35話 迫りくる影
あけましておめでとうございます!
「もう、歩けません・・・」
再びうずくまってしまった彼女は消え入りそうな声でそう言った。
振り返りその顔を覗き込めば、よく見知ったものが目に入る。
暗く濁ったどす黒い瞳が。
「殿下、歩いてください」
「・・・」
「背負いましょうか?」
「・・・」
俺の呼びかけに、彼女は答えない。
どうしたものかと困っていると、やがて絞り出すような声がその口から零れた。
「これ以上逃げても無意味です。砦は落ちました。我々は負けたのです。救いたかったものさえ救えずに」
「でもまだあなたが生きています」
「私一人生き残ったところで何になるというのですか?どうせ滅びゆく国の一王女、わざわざ救うほどの価値もありません」
「そんなことはないです。どうか卑下なさらずに」
「私は・・・」
彼女は胸に手を当て息を詰まらせる。
予想以上に脆かった。
戦場まで来るような度胸はあるくせに、いざ失敗したらこれか。
所詮は夢見る少女。
現実を知ってしまえば容易く崩れる。
くだらない。
そんなんだから苦しむことになるのだ。
だが今更何を言ってももう遅い。
あなたが負った傷は治らない。
「どうしてノーデンスさんはそんな平然としていられるのですか?」
俯いたまま、彼女は滔々と話し続ける。
「皆死んだのですよ。あなたが共に戦ってきた仲間も、バラクマー准尉だって」
「そうですね」
「そうですねって・・・、悲しくはないんですか?あなたにとって彼らは、その程度の存在でしかなかったのですか・・・」
今にも消えてしまいそうな儚い声音。
虚ろな瞳が俺を見上げた。
まるで救いを求めるようなその視線にうんざりさせられる。
どうやらこの人はまだ俺という人間を理解できていないらしい。
でなければこんな的外れな言葉は出てこなかっただろう。
悲しい?
笑わせるなよ。
そんな感情はもう失くした。
ここにはすでに何もない。
だからあなたが望むような答えがあるはずもなく。
「死んだから何だと言うんですか?人はいつか死ぬものです。そんな当たり前のことに、いちいち何を感じろと?」
そう告げた瞬間、彼女がひどく怯えた表情を見せた。
「・・・なぜですか。あんなに助けようとしてたじゃないですか。なのにどうして・・・」
「なぜって・・・、そりゃ生きてるなら手は尽くしますが、もう死んだのなら振り返る必要もないでしょう」
「そんな・・・」
今は感傷なんていらない。
それは足を止める枷にしかならないから。
必要なものは、覚悟である。
それさえあれば、誰が死のうが、何人死のうが関係ない。
ただ己の為すべきことを為す、そういう存在でいられる。
「さあ、立ってください。休んでる暇はありませんよ」
俺の呼びかけに、王女様は何も返さない。
座り込んだままその場から動かず、じっと地面を見つめている。
しばらく様子を窺ってみるも、結局彼女が自らの意志で立ち上がってくることはなかった。
「失礼します」
仕方がないので一言断ってから彼女を抱える。
そのまま予定していた進路からは少し逸れて山道を進む。
「放して・・・」
途中彼女が弱々しく抵抗を見せたが無視した。
別にこのまま運び続けるつもりはない。
さすがに疲れる。
ただ伝えるべきことは伝えておかなければならない。
そう思ってしばらく歩き続ければ、やがて目当ての場所まで辿りついた。
俺は抱えていた彼女を地面に下ろすと、懐から魔力灯を取り出し魔力を流す。
「これが何かわかりますか?」
そう言って指し示したのは木の幹、その根元。
鈍く光る箇所。
そこには小型の金属片が埋め込まれていた。
明らかな人工物。
それが意味するところを彼女に問う。
「・・・何なのですか?」
のろのろと顔を上げた彼女は少し考える素振りを見せたが、結局何もわからず聞き返してくる。
時間も惜しいので俺はそれにさっさと答えた。
「これは魔力探知機、帝国がよく使う索敵用の魔道具です。要するに罠ですね」
「え・・・」
「ここに来るまでにすでに4回、この探知機に引っかかっています。何が言いたいかわかりますか?」
徐々に青ざめていく彼女を無視して、俺は続く言葉を放つ。
「我々は敵に捕捉されています」
そう告げた瞬間、彼女の表情が恐怖で歪んだ。
「そんな・・・」
「このままだと敵が来ます。というよりすでに追手の気配は察知しています。私は耳がいいので。正確な数まではわかりませんが、足音からしておそらく数十人程度でしょう。いくら私でもあなたを庇いながら相手取るのは厳しい数です」
「・・・」
「このままだと死にますよ?」
彼女に現実を突きつける。
この停滞がいかに致命的かを。
だが彼女は立ち上がらない。
明確な命の危機を感じても、うずくまったまま、絶望の底で顔を歪めている。
その無様な姿を目にして、もはやこれ以上彼女に何かを求めることはやめた。
「そうですか。あなたは結局、そういう人間なんですね」
ぼそりと、冷めた言葉が零れる。
これで逃げるという選択肢は消えた。
さすがに彼女を担いで逃げるのには無理がある。
ならば次に取るべき行動は何か。
決まっている。
結論はいたってシンプルだ。
決断するが早いか、俺は背負っていた背嚢を下ろして中身を漁り始めた。
「・・・何をしているんですか」
動き始めた俺を見て、彼女がそう問いかけてくる。
俺はそれにあっさりと言葉を返した。
「迎撃します」
停止した彼女から、息を吞む音が聞こえた。
だけど俺はそれを無視して作業を続ける。
荷物のほとんどは水や食料であったものの、幸運なことに少しばかりの武器弾薬は入っていた。
それらを引っ張り出し、持てるだけ装備すれば、案外一丁前の兵士が出来上がる。
「食料は置いていきます。銃声が止んだ後に明かりが近づいてきたら、私は死んだと思って逃げてください」
「何を言って・・・」
「山を二つ越えれば町が見えてくるはずです。運が良ければあなた一人でも逃げ切れるかもしれません」
「待ってください!」
必要な情報を伝えているというのに、そんなことお構いなしで彼女が俺の言葉を遮る。
その目には困惑が浮かんでいた。
「あなた一人で何ができるというんですか!死にに行くようなものです!」
「ここで立ち止まってもどうせ死にます。なら敵の殲滅に賭けます。数十人程度の数なら私一人でもなんとかできます」
「無茶ですよ!わかりました!ちゃんと逃げますから!だから!」
「また足が止まらないと約束できますか?少なくとも私はもう無理だと思いますよ」
「それは・・・」
「もし夜明けまでに追手を撒けなければ、どのみち詰みです。今は暗闇に身を潜められていますが、日が出るとそれも難しくなる。そうなれば遠距離から一方的に狙撃されて終わりです。ならそうなる前に闇夜に紛れて敵に奇襲を仕掛けた方がまだ勝算があります」
「でも、そんなの・・・」
「あなたが動けないのなら、私が動くだけの話です。ここで待っていてください。すぐに戻りますから」
最後にそれだけ言うと、俺は彼女に背を向け、来た道を引き返すように歩き始めた。
「待って・・・、待ってください・・・、私を一人にしないで・・・」
別れ際に聞こえた彼女の嗚咽はあまりに空虚で、聞くに値しない。
もはや後戻りはできないのだ。
たとえその先に、どんな結末が待っていようと。
さあ、戦いだ。
せいぜい殺し合おう。
願わくば、この命、尽き果てるがいい。
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