真実の愛に目覚めた王子
婚約破棄ほど短編で描きやすい話はない(久々投稿)
「イヴ・ロックウェル令嬢、君との婚約を破棄する!!」
「えっ、あっ。……はい」
魔法学園の卒業パーティーにて私の婚約者である第三王子アルバート・バスカヴィルは私に婚約破棄を告げてきた。
「私は真実の愛に目覚めたのだ!! そう私は新たに彼女と婚約を結ぶ!!」
そういうと王子は傍らに置いていた何らかの巨大な装置に被されていた布を取る。
そこには培養液とその中でぷかぷかと浮かぶ見目麗しい少女が居た。
浮いてる、す…すげぇ……。
「見てくれ、これが俺の卒業成果であり、新しく俺が生み出した俺の新しい婚約者だ」
「イカれてんのかお前?」
婚約者を生み出すとか言うパワーワードを使う王子に対して不敬かもしれない、だがこの程度は諌言として許してほしい。それぐらい状況がぶっ飛んでいるのだ。
「ハイラム、ハイラム。ちょっと来てくれる?」
「はい」
私はまだ話の通じそうな王子の側近であるハイラム・レインウォーターに対して説明を求めた。
「えっと、あれは王子が作り出した人造生命体ですね。言うなれば王子の肉体から生み出した王子のクローン体であり、遺伝子配合を弄って女性にしたデザインベイビーになります」
「イカれてんのか王子?」
「ちなみに名前はアルバータになります、アルバートの女性名ですね」
「イカれてんな王子」
私の婚約者はどうやら常軌を逸しているようであった。元からそんな感じは見受けられていたが、ついに禁忌に触れてしまった感はある。
こう、真実の愛に目覚めた相手が自分が作った人工生命体ってどうなの? これならまだ平民の女に恋してくる方がまだ人間的だよと私は思わずにはいられない。
「えっと、殿下。発言いいでしょうか?」
「構わん、婚約者である君には納得できないこともあるだろう、それをすべて説明し納得させる義務が私にはある。君の不満も、怒りも、傷つけられたその心も、そのすべてを私は受け入れよう。その権利が君にはあるのだ」
「セリフだけはカッコいいね。うん……」
身勝手……身勝手? たぶん身勝手な理由で婚約破棄をしたのだ。うん、培養液に浮かぶ女の子が気になりすぎて怒りとかより呆然としてるけど、色々と納得できないことは確かにある。
「まず、作ったんですか?」
「ああ、作った。俺の『理想の恋人』だ」
「イヴはイヴでの私じゃなくて神話のイヴだろそれ。変なルビを張るな」
アダムの肋骨から作られたイヴ、自分の遺伝子情報から作られたアルバータ。
うん、似ているし詩的な表現も似合うよ。ただ私の名前と被ってんだよな。ちょっとイラつくんだよなぁ。
「えっと、作っちゃったものは仕方ないです。それよりなんで作ろうとしたんですか?」
普通に考えてほしい、人間が人間をつくる。どう考えても異常である。
そもそも常人には発想すらしないことを平然とやり遂げようと行動し、しかも成果物すら出来上がっている。
バスカヴィル王国第三王子アルバート・バスカヴィルは所謂天才である、生まれながらにして明晰な頭脳と卓越した身体能力。政治も嗜み、在学前に小さな領地の領主として領地を無難に治め、軍事にしても王国内の犯罪組織の摘発なども行った実績を持つ。
顔もよく、性格も決して悪くない。……悪くないはずだ、たぶん。ちょっと常識から外れたサイコっぽさはあるけど、それでも真っ当な男だった。
……真っ当な振りをしていただけの可能性もあるけど。
「――俺は君を愛せなかった……」
「泣くぞ、普通の女なら」
この王子は急にブッ混んでくる。ねぇ普通そういうこと言っちゃう?
そりゃあまぁ、政略結婚なんだから愛とかそういうのは無理かもしれないけれどさぁ、面と向かって言うもんじゃないでしょ。常識的に愛そうとする努力ぐらいするんじゃねぇの?
