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ナズナの十字架  作者: 天崎 栞
封じられた過去____form“透架”
19/29

第17狂・引き取られた意味



きっと包帯を巻いていても

無関心の薫は、気付かないだろう。




御影の呪縛に囚われず、純架を助ける術はなかろうか。



己の財力と権利を

手にするまでの修行だと透架は思っていた。

医師免許取得、医学部の進学を望むならば、

この館は絶対的に必要な居場所。



理不尽でもなんでもいい、最終的な権利さえ貰えれば。



深夜3時。

小さなランタンのランプをつけ、

先程の事はなかったかの様に深夜勉強をしていた。

けれども何処か少女は挙動不審で、

派手にドアが開き、わざとらしい存在感を示す足音。

慌てて階段を上がると、広い玄関に倒れる女が一人。


「おかえりなさい。……薫さん」


強い酒気を帯びた香り、

煙草の独特な香り、強い香水の香り。

それらの主張が空気に混ざり何とも言えない香りを生み出していた。


薫をリビングルームのソファーに寝かせると、

透架はおぼんからコップ一杯分の水をテーブルに

差し出した。



「あ、そうだ。……トーカ。あれ、見せなさいよ」

「………はい」


透架がポケットから差し出したのは、

学校の通知表だった。内申点・五教科の成績は好成績だ。

透架は正座して顔を俯かせ、肩を(すく)めている。

まるで怯えた仔犬の如く。


(卑怯な子。天は二物を与えたのよ)


非の打ち所がない、

というのは正にこの事を言うのだろう。

宏霧の将来は安泰を保証書と思えばいいが、

この少女の優秀さには嫉妬の(ほのお)は消えない。


「曰く付きの割りによくやるじゃない。

このまま宏霧ちゃんの為に、国家資格を、医師免許を取って頂戴。


宏霧ちゃんがいるから、

あんたは、この家に居られるのよ?

そうでないと、ただ曰く付きの用済み案件の癖に」


乱れた髪が顔に張り付いてその隙間から見えるのは

敵を見据える様な瞳。薫はじっくりと透架の顔を

見詰めながら、次の瞬間、


「…………」


冷たい感覚に襲われた。

最初は何がなんだか分からなかったが

透架に向かって薫が、コップの水を浴びせていた。

ちょうど髪と顔に直撃して垂らしている髪が、濡れている。

俯き加減の透架を見て、薫は品もなく嘲笑う。


「あはは、あはは!! いい気味!! 」


全ては壊れていた。

若くして嫁いだ彼女は、未亡人になってから、

自分自身の性分に目覚めてしまった。……母親を捨て、女として生きる(サガ)を。

それと思えば、可愛い一人息子への執着は増していく。

荒れ、狂い、乱れたこの館。


(………当たり前。

当たり前で、あの人の言い分は正しいの。

私は、“曰く付き”の娘……耐えればいい。

………そうすれば、純架は無事で、居られる)


こんな事ごときで、

胸を傷ませるのは贅沢ではないか。

こうされる事は当たり前なのだ。


(自分自身の身の程を受け入れなければ)


こんな衣食住が保証されているだけでも、有難く思わないと行けない。

何かを思いを馳せる事は贅沢ではないか。


ぐい、と髪を引っ張られる。

顔を上げると舌を出した悪女が、愉しげに微笑んでいる。



「ねえ、トーカ」


粘着のある猫なで声に、思わず背筋が凍る。

自分自身には罵詈雑言が当たり前で、

鮮やかな嘲笑を浮かべる薫はソファーベッドに寝そべり

反射的に包帯を蒔いた手を反射的に隠し

透架の華奢な腕を掴み、

鮮やかな深紅に塗られた爪が食い込んでいく。


「いい気分だから、

あんたを引き取った理由(わけ)を教えてあげる」


腕を強く引かれそのまま膝を着いてしまう。

へらへらと笑うその呼吸に混じっている酒気と煙草の香り。

存在感が強く示す薔薇色。


“曰く付きの娘め”


伽噺(おとぎばなし)の、

白雪姫に毒林檎を渡す魔女の囁き。


“誰が養育をしてやって貰ってるとおもってんの?

本当は、引き取りたくなかった。だって酷い曰く付きの娘だもの”


鈍器で殴れられた様に、

心に亀裂が入りひび割れて行く。


そう言われても当たり前だ。

聞き流して聞き流せば良いのだ。

散々、疎まれて、軽蔑されてきたのだから、

今更、感情が動く必要はないのだ。

今更、凍り付いた心に灯りを灯す必要は何処にもない。


当たり前なのだ。けれど、透架は思ってしまった。



_____御影家からも見離され、

追い出された自分自身を、薫は何故、引き取ってくれたのだろう?



薫は微笑みながら、

子羊の様に微かに震えている透架の頬を撫でた。

その人形の様な無機質さ、読めず掴み難い、

澄ました表情が気に食わない。


(何処までも、面白くない子)




“あんたを引き取ったのは、お金が貰えると聞いたからよ。

あんたの為の養育費を御影家から貰っているのよ。

でも曰く付きで大人を怒らせるあんたに使うお金が惜しいの。

貴女のお金はあたしの(ふところ)にあるの。


お金も曰く付きの娘より、

あたしに使われる方が嬉しいと思うけれど。

それであたしを満たして貰わないと意味がないわよ”


残酷な耳許の囁き。


その刹那、

何処かで、硝子が割れる音がした。

同時にドミノ倒しの如く、心に雪崩れが来て、突き刺さる。


(だからこの人は、私によくしてくれたのだ)


悪党雑言の毎日でも、

薫は消して透架を手離したりしない。

宏霧の替え玉をさせる為に、そして御影家から渡される養育費の為に。


嗚呼、そうか、お金の為に。透架は悟った。

自分自身は、御影家が、澁谷家に自身を売った代物。金銭という利害関係の元に_____。

澁谷家に売られた自分自身の価値はどのようなものなのだろう。



酒は、心の叫びを、本音を呼び寄越せる。

今まで薫はそんな裏事情を口にした事は一度もなかった。


しかし虚言とは思えない。

それはとても残酷に現実味を帯びている。



(そう、私は澁谷家に身売りされた)


厄介者だから。

曰く付きの穢れた娘を追い出したいから。



(でも、良かった。純架の耳に入る事が無くて)


あの純粋無垢な妹に、

こんなどす黒いナイフを心に与える訳には行かない。

耳に入るなんて事があれば、優しい彼女は深く傷付く筈だ。


そして硝子の音の理由が解ってしまった。

凍り付いた心の破片が零れ落ちて壊れた音なのだと。


思い返せば辻褄が合う。

出会った瞬間に好意的だった事も。

御影家の目の離れた場所に透架を、ぞんざいに扱っていた事も。

その割りに薫が絶対に透架に手放しさなかった事も。

全ては。


嗚呼、

人間って、どす黒い。




けれどもこれらも仕方ない事を自分自身が、

傷付いて、傷付いて、耐えればいいのだ。

だって。


(私は、犯罪者の娘だもの)






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