34話 残された二人
良いお年を!
暗い通路の先へ、湿った風が吹き抜けていく。
歩き始めてからどれくらい時間が経ったのだろう。
正直、ここまでの道のりをよく覚えていない。
戦友を見殺しにして、無様に逃げ延びて、それでも勝手に動き続ける体。
つくづく便利なものだ。
しかし心臓の音がやけにうるさいのだけは不便極まる。
そんなに騒がずとも、ちゃんとわかっているのに。
俺がまだ死んでいないことぐらい。
「・・・」
薄ぼんやりとした光が差し込む長い通路の終わり。
辿りついた場所は、鬱蒼とした森の中だった。
まだ砦の方から戦いの音が微かに聞こえてくるが、近くに敵の気配はない。
どうやら無事に脱出できたようである。
「行きますよ」
「・・・」
背後に向かって声をかけ、俺はまた歩き始める。
何はともあれまずは山を越えなければ。
その先の話はまた改めて考えよう。
行き当たりばったりで目的地さえ見えない状況だが、やるべきことはとてもシンプルでわかりやすいから助かる。
これならしばらく頭を空っぽにしてても問題あるまい。
そう思って淡々と機械のように足を動かしていたのだが、ものの数分もしないうちに動きが止まってしまった。
原因は後ろを歩く彼女だ。
「殿下」
「・・・」
振り返るとその場にへたり込んでしまった王女様が目に入る。
彼女は顔を俯かせたまま、壊れた人形のように動かなくなってしまった。
彼女からしたら、今夜起こった出来事はあまりに劇的であったのだろう。
おそらく心も体もすでに限界を迎えている。
しかしこんなところでのんびり休んでいるわけにもいかない。
俺はひとまず背嚢から水筒と携帯食料を取り出すと、それを彼女に差し出した。
「飲んでください。そう、ゆっくり」
「・・・」
「食事は歩きながらで。ほら、自分で持って」
「・・・」
「疲れているかもしれませんがもう少し頑張ってください」
「・・・」
「行きますよ」
一方的に言葉を投げかけ、俺は彼女の手を掴んで立ち上がらせた。
冷たい。
指先で触れた彼女の肌は、とても冷たかった。
それに少し震えている。
無理もないか。
軍は全滅、砦は落ちた。
そして大事な人も失った。
それも目の前で殺されて。
あまりに多くの血が流れた。
年端もいかない少女にとっては過酷な現実だろう。
悲しんでいい、嘆いていい、絶望していい。
それは人として当然の感情だ、あるべき姿だ。
だからこそ、間違っているのは俺の方なのである。
事ここに至って、俺の心は不気味なほどに凪いでいた。
彼女のように取り乱すこともなく、ただ粛々と己が為すべきことを遂行していた。
そこに迷いはなく、憂いもない。
人は慣れてしまう生き物なのだ。
残酷な現実であろうと、繰り返せばいずれ何も感じなくなる。
俺の心など、当の昔に朽ち果てた。
今さら誰かが死んだところで、指先が震えるようなことはない。
淡々と動いている足が何よりの証拠だ。
我ながら、頼もしい限りである。
しかしそれと同じものをミナリス王女に求めるのは酷だ。
「どうすればよかったんでしょうか」
沈黙を破った彼女の声は掠れている。
力なく零れた言葉は問答というより独白のためのものだった。
「本当はもっとうまくいくはずだったんです。もっと多くの人を救えるはずだったんです。こんなにたくさんの人を死なせるつもりなんてなかった。私は戦争を止めるために、ここまで来たのに・・・」
「・・・」
「ちゃんと準備しました。本当です。集められるだけの情報は集めて、根回しもして、作戦だって立てました。私はあの砦を放棄するつもりだったんです。全軍を撤退させ、もぬけの殻になった砦を帝国軍に落とさせるつもりでした。王国が誇る難攻不落の要塞、それが落ちればさすがにお父様も諦めてくださると、これ以上の犠牲は出さずに戦争を終わらせられると、そう思ったんです」
「・・・」
「なのに結果はこのザマ。皆を救うどころか、全員死なせてしまった。リリーも死にました。どうしてこんなことに。私はどうすればよかったのですか・・・」
「・・・」
押し殺したような声が紡ぐのは、懺悔なんて生易しいものじゃない。
それはまさしく悲鳴と呼ぶにふさわしいものだった。
俺はそれを黙って聞いている。
もはや取り返しはつかない。
どれだけ悔やもうと、起きてしまったことは変えられない。
ゆえに今さらかける言葉もない。
それはどこまでいっても彼女の問題で、俺にはどうしようもできないことだから。
また沈黙が二人の間を支配する。
光もなく、音もない空間で、指先から伝わる熱だけが互いの存在を証明していた。
「・・・」
進んでいく道すがら、良くないものを目にする。
相変わらず森は静寂に包まれているというのに、破滅の足音が聞こえた気がした。
やはりというべきか、夜はまだまだ終わりそうにない。
身も心もボロボロな状態で、いったいどこまで行けるだろうか。
残された二人の運命を見守るのは、夜天に浮かぶ朧気な月以外に見当たらない。
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