お前にはデリカシーってもんがねぇのかよ、王子は人の心がわからねぇのかよ?
やはりサイコか? サイコなんかお前?
「俺はやはり、俺以外を真の意味で愛せないんだ……っ!!」
「貴方そういうところありますよね。そんな気もしてたんですよね!!」
そう、王子は自己愛者だった。
始めて恋をしたのは鏡に映った自分であると公言し、自らを美しいと言っては恍惚するタイプの人間だった。はっきり言って気持ち悪いことこの上ないが、実際問題。顔だけは確かに良かったので在学中は確かにモテた。モテモテだった。婚約者がいるのにだ。腹立つ。
「だから気づいたんだ。――俺が俺以外を愛せないのならもう一人の俺を作りだせばいいと……」
「狂人の発想……!」
やはりサイコだった。
私は狂人王子の側近のハイラムを手招きして意見を聞く。
「これは王国的に大丈夫なの」
「王国法では生物を人工的に生み出してはならないという法律はありません。あったとしても事後法になります」
「実質的な司法の敗北じゃない」
「ぶっちゃけ法を作った側も想定してないでしょうし、学術的にも本来は実験用のマウスやら小動物からクローン技術や遺伝子技術を試すのが普通です。普通初っ端から人間を創ろうとはしないです。出来ちゃったものは仕方ないとしか言いようがないかと……」
「助けて倫理観ー!」
私は人間の持つ道徳に救いを求めた。しかしその概念はなにもいってくれない。
おおブッダ、寝ているのですか? 婚約者がサイコ過ぎて帰って寝てぇぞ。
「えっと、あのさぁ……殿下はさぁ、こう……作ってる時にやべーなっていうか……、こう…、禁忌を犯してる怖さというか恐怖を感じなかったの?」
「完成までずっとワクワクしてたな」
「ちょっとは躊躇えよ」
こいつは闇タイプのワクワクさんか何かかな?
そんな疑問を浮かべながら、ちらりと培養液に浮かぶ少女に目をやる。
うん、流石は王族の遺伝子だ。顔は一級品だ。あの王子の女体化というと何とも言い難い嫌悪感があるが、単体で見た場合は美少女と言って差し支えないだろう。
「……殺してなかったことにする。ってのはちょっと違うわよねぇ」
まだ、まだこの世に誕生する前であるのならば殺して廃棄するという手段もある。
あるが……、目の前に今まさに誕生しようという生命を、誰かの意志によって邪魔とされ殺される。
――それはフェアじゃないだろう。少なくともそれは違うと私は思う。
「参ったなぁ、はぁ……」
「なに、責任は私にある。だからイヴ――」
どうにかしたいと、そんな風に思う私の心を見透かすように、殿下は口元に笑みを浮かべ優し気な眼差しを私に送る。
「幸せになりなさい――。君は幸福になるべき女性だ。貴族令嬢として立派な淑女だ。見知らぬ誰かの為に心を砕ける人間だ。友の為に命を張れることが出来る人間だ。――私ほどではないが、美しい人だ」
「だったら今のうちに『どうか私を婚約者に戻してください』といってごらんなさい。そうすれば、水に流したっていいわよ」
「それはできない。君の善意にこれ以上泥を塗るは忍びないが、私は――私に嘘はもう吐けない」
この世界の人間はすべて糞の詰まった肉袋だ。
そう彼は言った。
「生まれながらにして、私は――私以外の人間を人間として見ることがどうしてもできないのだ。人はどうしようもないほど醜い。醜悪で愚かで、まるで美しくない……毎日ドブ底を眺めて、そこから数少ない美点を見出さなければ、私には耐えられなかった――私はね、イヴ。君が同様に肉の詰まったただの袋にしか見えない」
彼は、自己を愛した。彼の見る景色は彼以外を醜悪に映した。
実の親ですら人として見ることは出来ず、周囲の人間を肉袋としてしか見ることが出来ない。
