五本勝負
翌日、予定より随分早く訓練室に着いた私は、軽い柔軟の後に剣の素振りを始めた。
学園で習う、セントラミア王国騎士団の採用剣術の基本の型だ。
どちらかと言えば、攻めるより守りに寄った剣術で、二度攻めたら八度守るもの。
この国にぴったりな剣術だと思っている。
数回、基本の型を繰り返した後、自己流で相手を想定しながら剣を振る。
もちろん相手はウィンザード君だ。
数合切り合って見るけれど想像上のウィンザード君相手でも、中々噛み合わない。
私が彼を捉えきれていない証拠だった。
何度か繰り返していると、ウィンザード君が既に訓練室に到着しており、少し前から私の素振りを見物していたらしいことに気がついた。
いけない、また夢中になってしまっていた。
「おはよう、ウィン…アルス君」
「おはようございます。ハナビさん」
身嗜みに朝から一分の隙もないウィンザード君を見て、少しだけ乱れた運動着をなんとなく直す。
「声をかけてくれたらよかったのに」
「あまりにも静かで綺麗な剣筋だったので、思わず魅入ってしまっていました」
と、嘯くウィンザード君。
もはや当たり前の様に差し出される少し濡れた手ぬぐいに、顔を拭こうとして少しためらう。
女子としていかがなものか。
瞬きの間にまあいいかと顔を拭いてしまった。
私の女子力はまだまだ発展途上だ。
「ハナビさん、いつもこんなに早くから自主練しているんですか??」
感心した様なウィンザード君に、少しだけ申し訳ない気持ちが生まれてしまう。
「そういうわけじゃないんだけれど…」
昨日、クーに言われたことを思い出す。
練習が始まる時間になる前に伝えてしまおう。
「アルス君」
なんでか改まって姿勢を正してしまう。
それに合わせてウィンザード君も真面目な顔をする。
少し緊張。
「なんでしょうか?」
「私と戦ってくれないかな?」
「…」
あれ。
言っておいてなんだけど、すごい戦闘狂みたいじゃないだろうか。
ウィンザード君は狐につままれた様な顔をしてしまっている。
違うんです。
私ヤバイ子ではないんです。
慌てて両手を振って説明する。
「違うの!寮でも、ウィンザード君の事ずっと考えてたけど全然わからなくて、もっと知りたくて、できれば本気で!」
わあああああ、悪化した。
自分でも、もはや何を言っているのか分からなかった。
普通に、ストーカーメンヘラ女子の爆誕だった。
ウィンザード君もウィンザード君で、混乱していたのか「アルスです」と、律儀に訂正する。
違う、違う。
違うんです。
癖が読めないから合わせられないだとか、私のことをよく知っているクーたちならわかってくれるけれど、他人になんて説明したら良いかなんて、準備していなかったのだ。
結局、冷静に説明できた頃には練習開始の予定時間を過ぎてしまっていたのだった。
まもなくして、私たちはお互い得意な武器に近い模擬剣を腰に、訓練室の真ん中で向き合っていた。
「ハナビさん、賭けをしませんか?」
彼とは、八歩の距離。
斬りかかろうと思えば一瞬の距離。
話すには少しだけ遠い、そんな距離で彼は提案をしてきた。
「賭け?」
不思議そうなにウィンザード君を見ると、彼は微笑みを返してくる。
後出しの条件は、本来で言えば無作法、条件があるのであれば模擬戦を了承する前に言うべきなのだ。
それでも、そんな笑い方をされたら、普通は断れないと思う。
それでも彼は話を進めずに私の反応を待つつもりの様だった。
「いいけれど、何を賭けるの?」
「五回打ち合って、僕の方が多く勝てたら、歴代の舞手に負けない、最高の剣舞を完成させると約束してください」
最高の剣舞、選ばれた舞手にとっては当たり前に目指すものだった。
それでも、いいよ、と直ぐに言えない自分に驚いた。
本来卒業生の舞手はその意気を持って練習に邁進するのだろうけれど、私はどうやら違ったらしい。
歴代最高を越えようなんて、それどころか同じ土台に立っている事すら想像していなかった。
あの剣舞を超える。
