33話 生きろ
「准尉、大丈夫か?」
「大丈夫、ではないな」
目を覚ました彼の焦点ははっきりと俺を捉えていた。
手元には煙を上げる銃。
どうやら寝そべったまま発砲したらしい。
相変わらず器用な奴だ。
「ったく、せっかくゆっくり寝てたのに、騒がしいから起きちまったじゃねえか」
「悪い」
「まあいいさ。面白いもんが見れたからな」
「・・・」
そう言うと准尉は口の端を少し吊り上げた。
おそらく俺が司令相手に喧嘩売ってたことをからかっているんだろうが、今はそんなことどうでもいい。
平然と話しているが、准尉は相当無理をしている。
こうして意識が戻ったこと自体奇跡なのだ。
「状況は?」
「現在地は西の倉庫、脱出路の入り口だ。先に逃がした王女様御一行と合流したのがついさっき。信じがたいことに、殿下はここで俺たちが戻ってくるのを律儀に待っていたようだ」
「なんだと?」
「言いたいことはわかるが、気にするな。あれはそういう質らしい。おかげでそれに振り回された司令が我慢の限界を迎えて暴れだしたがな」
「さっきの騒ぎはそれが原因か?」
「そうだ。残念ながら侍女は司令に撃たれ死亡。殿下は殴られたけどなんとか生きてる」
「なるほど、やばい状況だったのはわかった」
こうして話している間にも事態は刻一刻と悪化していた。
准尉の容態もそうだが、戦いの喧騒が徐々に弱まってきている。
決着が近い証拠だ。
モタモタしていると敵がここまでなだれ込んできてしまう。
早くどうにかしないと。
「ノーデンス」
焦りで思考が乱される中、准尉が俺の名を呼んだ。
この緊迫した状況下にあってもなおその表情はひどく穏やかで、いっそそれが不気味にさえ感じられる。
俺は何か嫌な予感を感じながらも、恐る恐る返事を返した。
「なんだ?」
「俺は置いていけ」
かくしてその口から告げられたのはそんな言葉だった。
一瞬何を言われたのかわからなくて、俺は視線を彷徨わせる。
だがいくら考えてみてもその言葉の意図するところを理解できず、やがて助けを求めるようにもう一度准尉のもとへと視線を戻した。
「どういう意味だよ?」
「そのままの意味だ。俺はもう助からない。だから殿下を連れて逃げてくれ」
「何言ってんだ。まだ助かる。見捨てるわけねえだろ」
「ここから脱出して、それで終わりじゃないだろう。むしろその後が正念場だ。お前は怪我人担いで山越えするつもりか?」
「そんなもんどうとでもなる。俺が何とかする。だから置いていけなんて言うんじゃねえ」
押し殺すような声を喉元から絞り出す。
それは断じて受け入れられない提案だった。
だから拒絶する。
必死になって別の方法を探す。
しかしそんな俺に向かって、准尉は小さく首を横に振った。
「ノーデンス、お前のそれは美徳だが、同時に悪癖でもある。世の中にはどうしようもないこともある。この戦場はそんなもんで溢れかえっていたはずだ。忘れたわけじゃあるまい」
「知らねえよ、そんなこと」
「誰よりも人の死を目の当たりにしてきたお前なら嫌でもわかっちまう。それこそ魔人との戦闘が終わった時点で、いや、その最中にはもう、俺が助からないことくらいお前はわかっていた」
「だから知らねえって」
「お前はこんなことばかりしてきたんだな。無意味さを知ってなお、足掻き続ける。それは想像を絶する地獄だろう。そりゃ死にたくもなるか」
「准尉、もういい。黙ってろ。傷に障る」
「いいや、黙らねえ。お前と同じように、俺にも意地がある。ここで甘えちまったら、先に死んでった奴らに顔向けできないだろ」
そう言って准尉は俺の腕をつかんだ。
どこにそんな力を残していたんだと言いたくなるほど、その手には万力が込められている。
「これは命令だ、ノーデンス。殿下を連れて逃げろ。異論は認めない」
「・・・」
「もう終わったものに固執するな。それは優しさではなくただの不義理だ。お前にはまだ使命がある。そしてそれを成すための力もある。ならそのために足掻け」
それはあまりにも残酷な命令だった。
死にたがりには、もう生きる理由などない。
この戦争がはじまったとき、俺はすべてを失った。
家族を失い、友を失い、故郷を失い、怒りに任せて戦い続け、そこでも多くのものを失った。