優れた第三王子。皆から期待される王国の至宝。自己愛が過ぎるがそれすら愛嬌に取られるほど優秀な彼は――生まれながらにして欠陥品であった。
「知っていますよ。私は殿下の婚約者ですからね」
「――君を愛したかった。人を愛したかった。けどね、もう駄目なんだ……」
彼は培養液に浮かぶもう一人の自身を見る。
「私は同族が欲しかったんだ。孤独を癒すそんな無茶な行動で、もしも彼女すらただの肉袋にしか見えないのならあきらめもついた。ああ、ついたさ……」
始めて、彼は救われたのだろう。
禁忌だとしても、神をも畏れぬ所業だとしても。彼以外のすべてから否定されようと――彼は救われたのだ。救われてしまったのだ。
「美しかったんだ。ただ一目見た時に私は初めて誰かを糞の詰まった肉袋と思わなかったんだ。ただ、この世でただ一人しかいないと思えた人間がここに居たんだ。見つけてしまったんだ」
上手くいかないとは思っていた。初めて会った時から、王子は周囲の人間に対する興味などなかったのだから。
「異常者の婚約者になったのが運のツキね」
「イヴ……」
「元婚約者からの忠告よ。運が悪ければ一生僻地で療養か病死よ。健康に気を付けなさい」
療養は宮中の隠語であり、軟禁を意味し、病死は暗殺や口封じを意味する。
貴族間のバランスを大きく乱しかねない今回の案件はそれほどまでにデリケートだ。王族でも予備の予備でしかない第三王子の命など、王国と言う国家の中においては軽い。
「自由というのは素敵な言葉だけど、誰も助けてはくれないわよ。艱難も辛苦もすべて背負いなさい。その子の命を背負うというのならなおさらね」
「ああ……」
知り合いが死ぬことほど胸を打たれることはない。たとえそれが裏切り者だろうが人でなしだろうが、たった一人の掛け替えのない命なのだから。
その人間の代わりなどどこにもいないのだから。
「君は、最高の淑女だよ」
「知ってます、惚れ直した?」
「流石にそれはない」
「そうか、禿げなさい」
やーい、はーげはーげ!! 私を捨てたことを終生後悔して禿げてしまえ!!
「だが、世界では三番目だ。君は三番目に美しい」
「一番になれなかったことを悔やむべきかしら?」
「? この世に私より美しい存在になれるとでも?」
「やっぱ喧嘩売ってんでしょ、貴方」
王国貴族すべての力を以って消してやろうか、あぁん?
「まぁ、精々苦労しなさい。それだけのことをしでかしたのだから」
「ああ、精々踊って見せようとも。それが君の無聊の慰めになれば幸いだろう」
「ええ、特等席から腹を抱えて笑わせてもらいましょうとも。愚か者の王子様」
こうして私たちは婚約を破棄した。
その後の彼のことは杳として知れず。教会より異端の認定を受け、王国から療養の名目で幽閉が確実視される中、様々な障害を振り払い消え去った。傍らに生まれたばかりの花嫁を連れたって……。
どこかで野垂れ死んでいるということはないだろう。あれほどの男だ。どこぞでしぶとく生きているに違いない。苦労も苦難も悲劇もその他諸々もすべては彼の責任だ。それに対して同情はしない。
とりあえず、この事件の後に『やーい、お前人形にNTRた女ー!』と馬鹿にしたやつは消した。
――――
「と、言うわけで阿呆な理由で婚約破棄をすると、貴族としてろくなことにはならないので注意してください。先生の場合は流石にレアケースだと思い込みたいです」
あの日から50年、私は王立学園の教師として教壇に立っていた。
世界は大きく様変わりした。
50年と言う月日は文明を加速化させ、貴族制度の緩やかな崩壊を始めていた。
かつて宮中伯家としての権勢を誇っていたロックウェル家は今では王国の評議会に席次を持つ一政治家一族として変わり、宮中の席次はおおよそ取り払われ官僚や選挙による代議士が勃興した。
