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ナズナの十字架  作者: 天崎 栞
20年後
11/29

第9狂・知らないあなた



“逃げろ。寮に入れ”







_____容疑者、懲役25年。



理不尽だと痛感したあの日、また傷を増やした。



複雑な気持ちのまま、電車に乗り込んだ。

此所から4時間、在来線を2回乗り換えて、

ある場所に、誰かに会いに行く事は慣れてしまった。



あの場所、”あの人間”に再会する事は、

昔の自分自身に戻る様みたいで、何処か呆然とする。


あの日を境に御影姓に変わったものの

篠宮 透架(しのみやとうか)。それが9歳までの名前だった。


御影家は透架と純架の

プライバシーを黒に塗り潰し、彼女達の経歴を変えた。

名家・地主の娘婿が犯した罪は、

世間体のを気にするあの家には闇に葬りたい事であろう。


29年間生きてきて犯罪者の娘だと、

その素性はどちらも明らかに事は不思議となく、

単なる世の中に紛れる、何処にでもいる凡人として生きてきた。

けれどもこの魔法みたいな日常が続くという甘い考えは持っていない。


(罪と同じ、嘘はいつか、バレるもの)


(それで、息をしていていいとは、限らない)



自分で自分でも首を締めるかの如く、

透架は、窓から見える景色を凝視していた。

最初こそ胃が煮え(たぎ)り、頭が廻る感覚や感情も、

心は麻痺して、何も感じなくなったのはいつからだろう。


年の功より亀甲。

この現実から目を背けてはならないのだ。


駅を降りて、

今度はターミナルに止まっていたバスに乗り込んだ。

バスは寂しい駅から離れて、険しい道の山間部へと入り込んだ。

“手前”で降りて、また10分程を歩くと


まるで外界と遮断する様な、

異様な雰囲気を放つ灰色のコンクリートの城に着いた。

_____刑務所だ。


風に煽られて、背に流した髪が揺れる。

透架は呆然と見詰めた。_____此処に訪れるのは、何回目だろう。




御影家の大人は、何も教えてくれない。


双子の妹を傷付けたあの男が、

この刑務所にいると自力で突き止めたのは、

透架が16歳の誕生日を迎える少し前の事だ。


凍り付いた心が此処へ訪れると、

凍り付いたものが、冷たい憎しみによってまたひとつ凍るのだ。



見慣れた世界。

透明なボードで隔てられた先にいる、憎悪の男。

灰色の囚人服に手には銀色の手錠。


弱った仔犬の様に、だいぶ窶れたか。

俯いている男が現れて、透架の瞳はやや険しくなる。

パーティション越しに向かい合うと、先に口を開いたのは、


(“あなた”へ抱いた

この胸に抱えた憎しみと怨念は、誰にも負けないつもり)


自分自身を殺めようとした男。

双子の妹を傷付けた男。

もう目の前にいるこの人間が、父親だと思うのは止めた。

罪も贖罪も、反省の意識も感じられない。




「____ねえ、どう?

自分自身の理想郷が叶わなかった世界で、息をしている気持ちは?」


全てを凍り付かせる様な声音が、面会室に佇む。

貴宏は驚いていた。娘の声音、娘の発する言葉。


それら全てを。

絶句していたという方が良かったのかも知れない。

現に、声帯が凍り付く感覚に襲われているのは嘘ではない。

耳を閉ざしたい、認めたくないという言葉が似合うかも知れない。


16歳の時、再会をした娘は、

貴宏の知っている娘の面影は残っていなかった。

透架の器に宿った別人の様に。それら全てを。

彼女の雰囲気を顔付きはどんどん氷河の凍り付いて、

触れれば逆鱗に触れそうで、壊れそうで怖かった。


戸惑いを隠せないまま、娘とどう接していいのか、

今も解らずにいる。



(………あの日みたいに)


絶句していたという方が良かったのかも知れない。

現に、声帯が凍り付く感覚に襲われているのは嘘ではない。


あの頃の幼い優しい顔付きは消えて、

全てに諦観した様な薄幸な顔付きと冷悧な目付きは、

今にもふらっと消えてしまいそうだ。

無表情の中で、時折に見せる自暴自棄的な嘲笑。


(こんな、

冷酷な当たり前かの様に言葉を言える娘だっただろうか)




「貴方は変わらない」

「…………」



「何人もの人間を不幸のどん底に突き落としておいている人は違う。

自分自身の理想郷が叶わなかったのは、予想外だったけれど

貴方は何、ひとつ奪われず、苦しむ事もなくのうのうと息をして生きている。


唯一の誤算は、

私を殺められなかった事かしら?」


心臓がちくり、と何が刺さる。

この変わり果てた娘をどうしたらよいのか、どう会話を交わせばいいのか。


あの正気を喪った日。

娘を消そうとした事は否めない。

わざとではなかった。“あの事”さえ、明らかにならなければ

今も幸せに暮らしていたと思う。



貴宏は戸惑い、言葉に成し得なかった。


ただ、憎まれている、という事だけは確かだ。

しかしそれ以外が見えない。


透架は頬杖を付いて、冷ややかに呟く。

この男の卑怯なところは、何も語らない事だ。

自身の娘に刃を向けたきっかけも犯行動機も固く口を閉ざして、誰も知らない。


「貴方は何も教えてくれない。

そうやって都合の悪くなったら口をつぐんでやり過ごせばいいと思ってる。どうせ、私は20分もすれば居なくなるから」


ある意味、これは見せしめなのかも知れない。


透架はいる、此所に。

けれど、貴宏の知る娘はどこにもいない。

透架が現れた刹那にいつも気付くのだ。間違いを、過ちを。


貴宏を憎む人間は存在する事の事実関係を。

無意味だと言われればそうだろうが、この水掛け論を、

何十年も繰り返している。


風化させたくないだけだ。

貴宏が起こした過ちを、その後の苦しみを。


この男が、誰も報いる事は出来ない。


母は娘の行く末と将来に、

夫の犯罪者という事実に追い詰められ絶望し、

自らこの世を去った。…………二人の娘を残して。


純架が、貴宏の刃のせいで

心臓に重度の心疾患を負い闘病生活を送っている事も。

透架が、(いばら)の道を歩いてきた事もきっと何とも思っていない。


「…………ねえ、私の事が嫌いなのでしょう?

だからあの日、私を殺そうと思っていた。

でも、殺せなかった。


代わりに純架は貴方のせいで、

取り返しの付かない心臓疾患を患う事になって、将来を奪われた。

現在(いま)も純架はずっと心臓のドナーを待ちながら闘病をしている。

貴方が娘の将来を殺したの。その手で」



透架は、淡く微笑んだ。

まるで自分自身を嘲笑うかのように。


「でも。

最終的には

貴方の思い描いていたものが待っている事は約束されている。

代わりに私と貴方がもう二度と顔を合わす事はない。

それが、」





「_____それが、貴方にとっての幸福でしょう?」



そう言われた時、貴宏の背筋が凍った。


(俺が出所する時には、理想郷が出来上がっている?)


何を、どうやって? 何が変わっている?

透架は、何かを知っているのか?




「_______待ってくれ!!」



透架は立ち止まった。低い声。


刹那的に憎しみが迸る。

この人間の声を聞いたのは、何年ぶりだろうか。



「………母さんの事、純架の事ばかり言うが、

透架、お前はどうしていたんだ?」

「……都合の良い事は耳に入れておきたいのね。


本当に卑怯よ。

今更、それを知ってどうなるというの?」


そのまま、

振り変える事のまま、透架は面会室を去った。







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