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ナズナの十字架  作者: 天崎 栞
封じられた過去____form“透架”
21/29

第19狂・少年にとっての少女の存在理由




(僕の為に、あの子はいる?)


胸に受けた衝撃は計り知れなかった。


(母さんは、僕に失望したの?)


母親の思惑に戦慄と吐き気を感じる。

だから、あの少女に全てをかけてしまった。

自分自身が優秀であれば、あの少女は現れる事はなかったのか。

いつも彼女と自身を反比例しては、屈辱的に感じていた。

当然、母親が少女を引き取った事すら憎んだ。


透架が此処に生きる理由は、

自身の身代わりの為に替え玉になる為に、国家資格取得を目指す為。

だから身売りされた少女を、母親は引き取って

厳しく育てていた。………医師となった権利を自身に渡す為に。


(この上ない酷い話かも知れない)


同性としての嫉妬を剥き出しにしながら、

罵詈雑言、悪党雑言を言いながらもこの家に置いていたのは

自分自身の為。宏霧を医師にする為に、苦労等の苦悩を少女に任せた。

薫はそれを愛情と言った。自分自身の為だと。

けれども誰かを犠牲にして、成り立つものを受け取りたくはない。


透架を引き取った理由は

宏霧を医師にする為と、御影家から渡される養育費。

その養育費は全く透架の為に使われていない筈だ。


宏霧は透架に感謝して、透架を疎んだ。

透架から現れてからのこの数年、彼女への哀れみと嫉妬を抱いてからだ。


(透架が現れてから、母さんは変わった)


透架が現れてから、薫もこの家は変わり果てた。

優しかった母は、盲目的に女として生きる事しかせず荒み切ってしまってあの頃の面影は消えた。

家には冷たさが横たわり、まるで雪が降り積もった積雪の世界の様に思っていたのだ。


だからこそ透架を憎んでいた事を否めない。

透架さえ現れ無ければ、変わらない薫は優しい母親の人物像のままだった。


学校から帰宅すると、

リビングでカチャカチャ、という音が聞こえた。



不意にリビングに向かうと、

掃除機や新聞紙を置いて、割れ物の片付けをしている透架の姿。

息子に呆れられた腹いせか、

薫がグラスを割ったのだろう。その破片が縦横無尽に散らばっている。


彼女の動作は礼儀正しく

何処か機械的かつ、何処か危うさを備えている。


(可愛さあまって、憎さ100倍だった)


母親を取られたと今まで誤解して、透架の事は無関心。

けれども宏霧の無関心な軽薄な眼差しと薫の罵倒に晒されてきた少女は孤独に耐えて生きてきた。

_____きっと、今も。



彼女が施す家事で

この家はモデルルームの様な無機質さと綺麗さを保っている。


不意に見ると、

硝子は赤色に染まっていた。

硝子で切ったのだと気付いた時、

宏霧は背筋が凍る感覚がして卒倒しそうになった。


「脅かせてしまい、ごめんなさい」

「………いや、気にしなくていい」


透架は傷付いていた。慌てて腰を抜かしている宏霧を他所に

自身で器用にテーピングをし、処置した手が痛々しい。

労り込めて、淹れた紅茶は、驚く程に薄い。


「………手、大丈夫? 利き手だろ」

「………いいえ。大丈夫です」


両利きだと、彼女を知った。

彼女は肩を落として目を伏せている。

烏色のストレートロングヘアに端正な顔立ちは

何処か影を落とした薄幸さを伏せて持っている。それすらも綺麗と思った。



少女の事等、

興味を持たず、何も知らなかったと思い知った。

彼女をぞんざいな扱いをしていたと言うのならば、形は違えど、自分自身でも同じではないか。


思えば、

面と向かった事も、言葉を交わした事もない。

薫が硬く禁じていたからだ。互いに話しかけるな、と言い聞かされていた。


『あいつは、悪い子なのよ』

だから宏霧ちゃんは口を聞いたら駄目』

『あいつは悪いの。悪い事をしたの。いくら可哀想だから、同情して構っちゃ駄目よ』


子供は大人の言葉は絶対的だと信じ、思い込む。

それに素直に従って薫の透架への虐待へも見てみぬふりをした。


『あいつは悪い子だがら、ママがお仕置きしているのよ』


あの言葉を本気で信じていた。

けれども目の前にいる少女を、どうしても、悪人として見る事は出来ない。


「_____名前、なんていうの?」


いつか少女に向かって聞いた言葉。

薫は「あんた」「あいつ」「曰く付き」としか言わない事が気になって少女の名前が知りたくなった。

澄ました表情で、彼女は、こう告げた。



「名乗る程の者でもないです」

「………ナナシ? じゃあ、君、誰なの」


結局、名乗る事もなかった。

だから宏霧は今まで透架の名前も、知らないままだった。










「すまない。言い過ぎた」

「…………」


透架は愕然とした。


言い過ぎた、言葉なんて聞いた事がなかったからだ。


『曰く付きの娘』『傷物』と扱われてきた16年、

大人達の罵詈雑言の言葉の暴力は当たり前で、其処には優しさ等ない。

詫びに相当する人間だろうか、と思いながら、


「………僕の為でしょ? 君がこんなに頑張る理由」

「………………」


透架は目を伏せて俯く。

そして心の中で溜め息を吐くと宏霧が、

“あの秘密”を悟ってしまったのだと理解した。


あの母親とは似て非なる程に

宏霧は、根はとても残酷な程に優しくて、何処か世間知らず。

そして純粋無垢そのもの。


(ごめんなさい、その優しさを受け入れる事は出来ない)



幼少期からの度重なる人間不信。

この凍り付いた心に、その優しさは毒だ。

この心には誰にも踏み込ませない。誰にも心を赦さないと誓ったあの日。


自分自身だけを信じる事しか出来ない。


薫が自らを引き取った理由を聞いて、

透架が、宏霧の為に頑張り、励んでいたと言えば

答えはノーだ。


純架の笑顔が脳裏に霞んだとしても、

宏霧の事を考えた事は今まで、一ミリもなかった。

純架の為、純架の守る為、あわよくば自分自身の為。


国家資格、医師免許取得、それが約束されたこの館で

双子の妹としか考えていませんでした、とは言えない。

志望は循環器科。医師になれば、純架を見つけ出して、

彼女の主治医になること。

純架への贖罪の為に、透架は医師になる道を選んだ。


「………だとしたら、どうしますか」

「え?」

「私は、宏霧さんに医師免許を渡した後に静かに消えます。

きっと時が過ぎれば、貴方の記憶からも消えてしまう事でしょう」

「………そうとは限らないだろう?」


透架は、静かに首を横に振った。


「………私は悪人です。

私の事は、使い捨て人形として思って下さい。

そう思えば割り切り易いでしょう?」


お人好しな彼は知らない。

硝子で手を切ったのは、透架の自傷だという事も。


(この館の、悪人は、私なのかも知れない)



その表情と言葉、それは、残酷なものだった。








※物語及び登場人物の構成上であり、


申し訳ないのですが

自傷行為に対する助長する意図は全くございません。


またお気を悪くされ、気分を害された方々

大変申し訳ございません。


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