった。

 あっけらかんと面白い出来事のように愚痴を語る。

 ロイスの周りで愚痴を言うのは、聞けば本当に暗い気持ちになるものばかりだったので、彼は新鮮な気持ちを抱いた。


 そして彼女はとても可愛らしい。いつもにこにこと笑顔で、ロイスの教える内容も殆ど聞いていなかったが、王族になることを気負わない、そんな自由なところも好ましく思っていた。


 ある日、サリーはロイスの色味について言及する。

「私、ロイスさんの白い髪も赤い目も、ステキだと思うよ。うさぎさんみたいだよね」

「うさぎさん? 私が?」

「知ってる? うさぎって寂しがりやなんだって」

 そう言うと、サリーはロイスの頭を撫でた。

「辛い顔してる、ロイスさん。あの、あれなら泣いてもいいからね」

 ロイスは驚いてサリーをじっと見つめた。


 その日、ロイスは朝から嫌な思いをしていた。

 常々エリート官僚となったロイスを蹴落としたがっていた同僚が、どこからか誘拐事件の話を仕入れて彼に仕事を辞めろと脅しに来た。

 中途半端に聞いたらしく、乱暴されたのはロイスで、珍しい髪と瞳の色を好む変態たちに媚を売ったとまで言われ、唖然とする。


 ロイスからしてみれば、独身で結婚する気もない、名前貴族で爵位も継げるか分からない。そんな男に今さら醜聞が乗っかったところでどうと言うことはない。

 ただ王家が介入して解決し、そのおかげでエリート官僚となり、王家に飼われている身分だ。そんな醜聞で捨てられぬよう日頃から研鑽を積んでいる。


 だが、傷つかないわけではない。

 暴行されたのは兄だ。しかも長年に渡りロイスを虐げ続けてきた。嫌がらせのためにロイスの婿入り先にまで現れ、平和を崩す切っ掛けを作った許せない男だ。


 だが兄は自ら望んで身体を明け渡した訳ではない。大人の力に恐怖し屈服し蹂躙され、命の危険を感じたから奴らの言う通りにしていたのだ。同僚は兄とは知らずに言っていたが、兄を穢されたようで気持ち悪かった。

 兄を憎んでいる。だが兄の苦しみも分からなくはないために、彼に『分かるよ』の一言が言えず寄り添いもしなかった。

 ロイスだって兄と同じ立場になる可能性はある。あそこで見逃されず、機が熟すのを待つために遠い所で監禁されていたら? 売られてしまっていたら? そう思っていたからこそ兄の不満や悲しみ、やるせなさの顕れを受け止めてきたのだ。


 ――逃げてしまったけれど、本当は向き合うべきだった。兄にも、両親にも。


 サリーが優しくロイスの頭を抱いた。まだ少女の胸に抱かれてロイスは嗚咽をこらえられなかった。

 彼女からは甘い花の香りがする。それはどこかで嗅いだことのある香りだった。


 この日から、ロイスとサリーの関係性は変わった。

 単なる「家庭教師のお兄さん」程度だったのが、もう少し親密なものに。

 ロイスとしてはサリーに恋愛感情は抱いていない。

 揶揄(からか)う者はいたが、否定した。サリーへの気持ちは男女のそれよりもっと純粋な、そう、家族に向ける親愛の情だ。彼女は妹のようで、時に姉のよう。


 だからロイスはサリーを守りたかった。

 サリーが王宮内で意地悪をされているのだと、いつも嫌なことは明るく笑い飛ばしている彼女が、珍しく目に涙を溜めて相談して来た時、胸に憎悪が宿った。


 彼女は清く明るくいなければならない。こんな風に泣かせてはいけない。誰が彼女を傷つけたのだ。


 ロイスはそこから正しい物を見る目は見えなくなり、正しい事を聞く耳を失ってしまった――。


 

 * * * * *


 

 サリーの笑顔が浮かぶ。


 あの笑顔は嘘だったのだろうか。

 帝国に連れてこられる馬車の中で、サリー以外の断罪劇を仕組んだ登場人物は皆同じ馬車に押し込められ、まるで囚人のように彼ら1人につき2人の帝国兵が付けられた。

 マッドにはしっかりと止血治療がされ、何か強い薬を与えられたようで死んだように静かだった。王宮医師のヘリングがずっと付き添っていた。

 会話をする気は起きない。


 だが帝国兵のほうはそうではない。

「お前ら全員小娘にしてやられたそうだな、手のひらの上で踊ってた気分はどうだ?」

「あれは娼婦の娘だそうだな、男を手玉に取るのは慣れてるんだろ」

 兵たちは好き勝手に言い、下卑た笑いと下世話な内容でひとしきり盛り上がっていた。


 ロイスは彼らの話を思い出してなんとも言えない気持ちになる。


 サリーの笑顔は嘘だったのだろうか。

 あの笑顔は。


 不意にミシェルの笑顔が浮かんだ。照れ臭そうにはにかむそれは。


(これね、私の好きな花なの。甘い香りでしょう?)


 ミシェルが庭師に切ってもらったのだと白い大きな花の付いた枝をロイスに渡す。艶々とした緑の葉も綺麗だった。


 ――そうか、じゃあ今度は私が君に送ろう。


 ロイスはそう言って、彼女の髪にそっと傷つけないよう花の枝を差した。

 ミシェルは照れ臭そうにはにかんで――。


 ――そうか、サリーの笑顔が好きだったんじゃない。彼女にミシェルを重ねて……。


 思い出したロイスは膝を抱えて慟哭した。

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