それはどこかで聞いた一節
序章1/4
宝石が散りばめられたかのように煌めくシャンデリア。
噎せ返る香水と酒と果物の匂い。
楽団による古典音楽の演奏は会話を遮るほどの主張はせず、さりとて踊る者が聞こえないほどに大人しくはない。
曲に合わせて色とりどりのドレスを纏った女たちはあちこちでふわふわと舞い、庭園の花のように咲き乱れている。
その花たちの手を取るのは黒に銀糸の刺繍の入った燕尾服に身を包んだ男たちで、帽子には大きな黒い羽があしらわれていてまるで黒鳥が花を啄むようだ。
「退屈だな、ニエム」
欠伸を噛み殺して傍に控える己の従者に零すのは、国賓席に特別に用意された長椅子の肘置きに凭れ半ば寝そべっている者だった。
その者の服装は、自国の軍服にこの国の様式に合わせて黒地に銀糸仕立てにした特別製で、席次もそうだが一目で宗主国の人間だと分かる。ニエムと呼ばれた従者も同じ衣装だ。
「お帰りになられますか、閣下」
「そうだなあ……今帰ったら奴らが何と言うかも楽しみだが」
と、含み笑いを浮かべ目線を下方、自分たちより下段に座っているこの国の王族を眺める。この退屈なパーティーの主催者だ。
「我が従叔母殿の18歳の成人による王族の婚前パーティーだからな、本人の登場もまだで帰ったとなると大叔父がうるさかろう」
「まあ、確かに。しかし国賓で呼ばれるパーティーなんて時間のかかるものです。我慢なされませ」
「……にしてもだ、ニエム。従叔母殿――ソーニャは一体どうしたのだ? いけ好かぬ王子はともかく……」
瞬間、打楽器による高い金属音がして、閣下と呼ばれた者が顔をしかめる。
「グラスペイル公爵家ご長女、ソフィア・ロシュタリア嬢ご入場です!」
名前がコール係より呼ばれた際、場内がどよ、と騒めいた。
場内に呼ばれたご令嬢は真っ直ぐ前を向き、主賓席へと一人歩みを進めていた。
カウチに寝そべっていた者が、思わず起き上がる。
「ニエム、どういうことだ? なぜソーニャは一人なのだ、あの王子はどこだ」
ニエムも困惑した声音で、さあ? と主君に応え、視線で辺りの様子を見る。
本来このような場では婚約者なり恋人なり身内の男性が付き添うべきで、特に今日は彼女が主役の婚前パーティーだと言うのに一人。
主賓席の国王と王妃周りも何やら慌ただしそうで、それを視界に入れ、ますます眉間に皺の寄る主にそっと耳打ちする。
「どうやら不測の事態のようです、閣下」
「……だろうな。ソーニャを一人にはしておけまい。大叔父殿はどこだ」
「……姿が見えません」
チッ、と主君の盛大な舌打ちが聞こえ、ニエムはまずいことになったぞ、と背に冷や汗が伝うのを感じる。
下段の国王は青い顔でちらちらとこちらを気にしている――その時。
「ソフィア・ロシュタリア!」
場内の入口で怒りの籠った大声で公爵令嬢を呼び捨てる青年が現れた。
ニエムは、思わず額に手を当て天井を見上げ、あのバカ王子! と内心で毒吐いた。
騒ついていた場内が、しん、と静まり返った。
楽団の演奏も止まり、踊りを楽しんでいた者たちは縫い止められたように成り行きをその場で見守っている。
カウチの主君は何を考えているのか分からぬ笑みを浮かべていて、ニエムの内腑はキリキリと痛みだした。
なぜなら、公爵令嬢のソフィアは主君より2つ上と歳は近いが従叔母であり、愛称で呼ぶほど主君のお気に入りだ。
そしてそのソフィアに今現在恥をかかせているバカこそ、彼女の婚約者でありこの国の第3王子だ。
――しかも。
「ニエム、あの王子が腰に付けてきたあれを見ろ、ピンクの風船を連れてきたのか」
主君が皮肉気な笑みを浮かべてニエムに言う。
第3王子にぴとりと貼り付くようにひらひらが凄まじいピンクの大きな風船のようなドレスを着た娘がいた。
そして名前を呼ばれたソフィアは、凛とその場に佇んで王子の言葉を待っている。
この国の宗主国――帝国の皇族の血統である黒髪に明かりが反射して光の輪を作っている。
ドレスも成人を迎えた者が着る正装姿――白地に銀糸で大輪の花が刺繍されたもの――で彼女の美しさを上品に引き立てていた。
「お前のような女との婚約は破棄する!」
ソフィアは婚約者からの宣言には表情を変えずに相手をじ、と見据えている。
「お前は私に相応しくない!」
そう言って王子が手を打つ。すると場内から男が四人、王子の背後に控えた。
ソフィアは、はあ、と溜息を吐く。
出てきたのは王子の乳兄弟である従者、王子の幼馴染みでもある王国騎士団団長子息、ピンクの教育係である上級官僚、若き王宮医師だ。
「ソフィアはここにいるサリーを不当に貶め、蔑み……」
「破棄は致しません。解消致しましょう」
ソフィアは王子の言葉を遮って発言した。
「私の有責にして破棄にし、恥をかかせたいのかもしれませんが、有責はそちらですし、恥をおかきになるのもあなた方ですよ」
「……なっ!」
「あなた方の用意された証拠は何もかもが信用できません。そもそもサリーを連れてこの場に出ることの許可はいただいてないのでしょう?」
ソフィアはちらりと主賓席を見、そして国賓席を見ると心配するな、という風に小さく手を振った。
「サリーは私の大事な人だ! お前ごときに偉そうに言われる筋合いなどない!」
「そうですか、それは失礼致しました。とにかく破棄は……」
「あなたの罪を認めて婚約は破棄して下さいッ!」
全身ピンクに身を包んだサリーが叫ぶ。
「……サリーさん、破棄をするならあなた方にそれ相応の慰謝料及び不都合を被っていただかないといけないのですけれど、よろしいのですか?」
「慰謝料!? 違います! 慰謝料はあなたが払うんです!」
「……なぜ?」
ソフィアの口から出た言葉は思いの外重く冷たく放たれた。
その疑問に応えたのはピンクの教育係である上級官僚だ。
「ソフィア様、あなたはここにいるサリーを酷く侮辱し、何度も怪我を負わせ虐げておられましたね」
王宮医師もそれに頷く。
「私のところに彼女の怪我を診た診療記録もあります」
「私にはそのような怪我をさせた覚えはないのですが?」
それには騎士団団長子息が答える。
「貴様! いつもサリーは王宮で泣いていたのだぞッ! 恥を知れ恥を! ある時は階段から突き落とされ、ある時は池に突き飛ばされ、その度々に俺が見つけ、医局に連れて行ったのだぞ!」
「――それをご覧になったのですか?」
「は?」
「ですから、私が直接手を出しているところをご覧になったのか、と聞いております。まさかとは思いますが、そこなサリーと言う娘の言葉のみで今糾弾なさってるわけではないでしょうね」
「サリーの言葉で充分だ。サリーほどに心の優しい女が嘘をついたりなどしない、貴様と違ってな」
ソフィアは騎士団団長子息の言葉に肩を落とした。
©️桜江-2022