いつしか怒りも失い、ただ虚しくて、悲しくて、やがてすべてがどうでもよくなった。
ここにいるのはただの抜け殻だ。
もう魂はとっくに死んでいるはずなのに、体だけが残ってしまって、死に場所を求め今も戦場を彷徨い続けている。
この生に意味はない。
ただ苦しいだけの無価値なものだ。
だから俺は死にたがる。
それなのに・・・。
「お前は、まだ俺に生きろと言うのか?」
震える声で、そう問いかける。
もう許してくれと、ここでお前を救えないのなら、もういっそのこと一緒に死なせてくれと、救いを求めるように願った。
「ああ、そうだ。生きろ、ノーデンス」
だが、准尉はそれを認めてくれない。
「ごめんな。結局全部押し付ける形になっちまった。もしかしたら、ここで死んだ方がお前にとっては幸せなのかもしれない。この先の未来で、お前が救われる保障なんてどこにもないんだから」
「なら・・・」
「でもな、それでも俺は信じてるよ。いつかお前が、生きててよかったと、もっと生きてたいと、心の底からそう思えるようになるって。だから間違ってもここで終わらせるわけにはいかないんだ」
「そんなこと・・・」
「わかってる。今はいい。いつかでいい。お前がそう思えたら、それでいいんだ」
息も絶え絶えだというのに、准尉はそんな言葉を吐き出し続ける。
わからない。
なぜそんな顔をする
所詮1年程度の付き合いだったじゃないか。
俺に対していったい何の義理がある。
初めて会った時だってそうだ。
なぜ俺に“生きろ”なんて言った。
どうして今また、俺に“生きろ”なんて言うんだ。
「頼むよ、ノーデンス」
「俺は・・・」
いいや、違う。
本当は俺もお前も全部わかってる。
1年間、互いに命を預けて戦ってきたのだ。
わからないはずがない。
お前はどこまでいっても前向きで、優しくて、お人好しで。
だからこそ俺の望みを知ってなお、俺に“生きろ”と言うんだ。
お前はそういう人間だ。
そしてそういうお前を、俺は認めていたんだ。
ならばこの死に際の言葉を無視することはできない。
それは道理に反する。
「・・・俺はお前を恨むかもしれない」
「ああ、別にそれでいい」
「たぶん最後まで俺はこのままさ。お前の望む未来には届かない」
「やってみなきゃわからねえよ」
「何も約束はしてやれない。それでもいいか?」
「もちろんいいとも」
「そうか、・・・ならその命令、承った。全身全霊を賭けて遂行する」
「さすがは俺の副官。安心したよ」
そう言うと、准尉は穏やかに微笑んで、掴んでいた俺の腕を放した。
解放された俺は立ち上がると、打ち捨てられていた背嚢を背負い、項垂れて動けないでいる王女様のもとへと歩み寄っていく。
一つ一つの動きがひどく緩慢なものになり、たった数秒が永遠に感じられた。
「殿下、行きますよ」
「・・・ノーデンスさん」
泣きはらした王女様の顔は赤くはれていて、目は虚ろに近い。
だがそんな彼女を慰める言葉など、俺は持っていなかった。
容赦なくその腕をつかむと、無理やり立ち上がらせる。
そのまま引きずるようにして、俺は出口に向かって進み始めた。
「ノーデンスさん、リリーが、准尉さんだって・・・」
「ここに置いていきます」
「そんな、あんなに・・・」
「もういいんです」
無理やり彼女を黙らせて、前へと進む。
これ以上の会話は毒にしかならない。
だから俺は口をつぐみ、心を殺して、足を動かすことだけに専念する。
「ありがとよ」
最後にそんな言葉が背中にかけられた。
胸を締め付ける痛みが、またこの歩みを止めようとする。
だが決して振り向くようなことはしない。
代わりにただ一言、呪いの言葉を吐き出した。
「さよなら」
ああ、いったいこの地獄はいつ終わるのだろうか。
どうして生き残るのはいつも俺なんだ。
こんなもの望んじゃいない。
俺はここで死にたかった。
最後まで仲間と一緒に戦って死にたかった。
でもその願いは叶わなかった。
恨むべき相手はいない。
すべて自分が招いたこと。
だがまだ戦い続けなければならないというのなら、せめて、せめて・・・、
誰か、早く俺を殺してくれ。
そう願わずにはいられなかった。
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