第22狂・透明なエンプティ
現在に戻ります。
丁度、智恵が透架の部屋に入った時には、
脱衣室からシャワー上がりの、パジャマ姿の透架と出くわした。
まだ慣れない。御影姉妹の、純架と間違えそうになったが、
何処か半目で物憂げな雪の様な瞳で透架だと飲み込んだ。
智恵は透架の住むマンション内に住んでいる。
「乾かしてあげる、座って」
ベッドに座らせると、
智恵は、丁寧かつ慣れた手つきでタオルドライし、
髪の手入れを一通り済ませるとドライヤーで乾かしてから髪を背に流す。
酷く殺風景な部屋。
必要最低限の家具。潔癖症な彼女によって埃一つ落ちていない。
だからこそ、あまり生活感がない。
肩甲骨を覆う少し伸びた長いロングヘア。
純架は鎖骨より少し伸びたミディアムヘアだった。
智恵はそのまま柘植の櫛で、
丁寧にロングヘアに櫛を通していく。しかし刹那に気付く。
_____純架が使っていた櫛と全く同じものなのだと。
普段から丁寧にケアされているのだろう。
髪は艶やかでほんのりラベンダーの香りがした。
けれども基本的に、
心臓外科医として多忙を極める透架は
髪はボサボサとなっている事が多い。
たまに同じマンションに住む智恵が乗り込んできては、透架のケアをするのだ。
「髪は女の命ですよ」
「…………」
丁寧に髪を解かしながら、
智恵は、本題に身を乗り上げた。
何事にも、誰にも囚われない。我が道を行くのだと
その象徴をしているかの様な、真っ直ぐでサラサラの髪。
「最近、眠れていますか?」
「…………はい」
「…………いいえ、にしておきますね」
ばっさりと智恵が切ると、透架は不服そうな面持ちをする。
分かっている。
その物憂げな瞳の白い肌には紫色の隈が
浮かび上がっている。
(言葉で嘘は着けても、心身は意外と正直だ)
実は智恵は、
心臓外科医であると同時に精神科医でもある。
そして、心療内科での御影透架の担当医だ。
病院には透架の名前は患者カルテにはない。偽名を使い
だからお忍びで透架のプライベートで診察を行うのだ。
「最近、オペへの参加が多い。
多忙もあると思うけれども、要因はそれだけだけではないわよね?」
「…………」
あれから透架は、オペへの参加が多くなった。
担当患者の手術、緊急オペ、救命救急科の人手不足の為に、その救命へも脚を運んでいる。
加えて一瀬湊太が犯した過ちにより、
一瀬湊太の患者も抱えている、というのが現実だ。
重荷を背負いたがって、自らの首を絞めたがりな、
彼女の本心は分からない。
休息なんて取っていないだろう。
元々、“ある体質”も持っているのに、
加えて自らを見えない自傷行為に乗り出していること。
双子の妹・純架との物理的な距離は、遠くなるばかり。
まるで双子の妹との距離を置いて、敢えて避けているとも受け取れる。
図星を突かれた様に、透架は何も言えない。
10年来の親友で長い付き合いに加えて智恵は洞察力が鋭くて、何処か見透かされている。
「………純架ちゃんの事、本格的に遭遇しない様になった。
一瀬先生の穴埋めもあるけれど、
純架ちゃんと会わない事はそれが貴女の本望かな、って……」
自己責任で純架を引き取った暁には
実家からも誰にも干渉されないし、させない。
今はただ彼女を遠くで見守りながら、純架が平穏に過ごせる事だけを祈っている。
(………純架は、きっと、良い感情を抱いていない)
自分自身の自由と、将来を奪った双子の姉の事を。
彼女の心の平穏を乱すのなら、自分自身は消えた方がましだ。
「質問を続けます。
最近、貴女にとって変化はありましたか?」
語り部の様に、智恵は質問を続ける。
「………ありません」
あの謎の青年の耳打ちで、記憶に蓋をしていたもの。
不意に脳裏で余儀ったのは、澁谷家で暮らしていた日々。
(心を不穏にさせるのからなるべく思い出したくなかったのだけれど)
『俺は医者になんてなりたくない』
宏霧に一つだけ感謝するとしたら、
医者になる切符を取られずに済んだ、という事だろうか。
あの日、切符を握り締めたまま、研修先の寮へと逃げた。
あれから澁谷家とは絶縁状態だ。
最近の変化を『純架の転院』と受け取った智恵だが、
不意にカルテを見た瞬間に透架の事で首を傾けた。
(透架を支えているものはなんだろう?)
不意に、智恵の元にその考えが舞い降りた。
キーパーソンが双子の妹なのは理解出来るのだが、
それ意外に、その向こう側に決定的なものがあると思うのだ。
(けれども、それらが分からない)
透架は誰にも干渉しなければ、興味を示さない。
彼女の考えている事も不透明で、ミステリアスだ。
その謎に紗に包まれている彼女を見れば、その心は遠くに行ってしまいそうで、無性に追いかけたくなるのは何故だろう?
「………純架の様子は、どう?」
「………うん、この病院での生活にも慣れたみたい。
よく本を読んでいるの。あまり外には出たがらないかな」
「………そう」
微かに緩んだ頬を、智恵は見逃さない。
「ありがとう。智恵。お茶、淹れるね」
「………うん」
背中越しで、透架の表情は見えない。
けれども彼女の心はいつも、いつだって不穏で、何処か読めない。
刹那的で、脆くて何処か自棄的な、名前の通り透明な娘。
(遠巻きに今だってそう、はぐらかされた)
智恵が心療内科医になろうと思ったきっかけは、透架だった。
付け加えれば、透架が初めて受け取った患者だ。
心療内科 カルテ番号
香取 真帆/29歳 女性
生年月日:19XX/ 12月11日
主治医 : 賀川 智恵 (心療内科専門医)
病名 : 不眠症
参考 :不眠症の発病時期不明。
心療に当たった際には悪化。
投薬・カウンセリングで 経過を診察中。
香取真帆と偽名だが、その正体は御影透架だ。
自分自身に絶望し、生きる事を諦めた時。
唯一、透架に差し込んだ光りが、
惰性的に生きる透架の糧になっている。
その為にだけに生きている
エンプティ〈空っぽ〉な人間_____。
透架のPTSD〈心的外傷後ストレス障害〉は誰も知らない。




