メンズ・ヌーディス島(Men's Nud-island)
シェアード・ワールド企画「貝楼諸島より」に野良で参加した作品です。
雲ひとつない青空が見える。それから、波の音。
砂に手を付いて起き上がったぼくは、トロジャン・マグナムで作った救命胴衣がまだパンパンに膨らんでいることに驚いた。
頭が激しく痛む。足音が聞こえて、全裸の男が傍らにしゃがみこんできた。色黒で、全身毛むくじゃら。原始人みたいだ。石鹸の臭いが鼻を掠める。
彼が手に持っていたほら貝を吹くと、男たちがぞろぞろと浜辺に降りてきた。みな筋骨逞しく、一糸まとわぬ姿だ。
そのとき、浜辺を突風が吹きぬけた。
「キャッ!」
みな股間を手で押さえようとしたが時すでに遅く、ビタンビタンと陰茎が太腿を打つ音があたりを満たした。
どうも悪夢を見ているようだ。
担架に乗せられた。この島は小高い山でできている。男たちがぼくを担いで斜面を登る。しばらくすると、木々の間に人家が見えはじめる。
やがて、ある家の中へと下ろされた。原始人が聞き慣れない言葉で指示を出すと、他の者たちは出ていった。首長によるエッチな通過儀礼か?
彼はぼくの傍らにしゃがむとあれこれと呼び掛けてきたが、何も聞きとれなかった。わからない、と首を振ると、彼は頬を掻いて、別の言葉を試してくる。
「服を失礼してもいいか」
イタリア訛りの英語だった。この島は昔、イタリア領だったのかもしれない。理解のしるしに頷くと彼の顔が明るくなって、ぼくの服を脱がそうとしてきた。そんなことに合意を求めるエロ領主がどこにいる。
それで、すっかり挑発的な気分になってしまったのだった。
「服を脱がせる前に何か忘れてない……」
救命胴衣を脱がせようと悪戦苦闘している原始人にそう呼びかけると、驚いたようにこちらを見下ろした。ぼくはその間抜け顔を鼻で笑い、キスをした。
最初こそ抵抗していたが、とろんとした目付きで舌を受け入れた。ちょろいもんだぜ。しかし男ははたと我に返ってしまい、身を離して立ち上がった。
「おれはただ、あんたを綺麗にしようとしただけだ!」
「え……」
夢じゃなかったのか。
玄関が開き、湯をなみなみと張ったバスタブと石鹸が運ばれてきた。男は「ひとりで入れるよな」と言い捨てて、家から出ていった。
塩と砂でぱりぱりの服を脱いでいると、なぜか頭にコンドームを被っていることに気付いた。頭痛の原因はこれか。
入浴しているうちに、ようやく色々と考える余裕が出来た。どうして裸の男しかいないのか、とか。
扉がノックされ、さっきの男が清潔な衣服を持って現れた。ありがとう、と言うと彼はやつれた笑みをむけてきた。
「びっくりしたよ。人が島に漂着することなんてなかなかない。それに、あの下品な救命胴衣は……」
「いや、あれは……」
友人に誘われて気乗りがしないままに参加したゲイ・クルーズの、ナイトパーティに出ていたのだった。
甲板への出口でドラァグ・クイーンたちにそれを渡されたときは、ボンデージ・ファッションを模したバルーンアートだと思った。でも反対側のクイーンから「コンドームがあなたの命を守る」とか何とか言われながらアルミ袋を渡され、正体を悟った。
それを着て、端っこのほうの手すりに凭れてぼんやりと水面を眺めていた。島が見えないかと目を凝らしていた。今年はさまざまな風習や言語を持つ島々を巡るルートだった。
明日は降りてみようかな。そんなことを考えていると、突然目の前で海面が意志を持ったかのように膨らんで――船がひっくり返った。
原始人は真面目な顔で、それは大変だったな、と言った。
「ところでこの服、外ではあんまり着ないでくれよ。この島、着衣禁止のゾーンがほとんどなんだ」
「え」
曰く、この島は投げ銭配信サービスで巨万の富を得たポルノスターが引退と同時に買い取った私有地で、裸身の青年たちもそれぞれ名を成そうとしているストリーマーたちなのだそうだ。彼らは島中を全裸で闊歩し、まぐわう。そして島のありとあらゆる場所に取り付けられたカメラが、それをライブ配信する。
どうもとんでもない島に流れ着いたらしい。
外から男たちがドシドシ入ってくる。今度は食べ物だ。薄切りのパン、チーズとハム、ゆで卵、ヨーグルトとシリアル、果物。
「随分洋風だ」
「ポルノ王が寄越してくれるからな。でも、これっきりだ。ここに来る物資を積んだフェリーが、転覆した」
「転覆」
ぼんやりと、クルーズ船の転覆のことを思い出した。
吸盤のついた、無数の触手。黒々としたふたつの目。