没落した貴族家も一つや二つじゃなく、かつて誇った家柄はこの立憲制の国家においてはなんら役には立たない。
市井に逃げた王子は王権という物に泥を塗り王国の威信を大きく傷つけた。
命を狙われたことすら一度や二度では済まなかったはずだ。
事実王国の刃が王子の首元にまで伸びたという話も聞く、それでも王子の首は取れなかった。
憎まれっ子世に憚るとでもいうのだろうか、王子は存外にしぶとかった。
しぶといだけなら、まだマシだったとでも言えるだろう。
王子は――『魔巧機神』アルバートは世界を大きく変化させた。
科学という物理現象を解明し、魔素と言われる魔法エネルギーの根幹であるエネルギー体の発見により彼は大きく文明を加速させた。
それは彼の彼なりの復讐であったのだろう。世界に無作為に技術をばらまいた。
とある小国には人口問題を解決するクローン技術と生体機械技術の複合体である『機械生命体』を授けた。
大国には流通の革命と言われる魔導エンジンを搭載した様々な自動車機器や飛行船技術の青写真を授けた。
医学知識を無作為にまき散らし、肉体の欠損を補う神経接続型の義手義足を生み出し、死にかけた人間を救った。
空気から肥料を生み出す術式を生み出し、この世から飢えを根絶させようとした。
その結果起こったのは大陸を巻き込んだ戦争だった。
『機械生命体』とクローン人間は安価な兵器として様々な戦場で兵士として猛威を振るった。
自動車機器や飛行機船舶は輸送や戦車といった輸送機や兵器として活用され多くの町や都市を崩壊させた。
医療知識の発展と欠損を補う義手義足は兵士から退職という道を奪い去り何度も何度も、戦場へ向かい死して遺骨になるまで郷里に帰すことを許さなかった。
決して肥沃ではなかった土地に緑の革命を起こした現代の錬金術はその土地の戦略的価値を増大させ、戦乱の焔に否が応でも巻き込まれざるを得なかった。
多くの人が亡くなり、多くの人が憎悪した。
その度に彼はこう言い残した。
「私が諸君らに与えたのは多くの人々を幸福にするための技術である。それをあえて戦争に転用したのは諸君らの方ではないか?」
悪びれなく彼はそう言い残したという。
一体だれが信じるのだろう。
この教科書に残る偉大なる学者にして、技術的大罪人と言われるこの男と私が婚約者であったと。
「様ぁないじゃないですか、殿下。貴方がやりたかったことはこんなことだったんですか……」
技術の革新はその国の国体を大いに狂わせた。
貴族や平民だと差別するような国では飲み込まれて消え去る。それほどまでに弱肉強食の時代だった。
王国は幸いにも生き残った。王子が残したクローン技術は安価な兵士を生み出し、人理だとか倫理を放り投げ。幼いころから軍人としてクローン人間を教育し、多くのクローン兵士の命をすり減らしながら王国を守り切った。
多くの流血と多くの悲劇を残した大陸戦争はそうして30年も続き、今よりおよそ20年前に終わりを告げた。
平和の時代へ移り変わることで『魔巧機神』の技術は再び日の目を見る。戦争により被害をもたらしたのが『魔巧機神』の技術ならば、戦争による傷を慰め、復興させたのもまた『魔巧機神』の技術だった。
冷たい冷え切った廊下を歩む。傍らには新聞紙を持ちながら緊張の面持ちの刑務官の案内によって私は強化ガラスで区切られた面会場に入る。
「久しぶりですね、元殿下」
「……あぁ、久しいなイヴ」
最後に会った時から50年の月日を超え、バスカヴィル王国元第三王子アルバート・バスカヴィルは私に笑みを浮かべた。
「相も変わらず君は美しいな」
「しわしわのババアですが?」
「老いを楽しむのは淑女紳士の嗜みさ」
「その割には殿下はお若いままですね。何か秘訣でも?」