今の、私たちの剣舞の様を考えると、歴代最高どころか、歴代最低になりかねない。
ウィンザード君の提案が荒唐無稽な話の様に感じてしまう。
「……私がもし勝ったら?」
答えられない事が後ろめたくて、更に聞いた。
「そうですね。明日一日サボってしまいましょうか。星誕祭楽しみにしていたのでしょう?」
それは素敵な提案だった。
それに、答え辛い返答に返せる様にと優しさの意図がある条件だった。
覚悟を決める。
どちらにせよ、この模擬戦は私にとっては必要な事だ。
私が舞うためには必要な事なのだ。
どんな条件だろうと、拒否権なんて元々ない。
「いいよ。飲む」
自分で思う以上に、自然に返答が出た事に少しだけ驚きながら、ウィンザード君を見つめる。
彼も頷き返してくる。
まだ、お互いに模擬剣には手を掛けていない。
ウィンザード君と武器を持って相対してみて、改めて使えるんだなと雰囲気で分かる。
剣術の講師と向かい合った時の様な胸を借りる様なイメージがあった。
やっぱりそうなんだ。
多分、ウィンザード君はこう思っているはずだ。
自分より格下だと。
彼にとっては元々負ける気のない賭け。
だから、簡単に開始の距離を私に誘導されるのだ。
ううん、ウィンザード君は私に誘導されたことに気がついている。
それでもなお、それに乗ったのだ。
飽く迄も彼にとっての私は気を遣うべき対象なのだから。
いけない、と思う。
どうにか、彼を本気にさせないと模擬戦の意味が無くなってしまう。
私が知りたいのは、彼の剣だから。
だから、まずはアルス・ウィンザードの油断を削る。
仕込みは、終わっているはずだった。
あとは、それを起爆させるだけ。
ウィンザード君に大して、微笑み、彼の言葉を促す。
彼は答える様に口を開いた。
「いつでも良いでッ…!?」
言葉に被る剣閃。
ウィンザード君は最後まで言い切れなかった。
一息で八歩の距離は消え、今は身体ごとウィンザード君に密着するほどの近距離。
私の右手で振り抜かれた模擬剣はウィンザード君の首に、左手はギリギリ反応しかけていた柄に伸びた彼の右手首を抑えていた。
クーやサイモンあたりには通用しなくなったけれど、戦闘が不得意なロイ君や私の剣術を見慣れていない人にとっては今も有効な私の初速。
それに加えてウィンザード君に発言を促し、その呼吸に合わせて、一番力を入れるまでに時間がかかるタイミングでの奇襲。
本来十歩から始まる手合わせを敢えて、八歩にした私の誘導。
それに乗って、その上で模擬戦に付き合ってあげられると思った彼の油断。
それでも、右手が柄に伸びた反応速度は流石だったけれど。
「一本目は私の勝ちでいいのかな?」
「…これは、なんて疾い」
笑う私に対し、ウィンザード君は冷や汗を流しながら数歩下がる。
「申し訳ありません。ハナビさん。情けないことに私は貴女を見くびっていた様です」
目の前の王子様は、油断なく騎士として剣を抜いた。
「まだ見くびっているかもしれないよ」
不敵に笑ってみせるけれど、仕込みはもう無い。
一本目を圧倒的勝利にするために、わざわざ早めに訓練場に来て、自分の剣術をウィンザード君に見せたのだから。
私の剣速や動きの想定を甘くさせる為だった。
ここからは単純な剣術の勝負。
これでもなお、彼が本気を出さなかったら、もう無理だ。
「…安心して下さい。僕も本気で行きますから」
瞬間、彼から感じた講師感が、消えた。
命の取り合いの様な緊張感が湧き出てくる。
「……」
深呼吸。
お互いに、後ずさるように距離を開ける。
十歩の距離。
正式な距離。
「いつでも、良いですよ」
同じセリフを、今度は最後まで言い切るウィンザード君。
その様子になんだか王子様も普通の男の子なんだなあと、少しだけ安心した。
「……」
「……」
始まりは静かに、ゆっくりと言える動き出しだった。
先手は私。
歩法で二回フェイントを入れたのにも関わらず、私の中断からの振り抜きは余裕を持ってバックステップで躱された。即座に踏み込んできたウィンザード君の上段切りをさらに踏み込みながらの半身で躱す。