この島は閉鎖される予定で、近日中にストリーマーたちを迎えに軍用機が来るらしかった。それに同乗して帰ればいい、と彼は言った。
それまで島で気ままに過ごすことにした。
フェリーが転覆した日、高波が浜辺に打ち付けて、その辺のカメラが全部ダメになってしまったらしい。つまり、そこにはぼくも降りていけるということ。
靴と服を脱いで、トルマリン・ブルーの海を見下ろす。ほとんど垂直に近い砂浜を転ばないように駆け降りて、そのまま海の中へと飛び込む。
泳いでいると、誰かが飛沫を上げて飛び込んでくる。少し待つと、すっかり慣れ親しんだ髭面が水面から出てきた。マリオ、と呼び掛けると、彼は笑顔を見せてまた水に潜る。
彼はこの島に元から住んでいた。配管工ではなく、町役場の職員。ほかの住民たちがポルノ王に巨額の金を渡されて移住する中、この配信事業を管理しないか、と持ち掛けられたのだそうだ。
長続きするとは思ってないよ。ぜんぶ終わったら返すからさ。
言われた通りの口調をなぞっているのだろうその言葉を繰り返すとき、マリオはどこか昏い目をしていた。
ぼくはマリオの部屋を間借りした。パソコンでネットフリックスを見て過ごし、それに飽きると『メンズ・ヌーディス島』という名前のサイトを開いた。
島の航空写真があり、各所をクリックするとそこにあるカメラが見られるシステムだ。画面を切り替えつづけた末に、ぼくはマリオを見つける。そして、忙しく立ち働く姿を眺める。裸なのがシュールだった。
クルーズ船のその後も調べた。船の欠片すら見つからないのだそうだ。その時刻の衛星写真を見ても、突如として消えたことが分かるばかり。船ばかりではなく、この辺りでは島が突如消失したりしている。地震があったわけでもないのに。
日が暮れる頃になると、マリオが戻ってくる。夕食を二人で食べて、そのまま寝る。
みだらなことは何もなかった。
ある日、小屋へと帰る途上でマリオが数人の男に囲まれているのを見かけた。男の一人が、マリオの股間を挑発するように触る。マリオは眉ひとつ動かさず、こちらへと踵を返す。
咄嵯に木陰に身を隠そうとしたが、ぼくに気付いてバツの悪そうな顔をした。彼は浜辺の方を顎でしゃくった。
しばらく泳いで、木陰の下に並んで座った。マリオは洗濯籠から冷えた缶を取り出して、プルタブを開けた。
「嫌だったの……さっきの」
そう訊くと、マリオはビールから口を離して、こちらに渡してきた。飲むと、微かに塩の味がした。
「いいや。でも……監視者の立場で毎日見てると、楽しいもんでもないし。それに、複数ってなんか嫌なんだよな。合意が大事だろ、何事も」
今度はこちらが考え込む番だった。それから、意を決して口を開いた。
「あのさ、ごめん。ここにきた時……」
マリオは肩をすくめ、缶をぼくの手から奪って飲みはじめた。
「いいんだよ、別に。あれは」
軍の輸送機がやってきて、一人ずつ乗せられていった。ストリーマーたちは、ぼくとマリオに向かって投げキッスをしたり尻を振ったりしながら、機体の中へと入っていった。
ぼくは、ポルノ王の自家用ヘリを待っていた。転覆の生き残りであるぼくを、大層珍しがったらしい。マリオはこのままこの島に残る。
この島を返してもらって、どうするのだろう。もう誰もいないのに。誰が来ることも、ないだろうに。
浜辺で、並んで座っていた。マリオは何を話しかけても、うん、としか言わず、あとは黙っているばかりだった。
「ぼく、キスってしたことなかったんだ」
何の気なしにそう話すと、マリオがこちらに疑いの目を向けてくる。
「嘘だろ……ありゃとんでもないビッチのキスだったぞ」
「ほんと。虫歯の治療に行くのが面倒だから」
虫歯菌がキスで人にうつる、というのを子供の頃に知って以来、何となくキスに対して嫌悪感を抱いていたのだった。ぼくは小さい頃から歯医者が嫌いだった。フッ素濃度の高い歯磨き粉を使ってなんとかごまかしてきたのだ。
「性病はコンドームで防げても、歯はね」
「回し飲みはいいのか」
「もう手遅れだなと思ったから」
マリオはまた黙り込んだかと思うと、おもむろにぼくを抱き寄せた。
「いいか……」
「え、いいけど」
唐突に合意を求められると「同意する」ボタンを押す時と同じくらいあやふやな回答しかできないものだ。
「何で」
「手遅れだからな」
服を脱がせる前にするべきことを一通りしていると、砂浜に押し倒された拍子に、こちらへ向かってくるヘリコプターの機影が見えた。
