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ナズナの十字架  作者: 天崎 栞
封じられた過去____form“透架”
27/29

第25狂・記憶から消した人



_____循環器科、医局。



まるで、

“逃亡者”みたいと言われて、透架は聞き流した。

御影純架の意識回復した旨を電子カルテで打ち込みながら。

生憎、何処にも医師はいなかったので幸いだが。


「あの時だって、居たのに………」


智恵は名残惜しそうに、呟く。

図星を突かれた影響か、透架は一瞬だけぴたり、とキーボードを弾く指先は止めた。


純架の傍にずっと傍に居たのは、透架だった。

片時も目を離さず、不眠不休でずっと彼女の傍から離れなかったのに。

ちょうど智恵が居合わせた時に、純架の瞼が動いた。

それに勘付いた透架はベッドの下に(うずくま)り、

呼吸を殺して(かが)んでいた。


(…………純架ちゃんが目を覚ました時にいるのは、私じゃない)



純架の事になると、

物憂げな瞳はますます捉え所が無くなってしまう。


「私はやっぱり、良く思われていない証拠だと思う。

現に智恵が来たら、純架は目を覚ましたでしょう。それが物語ってる」

「貴女がそう思っても

純架ちゃんは、絶対、そう思っていないわ」

「…………例え心がそうだとしても、身体が拒絶していたとしたら?」


智恵は、ぴたり、と止まった。

確かに症例は多々ある。精神的な要因で目を覚まさない等。

実際に智恵の担当している患者でもある事だ。


此方は心療内科専門医なのに、

先駆けて、それを言われて絶句してしまう。

私情を挟むのは駄目だろうが、

智恵はそうではない、と思いたくて仕方なくがなくなった。

大人の事情で引き裂かれされた双子の姉妹は、

心は通じている様で一方通行だ。


(どうか、双子の妹に対して悲観的になるのは止めてほしい)


健気な思いに泣きたくなるのは、此方だ。


智恵は透架の華奢な肩を、叩いた。


「今日はこのまま、帰宅よね。しっかり休息を取る事」

「………分かりました」








帰宅して

透架はベッドに横たわると、どっとした何かが押し寄せた。

けれども物憂げな表情と眼差しは変わらない。

リラックスや癒し、という感覚は透架には分からない。

出来ないとでも言うべきか。



ナイトテーブルに置いてある、

処方された複数の睡眠導入剤や抗鬱剤に視線を向ける。

不眠症。入眠困難と診断され、薬を服用しなければ、

透架は眠りに着く事すら出来ない身体であり体質だ。


なので、どれだけ眠らなくとも、眠気は訪れない。

自分自身でも未知で不思議な体質だ。


ただ、最近は、眠りに意識に溶け込めない事も多い。

目許に腕を起いてただ瞑想する様に目を閉じて茫然自失のふりを努めた。


(………この身体………精神は、もう、壊れてる)


透架は静かに嘲笑う。

これが純架を傷付けた代償だとしたら、軽過ぎるのではないか。

罪なき純架が苦しみ、

罪人の自分自身が、のうのうと息をしているのだろう。




_____ココハ、ドコダ?


知らないファミリータイプのマンションのリビング。

隣には、温かな微笑みに溢れている純架がいて、

目が合うと微笑みを深めた。


生命維持装着も、

カニューレタイプの酸素も、備えていない。

自分自身とそっくりな顔立ちには暖かな陽の様な微笑み。


「透架、凄いわ。今日は合格のお祝いよ」



(知らない女の人の声。誰の声だろう?)


感情的な薫でも、

無機質な声音の御影の人間でもない。

不思議そうに、ただ首を傾げていた透架に対して

毒の氷柱が、とどめを差した。


「今日は、透架の国家資格合格、のお祝いだよな」


聞き慣れた声。忘れなれない声。憎しみの声音__。

反射的に前を見ると透架は悪寒が(ほとばし)り、目を見開いた。

テーブルの向こう側には夫妻がいた。

けれど能面で顔は変わらない、口許だけが微笑んでいる。

誰だと思った時に、心から込み上げてくるどす黒い何か………。



冷たい床が、身を凍らし、

現実感を心に染み込ませる。全身に衝撃を受けても、

透架は暗闇に(うずくま)り、動けないままだ。

呼吸が苦しい。


両親の顔は、

もう透架の記憶にはなかった。否、消した。


だから夢の中に現れた両親は能面だったのか。

思い出したくもないが、両親の顔は思い出せない。


あの男が父親だった頃の顔付きも、

母親という憎い女の顔も。


透架は無責任な両親の事等、忘れてしまいたかった。

現実的な理不尽を下した元凶の父親を憎しみ、

悲劇のヒロインとして憔悴し自分自身だけ安堵の地へ逃げた母親を、透架はあまりよく思えない。



(私はあんな、無責任な大人の二の舞にはならない)

(………純架を置いてきぼり、になんて出来ない)


いつか、母親の様に

無責任な人間側の末路を辿る自覚はある。

けれども無責任に無駄死になんて、透架は絶対にしない自信だけは心に存在した。


(必ず。贖罪の十字架は、

責任を果たした後に、この身を投げて果たすから)



悲哀に満ちた女性歌手の歌声に心地好い。

透架は片隅、でグラスの水を見詰めて物憂げな瞳で、見詰めて目を伏せた。


あのまま眠る事も出来たけれど、

引き継ぎであの夢の続きを見てしまいそうで、透架は放棄した。

あの夢を崩す為にマンションの徒歩1分の所にあるクラシックbarに訪れた。


そんな中、不意に目の前が黒い影が、横切った。

見上げるとまたうんざりした感覚を覚える。目の前には、高梨玲緒がいた。



「偶然ですね」

「……………」

「barにいらっしゃったのに、お冷やですか」

「白湯です。職業柄、アルコールは支障が出ますので」


お酒の香りは、嫌という程に味わった。

嫌いなものは、度数のきつい酒と、酒と存在感の強い香水の香り。

呑めない訳でもない淡いものは好きだが、

透架はアルコールは口にしない。

玲緒は目の前に居座ってお酒をオーダーしている。






「疑われたまま、

誤解されたままなのは嫌なので訂正します」

「何をですか」


「あなたは

私が御影純架さんの双子の姉、と言っていましたよね?_____私、“御影純架さん”とは、赤の他人なのですが」


感情殺している生きる透架にとって、息苦しくなる嘘。

透架の告白に玲緒は口許を手で覆いながら、微笑みを隠し切れない。


「無理があるでしょう? 同じ名字。似通った名前。

加えてそっくりな容貌。それに僕は純架から聞きました。

姉の名前は“透架”と、ね?」

「………私、養女なんです。元の名前があります。

養女に引き取られた時に、その養父母の亡き娘様の名前をそのまま譲り受けました。その方が御影透架さんです」

「貴女の、元の名前は?」

「個人情報ですよ。

それに“世の中には3人、顔の似た人がいる”という噂があるでしょう。

恐らく他人の空似に遇われたのかと。きっとその類いです。


……ですが、

御影純架さんとは、

私は似てないですよ。ご本人様に失礼です」


身バレしても、他人のふりをする。

自分自身の姉妹という事が明らかになれば弊害が出る。

先日の一瀬湊太の事が身に染みて、それを露にしている。

純架には心は平穏無事で居て欲しい。


冷静沈着のままの透架とは違い、玲緒は愕然とした。



(………… 確か、双子のもう一人は無事だった、はず)


(どういうトリックなのか)


微かに心に渦巻いた動揺を、微笑みでかき消した。






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