私と同い年の筈であり、年齢的には60歳を優に越しているはずのアルバート殿下は見た目に関してはおおよそ30半ばで通じるのではないかと言うほどの見目麗しい姿だった。
「私の美しさの秘訣か……さてな、私は生まれながらにして美しかったからな、特にこれと言った努力などしていないよ。しいて言うのならば魂の輝きが肉体に現れているとでもいうのかな?」
「相も変わらずウザいですね。まあお元気そうで何よりでしたよ」
「そうでもないさ、外面はともかくね、内臓がぐちゃぐちゃだ」
「……」
「放射能でね、もう長くないだろう」
アルバートは自分の死期を悟っていた。
生体工学の祖。自動車の父。世界においてはじめて開腹手術を行った男。不具者の希望と絶望。火の杖の父。電話の発明者。空気から肥料を作った豊穣の錬金術師。戦争の加速者。バスカヴィルの悪魔。
世界を大きく変え、時代を壊した男と言われた男の最期は核技術による放射能汚染による死だ。
「最期にね、君に会いたくなった。なんでだろうね。捨てたはずなのに、妙に君に会いたくなった」
「今更よりを戻しに来たってことですかね? 残念ですが、その約束はすでに時効ですよ」
「分かってるさ。昔のことを蒸し返すつもりはないよ」
けらけらとアルバートは笑う。穏やかなその表情は昔とちっとも変っていなかった。
「殿下――」
古い馴染みだ。元婚約者だ。
不思議と恨み言はない。ただ少しだけ気になったことがあった。
「――殿下は、幸せでしたか?」
王子という身分を奪われ。
愛した女性は王国の暗部によって殺され。
それでも世界の幸福を祈った男が創り上げた技術の数々は戦争に利用され。
多くの流血と憎悪と、悲劇を世界にまき散らした。
「そうだね……。苦しかったことも、辛かったことも。誰かを恨んだこともあった。命を狙われたことだって数えるほど馬鹿らしいぐらいだ。生きていることが奇跡であるほどに。まったく以て、順風満帆とは云い難い人生だった」
彼は人を愛せない。唯一愛せたのは自分だけ。
昔から取り繕うのが得意な人間だった。ずっと人間という物に対して嫌悪感を、彼は持っていた。
誰よりも傍にいた私だからこそ、気づいていた。王子は私と結ばれても決して幸せには成れない人間であると。
「……でも、不幸だとは思わない」
その言葉が何よりも彼の幸福を表す言葉だろう。
「お前の人生は悲劇だと。お前の人生は悪徳に満ちていると言われようと――それでも私は、間違いなく私の人生を生きた。私は私の意志で生きた。小さな幸せがあった。愛した女と語り合えた。それだけで間違いなく、私の人生には意味があったのだ……」
アルバートはそう答えた。
「イヴ、私は幸せだったよ……」
「そう……」
私は、安心したのだ。
「それは、良かったですね」
「嗚呼、後悔はしない。再び人生をやり直すことになったとしても、私は間違いなくもう一度この人生を歩もう」
「もう一回振られる私はたまったもんじゃないですね。それ」
「二週目の世界だ。次はもっとうまくやるさ」
その後はいろんな話をした。
久しぶりに会った殿下はやはりサイコでやべー奴だったが、何処か魅力的な男だった。
貴族として与えられたレールを歩んできた私とは対照的に、彼の人生は気の休まることのない人生であった。だが、彼の表情は常ににこやかだった。何が面白い、やはりサイコ。
「なぁ、イヴ……」
「はい?」
「君は幸せだったかい?」
不意に王子はそんなことを呟いた。
「くっそ不幸だったぞ」
「……そうか」
婚約者に捨てられるわ、国は戦争に巻き込まれるわ、家は没落しかけていろいろと働かざるを得ないわ。気の休まることがなかった。
おう全部お前のせいだよ、責任取れよ、慰謝料くれよオラァ!!