「一緒に島に残ってくれ」
どう答えたものか、と思った。嬉しいけども。二人で釣りや家庭菜園に勤しんで暮らすのだろうか。
そのとき、海から巨大な触手が伸びて、ヘリコプターを海へとはたき落とした。
「え、ポルノ王、死んだ……」
現実味の薄い光景だった。マリオが身を離して立ち上がり、呆然と神の名を呟いた。
海面がうねる。足元を波が掬おうとする。マリオがごそごそとズボンを探りはじめたかと思うとiPhoneを取り出し、インカメラに向かって涙声で自分の名前と今の状況を伝えはじめた。クローバーフィールドかよ。思わずはたき落とすと、逆上された。
「何すんだよ」
「高台に行くのが先」
しかしてっぺんまで登ったところでどうしようもなかった。
「たぶん、アレ、船を沈ませたのと同じやつ」
「クソの役にも立たない情報ありがとよ」
マリオは今や拗ねて地面を蹴るばかりだった。極限状態に置かれると人の本質が見える。ノリで島に残るとか言わなくて正解だったな(どうせ死ぬならそう言った方が盛り上がってよかったかもしれないが)。
よく見ると、マリオが蹴っているのは使用済みのコンドームだった。さっきここで乱交が行われていたのを思い出した。
コンドームを蹴る男。迫る触手。青い海。
その光景が、突然クルーズ船における最後の記憶の蓋を開いたのだった。
ジーンズのポケットを漁ると、目当てのものが記憶どおりに入っていた。マリオが洗濯をするときにポケットの中を確認しないタイプでよかった。
マリオの前にそれを差し出すと、心底理解できない、という顔をした。
「何考えてんだよ」
「言う通りにして」
それは、洗濯機で揉まれてよれよれになったトロジャン・マグナムだった。
トロジャン・マグナム。アメリカの男性たちを狂わせる、男性性の象徴。
暗い海を見るのにも飽き、あまりに暇だった僕は、ほかの乗客たちが見ていないのをいいことに一人でトロジャン・マグナム・チャレンジを始めた。
トロジャン・マグナム・チャレンジとはYouTuberがこぞって行う遊びだ。つまり、頭からあれをすっぽり被ることができたら勝ち、というもの。ロシアンルーレット並に危険な暇潰しだ。
鼻の上までは入ったが、爪が引っかかったのか途中で穴が開いてしまった。片目のところが完全に開いている。
脱ごうかどうか思案しているときだった。
水面から突き出した触手。
僕の体くらいあろうかという眼。
巨大なイカのような姿をしていた。
もらったのがトロジャン・マグナムで良かったな、と思った。普通のやつでは多分できなかった。
目を開いたままでは被れないので、何も見えなかった。耳まで覆っていたが、波濤がゴムを震わせていた。『それ』の鳴き声かもしれない。やがて、粘膜が這うぬめついた音も聞き分けられるようになってきた。
柔らかく冷たいものに、足元を掬われる。尻餅は骨のないゲル状の肉に受け止められた。『それ』は、ぼくの体を探りはじめた。マリオが情けない声を上げる。秘所や性感帯を執拗に刺激してきたりはしなかったし、むしろ痛かった。なんせ砂抜きをしていない吸盤で撫でられているのだ。
しばらくそれに耐えていると、突然固い地面に下ろされた。じっとしていると、シズル音が遠ざかっていった。マリオの声が聞こえた。
「マジかよ」
悪戦苦闘の末に頭からトロジャン・マグナムを剥がした。信じられない光景だった。山のてっぺんのちょっと下まで、水位が上がっている。ベッドひとつ分くらいの陸地に、ぼくたちはへたりこんだ。
遠くに、触手が見えた。いつまで経っても小さくならないが、ものすごい勢いで遠ざかっているのだろう。
なぜ自分だけ生き延びたのか、と考えた。あの怪物が本当にイカの形をしているのだとしたら……
コンドームを被っていたことで頭足類仲間とみなされて、見逃されたのではないか。
確証のない賭けだったが、当たりだったらしい。外れていてほしかったし、こんなことならあのまま死んでいた方がマシだったのではないか。生きているのが恥ずかしい。
「もう死んだことにして、この島で余生を送りたい……」
思わずそんなことを口走ってしまうと、マリオが「本当か?」と食い気味に被せて詰め寄ってくる。いや、こんなのそう思いたくもなるだろ、とか何とか言って押しとどめようとしたのだが聞きやしない。
まあいっか。島最高~❗✌✌(←ヤケクソ)
《終》
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