前に避ける事を読んでいたウィンザード君の下段からの風切り音を模擬剣の柄で打ち付ける様に受け流し、胴体を狙った突きを放つ。
ウィンザード君は、自ら選んだ幅広の模擬剣の重量を利用して私の剣を上から下に打ち付ける様にして払う。
それから数合の打ち合い。
斬り、避け、流す。
戦いづらいと称される私の剣撃をいとも容易く防いで見せる騎士に、舌を巻いてしまう。
ウィンザード君、本当に、強い。
講師の先生より数段強いと思う。
技術もさる事ながら、膂力がとんでもないのだ。
私の選んだ軽めの模擬剣の剣速や切り返しに、腕の腕力だけでほぼ付いてきている。
それどころか、避けるのを諦めなければならない速度で反撃が来るものだから、受け流しのモーションに反撃のタイミングを崩されてしまう。
表情は真剣そのもので、次の手を一切読ませてくれない。
ウィンザード君の切り込みに対し、二度切り返して、堪らず距離を開ける。
剣撃が重いのだ。
このまま打ち合いを続けていたら、私の手が持たない。
「…驚きました。」
と、口を開いたのはウィンザード君。
いつもの余裕が顔からは剥がれ落ちていて、それが少し嬉しい。
「学年首席って伊達じゃないんだね」
私も賞賛を返す。
実際は時間稼ぎなのだけど。
痛い痛い、手が痛い。
長期戦は不利だ。
剣術だけで競うのであれば、お互いに決め手には欠けるくらいには同水準。
でも、物理的な総合力で、ウィンザード君に軍杯が上がってしまう。
奇を狙わなければ、負けてしまいそう。
同時に、先ほどの打ち合いから、その隙が見つけられなくて困ってしまう。
「今年の聖剣保有者は全員、ハナビさん位強いのですか?」
ふと、ウィンザード君が言う
模擬戦中じゃ無い様なトーンに毒を抜かれてしまった。
「状況が嵌れば私なんかよりみんなずっと強いよ」
私と違って二つ名に負けない、実力を持っている。
「私は、外を知らなかったのですね」
ウィンザード君に滲んでいるのは後悔の色。
人気者の彼だからこその葛藤がどこかにあるのだろうか。
私はそんなウィンザード君に対して何も言ってあげられない。
何かを言うには、彼の事を同じ様に知らな過ぎた。
答えるように私は大きく一度後ろに飛び退る。
距離は丁度八歩。
私の意図に気づいたのか、ウィンザード君は笑う。
嘲りでは無く、嬉しそうなそんな笑み。
正々堂々真正面から打ち払ってみせると言う自信。
それでも、私は私の初速に賭けた。
ウィンザード君は脇構えで受けの型。
お互いの初手をどう読むかで勝敗が決まるのが分かった。
「…ッ」
ウィンザード君に向けて、最速で駆ける。
一番最初より疾く、疾くッ。
初速からトップスピードで駆けられる身軽さが私の売りだ。
それでも、完璧なタイミングでウィンザード君は横一文字に模擬剣を振り抜いた。
胴を薙ぎに来るそれを避けない私に、ウィンザード君は一瞬目を見開いた。
逆に狙い通りの展開に私は、姿勢制御に集中する。
ウィンザード君の人間離れした膂力から放たれる横薙ぎを、私は駆けたまま両手で持った模擬剣を起点に足を浮かせながら全体重を掛けて受ける。
一瞬も拮抗せず私の身体が軽く宙を半回転、その勢いのまま、ウィンザード君の腕力で跳ね飛ばされる様に振り上がった足を利用して、ウィンザード君の側頭部を足で打ち抜いた。
完璧な手応えを感じる。
「…ッ!?」
いや、ダメ!
肩あたりを蹴ろうとしたのに、ウィンザード君の剣撃が思った以上に重過ぎて、狙いが外れてしまったのだ。
ぐぇ、と空中でひっくり返った自分が肩から地面に落ちる音と、ウィンザード君が後ろに尻餅を着く音が重なった。
「ご、ごめんなさい!!」
慌てて駆け寄ると、ウィンザード君は焦点の合ってない目でこちらに微笑む。
うわあ、気持ち悪い。
「…お、お見事れ」
言い切る直前に、王子様は昏倒したのだった。
それから、比較的早めに脳震盪から復活したウィンザード君と仕切り直して、残りの三戦を行った。
ウィンザード君に二本取られ、私は一本を取り返した。
ハナビ 強い




