42話 差し出された手
「もう死なせてくれ」
思いは告げた。
願いも告げた。
あとは彼女がそれを認めてくれればいい。
いや、認めずとも放っておいてくれればいい。
そうすれば俺は死ねる。
死ねるのだ。
あと少し、もう少しのところまで来ている。
それなのに・・・。
「・・・嫌です」
彼女は俺の願いを拒絶する。
「違う。こんなの間違ってる」
どこまでもまっすぐに。
どこまでも無邪気に。
それがどれだけ残酷なことかも理解しないまま、彼女は俺を否定する。
「こんな結末認めません。断じて認めません。ここで死んで、それが何になるというんですか?あなたの救いになるとでも?」
「もう苦しまなくて済むのなら」
「それは救いなんかじゃない。そうじゃないことを、あなたが一番よくわかっているはずです。だからこそあなたはこれまでずっと戦い続けてきたんでしょう?」
「・・・ただの惰性ですよ、俺が戦ってきた理由なんて。あとはほんの少しの義理だけだ。それ以外に理由なんてあるもんか」
「嘘です。そんなはずない。あなたには戦う理由があったはずです」
戦う理由?
何を今さら。
そんなものあるわけないじゃないか。
もうここには何もない。
だから俺は死にたがるんだ。
「くだらない」
俺はそう呟くと、いよいよ諦念に身をゆだねる。
結局彼女は俺を理解できない。
ならばこれ以上の問答は無駄だろう。
「・・・」
だけど、ふと視界の端に映った光るものが僅かに俺の意識を呼び戻した。
「・・・どうしてあなたが泣くんですか?」
突然ボロボロと泣き出したその姿が心底不思議で、ついつい尋ねてしまう。
泣いているのは俺のはずだ。
どうしてあなたが泣くんだ。
それがわからなくて、彼女に問いかける。
「悔しいんです」
彼女ははっきりとそう告げた。
「あなたに死にたいなんて言わせていることが。本当に死のうとするところまで、あなたを追い詰めてしまったことが。本当はそんなこと、あなたは望んでいないのに」
「・・・」
「あなたが本当に死にたかったのなら、もうとっくに死んでいるはずです。でもあなたはそうしなかった。理由なんて決まっている」
「だからそれは・・・」
「惰性?義理?本当にそれだけの理由でここまで来たと思っているんですか?そんなわけないでしょう!」
「何を・・・」
「死にたいなんて言いながら、誰かの死を踏み越えながら、それでもあなたが必死に戦い続けてきたのは、まだ叶えたい願いがあったからです!どうしても捨てられない望みがあったからです!私はそれが何だったのかを聞いているんです!」
「・・・」
「さあ答えなさい、ノーデンス。あなたの心にまだ残っているものは何ですか?あなたの生きる理由は何ですか?」
彼女は同じ問いを繰り返す。
俺の答えは変わらないはずなのに。
いったい何だと言うのだ。
どうしてこうも胸がざわつく。
頭が痛い。
気分も悪い。
何より、指先が震える。
まさか。
まさか怯えているのか?
いったい何に?
死すら恐れない俺が、何に怯えている?
目の前の少女にか?
