30話 破滅の足音
「はあ、はあ、はあ・・・」
息が切れそうだ。
やはり大の大人を一人抱えて走るのはきつい。
一歩踏み出すごとに全身に負荷がかかり、残り少ない体力を奪っていく。
それでも止まるわけにはいかなかった。
ここで止まれば准尉が死ぬ。
そんな結末は認められない。
幸いなことに彼を助ける当てはある。
先に逃がした王女様たちが向かったのは西の倉庫。
そこなら応急手当のための物資ぐらいはあるはずだ。
それに手当てが終わればそのまま脱出もできる。
山を越えて後方の拠点に合流できれば、ちゃんとした医療施設にだって連れていける。
准尉が魔人だと告げれば上の連中もそれなりの待遇は用意するだろう。
そうだ、まだ間に合う。
何も問題はない。
問題なんてないのだ。
俺は必死になって自分にそう言い聞かせ続ける。
繰り返し、繰り返し、何度でも。
そうでもしないと、この暗く長い道のりで正気を保てそうになかったから。
そうして走る続けること数分。
ようやく視線の先に、大きな扉が現れる。
行き止まりの部屋。
間違いなくあれが司令の言っていた倉庫だろう。
「ほらついたぞ、准尉」
「・・・」
応えはない。
だが耳元で聞こえる呼吸の音も、背中越しに伝わる心臓の鼓動も、彼が生きていることを懸命に伝えていた。
「もう少しだから」
半開きになっていた扉を蹴り飛ばして中へと押し入る。
部屋に入って最初に目に入ったのは、部屋を埋め尽くす何列もの棚の群れ。
そこに詰められた食料や備品が、ここが目的地であることを告げていた。
ひとまずここまで辿りつけたことにほっと一息ついていると、なにやら奥の方から話声が聞こえてきた。
「・・・でしょう!」
「ですから・・・」
声の主には心当たりがある。
というか彼女たちしかありえない。
だがなぜまだこんなところにいる。
時間的にもう砦から脱出していてもいいはずなのに。
奇妙な事態に混乱しながら奥へと足を進めれば、案の定そこには王女様御一行がいた。
「何をしてるんですか?」
声をかけると一斉にその視線がこちらを向く。
状況はよくわからないが、俺たちの姿を確認した彼女たちは三者三様の表情を浮かべていた。
「ノーデンスさん!」
一番肯定的な反応を示している王女様が俺を呼ぶ。
彼女は心底安心したような顔をしてこちらに駆け寄ってきた。
「よかった、無事だったんですね」
「どうしてまだここに?」
「あなたたちを待っていたんです」
「・・・」
信じられない言葉を聞いて、俺は一瞬呆然としてしまう。
まさかこの人は足止めに残った俺たちを待っていたというのか。
もしそうだとしたら相当なアホだ。
意味が分からない。
いったい何のために俺たちが戦ったと思っている。
「・・・そうでしたか。ありがとうございます」
だが俺はその馬鹿げた行動を非難しなかった。
彼女たちがここにいたことは、俺にとっては幸運なことだったからだ。
准尉を助ける上で人手が多いに越したことはない。
「准尉が負傷しています。手当はできますか?」
「え、あ、そんな・・・。すぐに治療を、リリー」
「はっ!」
王女様は俺に言われてようやくボロボロの准尉を認識したらしく、慌てた様子で後方に控えていた侍女に指示を出した。
ここですぐさま彼女を呼ぶことから察するに、この王女専属侍女にはそれなりの医療知識があるのだろう。
代わりに診てくれるのならこれ幸いと、俺は抱えていた准尉を下ろし、近づいてきた侍女に場所を譲った。
すぐさま准尉の容態を確認し始めた彼女だったが、事態の深刻さに気付いてその手がピタリと動きを止めてしまう。
「これは・・・」
「どうだ?どうにかできそうか?せめて応急処置だけでもできれば助かるんだが」
「全身に重度の火傷を負っています。今ある手持ちの物資じゃ治療なんてとても無理です。というよりこれではちゃんとした設備があっても・・・」
「・・・」
返ってきた答えは期待外れのもの。
それを聞いた瞬間、俺はこの女に対する興味を失った。
「包帯はあるか?」
「何に使うつもりですか?」
「見てわかるだろ」
「わからないから聞いているんです」
「治療だよ。せめて傷口を覆うくらいはしないと」
「・・・残念ですがこの方はもう助かりません。諦めてください」
彼女の言葉が頭に響く。
ただ言っていることの意味がよく分からなかった。
だから俺はそれを無視してもう一度彼女に要求を告げる。
「包帯をくれ」
「ノーデンスさん、お気持ちはわかりますが時間もありません。ご理解ください」
「こいつは助かる。俺が助ける。時間だって多少はあるはずだ。いいから包帯をよこせ」
「・・・この怪我ではもう助かりません。あなたもわかってるはずです」
わかってるはず?
何を?
不気味なノイズが思考に走る中、俺は改めて准尉の体へと視線を落した。
まだ呼吸はしている。
火傷は・・・、確かに全身に回っているが、重症なのはほんの一部だけ。
ひとまず包帯で患部を覆って、感染症を防がないと。
あとは軍の医療設備へ運べばなんとかなるはず。
そうだ、まだ助けられるじゃないか。
この女は何を言っているんだ。
・・・。
いや、でも待てよ。
本当に大丈夫なのか。
仮にこの場を凌いだとしても、俺たちはこれから険しい山を越えなければならない。
その間准尉の体力は持つだろうか?
敵の追撃はどう振り切る?
そもそもこの怪我は本当に治せるものなのか?
わからない。
考えがまとまらない。
俺は今何をやっている。
これではまるで・・・。
「ノーデンスさん」
意識が暗闇へと引きずり込まれていく最中、誰かが俺の名を呼ぶ。
それと同時に感じた背中の熱に驚いて振り向けば、そこにはミナリス王女がいた。
心配そうに俺の顔を覗き込む彼女の手には包帯が握られている。
「これを使ってください」
俺は差し出された包帯を反射的に受け取った。
さっきまでぐちゃぐちゃになっていた思考が一旦なりを潜め、目の前の彼女に意識が吸い寄せられていく。
その美しい瞳と目が合うと、彼女は優しく微笑んだ。
「准尉さんを助けるのでしょう?私たちも協力しますから、落ち着いてください」
「・・・はい」
忘れていた呼吸を思い出す。
止まっていた思考が動き出す。
そうだ。
何を弱気になっている。
お前に諦める権利などありはしない。
助けると決めたんだろう。
なら最後まで戦え。
「ありがとうございます」
彼女に感謝を告げながら、乱れた思考を落ち着かせる。
そしてもう一度准尉に向きなおると、俺は自身のやるべきことに取り掛かった。
「待て」
しかしその必死の抵抗はすぐに遮られる。
まるでこちらの決意を嘲笑うかのように。
「殿下、いい加減にしてください。そんな死にかけに使う時間はありません。その男はここに捨て置き、我々は早くここから脱出すべきです」
セパ司令の放ったその一言が、再びこの場を凍りつかせるのだった。
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