ただ、まあ。王子の見れないであろう申し訳なさそうな顔を見ただけ満足しよう。私でも目の前のサイコの想像を超えることは難しくはなかったらしい。
「ほら、殿下って顔だけはよかったじゃないですか。他の令嬢にマウント取るときとか楽しかったですよ。後はまあ単純に目の保養になりますしね」
「まあ、私は誰よりも美しかったからね。私と言う存在からあふれ出す美に羨望と嫉妬を向けられることは致し方ない話かもしれない……」
「おうおうおうおう、貴方本当に反省してるんですかぁ?」
「もちろんだとも、ああだが私が死んだ後の遺産は国に回収されてしまうな。それは少し勿体ない。君にもあげれるものがあればよかったんだが……」
「殿下の遺産って絶対ろくでもなさそうなんでいらないですよ。それに別に貴方に施されなくても別にどうってことはないですよ。これで居て中々人生上手く生きているんで……」
婚約破棄のあと、なんだかんだいって宮廷女官の地位を得て、王太子の傍付きとして半生を生き。国が立憲制に移行して以降その経験を以って王立学園の教職としての地位を得た。
殿下ほど波乱万丈とは言わないが、王族の妃になる筈の女の人生からの変化と思えば数奇とも言えるだろう。
「――じゃあ、そろそろお暇しましょうか。仕事が溜まっているのでね」
「ああ、そうか。もう終わりか。やれやれ、楽しいときと言うのは過ぎ去るのが速いな」
数回の雑談の後、少し疲労した様子を見せながら、殿下は私との別れを惜しむ。
それもそうだろう。おそらくこれが私と彼の本当の別れになるのだから。
「殿下――今の私は何番目ですか?」
ふと、気になった質問をした。
「――そうだな」
殿下は少しだけ悩むと枯れ葉のような腕を持ち上げて呟いた。
「もうすぐ、一番になれるさ」
それが彼からもらった最後にして最高の賛辞だった。
アルバート元殿下が亡くなったのは最期の面会から半月経った日のことだった。
偉人であり、犯罪者であり、毀誉褒貶の大人物の死と言うのは少なからず周辺諸国に対する影響力があったらしい。
多くの国ではその死が喜ばれ、少ない国ではその死を悼んだ。
彼の技術で多くが死に、彼の技術で多くが救われた。
まさに機械の神を示すオルフィレウスに相応しい評価と言えよう。
ふと思うのだった。私の人生の指針は一体何だったのかと。
アルバートは美を指針に置いた。美しい物こそが正しいと信じ、美に生き愛に生きた。
その結果、周囲に不幸をまき散らす結果になろうとも、それでも彼は彼のその指針を貫き通したのだ。
あれは人の善性と言うのを信じすぎたのだろう。人々の醜さに辟易した男は、人の美点を見出すことに長けていたが、同時に見えてしまう人の醜悪から目を逸らした。だからこそ、技術の悪用といったものが起こった。人の持つ悪意というものの想定を見誤ったともいえる。
そう思えば、なんてことはない。あれもただの人間だったのだろう。
時代を変えた男も大したことはない。ただのナルシストの阿呆に違いない。
思えばあれに初めて会った時、その時に思ったのだ。
――そう、私はあの時。美しいと心の底から思ったのだ。
「あほくさ」
なんだイヴ・ロックウェル。お前、思いっきり初恋を拗らせてるじゃないか。
「60超えて気づく? 普通? うっわ、人生無駄にしたわね。取り返しつかないわよ、これ……」
頭はおかしいし、発想はぶっ飛んでるし、付き合っても幸せになることもないし、別に人生に彼が必要なわけでも、彼自身が私を必要としたわけでもない。
それでも、私はアルバートという一人の男が好きだったのだろう。思えばなんだかんだ言ってアルバートが活躍していると聞けばそのことに対して目を追っていた。
気分は今どきの歌手を生涯推し続ける信者の様に。
「……ざまぁないわね。イヴ・ロックウェル」
アルバート・バスカヴィルの訃報を知らせる新聞を放り投げ、私は気分を悪くしながらも授業の為に教室へ向かうのだった。
人が死んだとしても、世界は変わらず続いている。ちっぽけな悩みを抱えてそれでも私は生きていくのだ。私らしく生きていくのだ。
彼が美しいと言ってくれた。私として、美しく生きて行こう……。