馬鹿な。
それこそあり得ない。
やましいことなどあるものか。
どれだけ覗かれようとも、胸の底などすでに透けている。
もうここには何も残っていないはずだ。
だから嘘はない。
もしこの気持ちに嘘があるというのなら、どうか暴いてくれ。
俺が間違っていることを、誰か証明してくれ。
俺自身がそれを証明することはもうできない。
だってすでに俺には納得のいく結論が出ている。
それはとても分かりやすくて、当たり前のことで、否定しようもなくて。
どれだけ消そうとしても、忘れようとしても、決して変えられない一つの真実なんだから。
「言ったはずだ。何度も言わせるな。俺の戦いは一番最初に終わったんだよ。あの焼け落ちるトラストの地で。そこからはずっと空っぽだ。虚しいだけの戦いを続けてきた」
「・・・」
「なあ、お姫様。そんなに言うなら教えてくれよ。こんな俺にまだ何が残ってるっていうんだ?これから何のために戦えばいい?どんな理由で生きていけばいい?俺にはわからない、わからないよ。そんな奇跡みたいな代物があるならもったいぶらずに教えてくれ」
「私にそれはできません。それはあなたにしかわからないことだから。なにより、あなた自身で気づかなくては意味がない」
「ほらな、適当言ってるだけで、結局答えられないだけじゃないか。やっぱりないよ。そんな都合のいいものなんてあるわけない」
「・・・わかりました。そこまで言うのなら一つだけ、私でもわかることを教えてあげます」
充血した瞳が俺を射抜く。
彼女は押し殺した声に熱を込めて口を開いた。
「これまでのあなたと今のあなた。死にたくても死なずに戦い続けたこれまでのあなたと、本当に死のうとしている今のあなたの違いは、あなたの言う通り義理を通すべき相手が目の前にいるかいないかの違いなのでしょう。命を賭けて共に戦う仲間、彼らの存在があなたに死ぬことを躊躇わせた。先に逝くことに負い目を感じていたんでしょう。だけど彼らがいなくなった今、あなたにその負い目はなくなった。だから死んでもいいと、そう思ってしまった。でもそうじゃないんです。残酷な言い方かもしれませんが、どこまでいっても彼らはあなたにとって、ただの言い訳でしかないんです。決してあなたの願いそのものなんかじゃない。あなたはそこを勘違いしている。いつの間にか自分で掲げた義理を、生きる理由だと誤認してしまった。あなたが生きようとした本当の理由は別にある。たとえ仲間がいなくなっても、あなたの願いはまだ朽ちていない。私はさっきからその願いが何なのかを聞いているのです。義理だけで人は生きられない。惰性だけでも人は生きられない。死にたいと願いながら、それでもあなたが生き続けた理由は何ですか。答えてください、ノーデンスさん。今こそあなたの願いを確かめる時です」
まったくもって要領を得ない。
こんな勝手な解釈は否定されなければならない。
今すぐにでも馬鹿なことばかり言うその喉笛を潰したくなる。
なのになんだ、この感覚は。
まるで臓腑を撫でられたような不快感がこみ上げてくる。
「人を薄情者みたいに・・・」
「いいえ、そんなつもりは。むしろ逆ですよ。あなたは優し過ぎたんです。仲間を大切にするあまり、いつの間にかそれが唯一無二の戦う理由だと思い込んでしまった」
なぜこんな風に確信をもって彼女は語るのだろう。
俺の心なんてわかるはずもないのに。
彼女の言葉を否定する方法なんていくらでもある。
実際俺に心当たりなんてないのだから。
堂々と違うのだと言ってやればいい。
だが震える指先が、凍り付く血が、どうしてかそれを許さない。
「もし仮に、アンタの言う通りまだ俺に願いがあったとして、それが何だって言うんだ?そんなこと今さら暴いたところで何の意味がある?もう何もかも遅い。俺は負けたんだ。戦いは終わったんだよ」
「まだ終わっていません。まだ私とあなたが生き残っています」
「はっ、たった二人で何ができる。もう帝国軍は止められない。王国は滅ぶ。この状況でアンタにいったい何ができる」
「なんとかします」
「笑わせんな」
「私は本気です」
「無理に決まってんだろ」
「やってみれば分かります」
「付き合いきれるか」
「なら条件をつけましょう」
爛々と瞳を燃え上がらせて、彼女は語気を強める。
「私が失敗したとき、あなたは死になさい」
提示された条件に、息をのむ。
それはこれまでの彼女の主張とは真逆のもの。
散々死ぬなとほざいた口で、今度は死ねと告げてきた。
面食らった俺が何も言えないのをよそに、彼女は続く言葉を畳みかける。
「ミナリス・ベール・ネビラスが命じます。この先私が王国を救えず、敗北したとき、あなたは死になさい。その時が来たら改めて命令を待つ必要はありません。一切の躊躇なく、即刻自害なさい。これは王族としての命令です。何よりも優先して遂行しなさい」
そこまで言い切った彼女は俺に手を差し出す。
「いざとなったら私があなたを殺してあげます。だから安心してあなたの願いを言っていいのですよ」
そして最後に、優しい声音でそう告げた。
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