Ⅱ-Ⅱ 褐色の肌と緑色の猫
* * *
「……正直なとこ、ついでにしちゃ、相当なもん、だと、思いますけど?」
息を切らせながら、一海は寧々に不満を訴えた。
寧々にひと仕事させられてから目的の店に到着したのだが、何故か店主への紹介よりも先に、また店の奥の事務所らしき狭い部屋まで荷物運びをさせられたのだった。
何往復もさせられ、一海は店の前に設置してある木のベンチに崩れ込む。店員が差し出してくれたおしぼりで顔を拭き、冷たくさっぱりとしたお茶を飲み、ようやく人心地ついた。
同じくおしぼりを渡され形だけ汗を押さえていた寧々は、しかし一海の言葉にもしれっとした態度でいる。
「まぁまぁ、しっかりサービスさせるからさぁ、ここの店主に。ここって実は、知る人ぞ知る掘り出し物の宝庫なんだよ?」
「何勝手にサービスとか言ってんですか寧々さん。その少年とどんな縁なのかは知りたくもないですけど、あなたお得意のサービスとやらをして差し上げればいいでしょうに」
寧々の軽口に対して憮然とした声が割って入った。
騒ぎを聞きつけたのか、店主らしき人物がようやく出て来たようだ。
一海は同じ年頃にしか見えないその男性を、つい不躾に見つめてしまう。
憮然として寧々と一海を見るのは、褐色の肌にアッシュ系の髪色をした若い男性だった。
体型にも顔にも、大人の男性っぽい顎や鼻筋などのゴツさがほとんど見られない。到底店主らしからぬ雰囲気だ。高校生のバイトと言っても十人中十人が信じるだろう。
「カタいこと言うなよぅゲコちゃん」そう言いながら、寧々が店主に向かっておしぼりを放り投げる。
彼はそれを片手で受け取ってふぅ、と小さく息を吐いた。
「その呼び方、やめてくれませんかね」
低めの声と落ち着いた様子の話し方だった。これならかろうじて、ひょっとしたら店主かも知れない、と思えなくもないかも知れない。
しかし寧々にあっさりといじられている様子を見るだに、やはり貫録が今ひとつだ。
「なんだい、最近急にカッコつけになっちゃってさぁ。ちょっと前までこーんな小さかったのに、ひとりで大きくなったみたいな口利くようになっちゃっておねえちゃん寂しいっ」
寧々は右手の親指と人差し指を目一杯伸ばして店主の目の前に突き出し、からかうように笑った。
「ひとりでは育ってませんけどね。でも寧々さんが育てたわけでもないでしょうに」
「ま、そりゃそうだ」
――知り合いというよりは、姉弟のような関係なのか。
一海はそう判断する。
ケラケラと笑う寧々の見た目は二十代前半くらいで、店長はそれより少し年下なようだ。
李湖のメールによると、この店は四、五年経っているとのことだった。つまり、二十歳前後で一国一城の主になったのか。大学生などのうちに起業する人もいる話は聞いたこともあるが、のほほんと高校生活を送っている一海には無縁の話だ。
「そうそうゲコちゃん本題本題。この子がさ、猫型キャンドルの新色欲しいらしいんだよね。緑のやつ。あれって数量限定だったじゃん? まだ残ってるかなぁ」
寧々の言葉を聞き、店主の顔が一瞬で営業用スマイルに変わった。先ほどまでの不機嫌を顕わにした表情が跡形もない。
「へえ? 最近は男の子でもアロマキャンドルを使ったりするんですね。ナントカ男子ってやつですか?」
唐突に本題に入ったので、あれこれ観察していた一海は慌てて立ち上がる。
「いや、欲しいのは俺じゃなくて母で……三ヶ月待てば、じいちゃんの店にも入荷するらしいんだけど、それまで待てないってワガママ言ってて。あ、前のは俺もいい匂いだったと思うけど。あれはそんなに甘ったるくもなかったし」
「ふむ? うちの他にこのシリーズを仕入れてる店があるなんて初耳ですね?」
店主が首を傾げた。
品揃えに自信を持っているのだろう。疑いを持ちつつも、嫌味や皮肉ではなく素直に疑問に思っている様子だった。
「そういうもんなん? あたしこれってその辺の雑貨屋にもあるんだと思ってたわー」
寧々が口を挟むと店主はあからさまにむっとする。
「その辺の店に売っているような物を、僕らが汗水垂らして駆けずり回って仕入れてると思ってたんですか、寧々さんは。その程度の心構えじゃ商売になりませんよ」
「えーそうなんだぁ。そんな珍しい商品ならうちでも通販とかしてみたいなぁ。余ってたらあたしにも分けてくんない?」
「だからそう簡単に手に入る物じゃ――」
「えーけちぃ。そんなこと言って、実はちゃっかり確保してるんじゃないのぉ?」
寧々と店主のじゃれるような口論に置いてけぼりを食らい、一海はただ茫然と二人を眺める。
店主がやっと一海の様子に気付いた。
「って、ずれてますよ寧々さん。この少年がアロマキャンドルを買いに来たという話でしょ」と、まだ食い下がる気満々な寧々を制して軌道修正する。
「しかし残念ながら、この商品は予約されたお客様の分しかないので、次に入荷するのはそれこそ二ヶ月三ヶ月先の予定なんですよ。えーと、一応予約しておきますか? キャンセルの場合は連絡をいただければいいですよ」
店主は申し訳なさそうに言い、眉尻を下げる。人気のある商品というのは、やはり簡単に手に入るものではないのだろう。一海はうなずいた。
「そうですね、じゃあ……」
李湖にはそのまま説明しようと考えながら、店主が差し出したノートを受け取った。
* * *
氏名と住所を書き込んでノートを返す。受け取りながら、店主は遠慮がちに問い掛けた。
「お訊きしてもよろしいでしょうか。おじいさんのお店というのは、どの辺りにあるのでしょう?」
よほど気になるのだろう。
「ん。隣の市になるんだけど、『真正・招き猫屋』っていう猫の雑貨ばっかり取り扱ってる小さな店で――」
「招き猫、ですって?」
店名を出した途端に店主の声色が緊張する。
一海だけではなく、店の商品をいじっていた寧々も何事かと店主を見る。
「まさか、少年は西川さんのご親戚なのですか?」
「あれ? 知ってます? まぁ、俺が生まれる前からやってるみたいだから、それこそ知る人ぞ知る程度には有名なのかなぁ。じいちゃん意外とすげーのな」
店主が知っている可能性はなきにしもあらずとは思っていたが、雑貨屋同士のギルドでもあるのか。しかし心なしか寧々までが驚いた表情をしているのが、一海には引っ掛かる。
「あ、じいちゃんもここから仕入れてるとか、そういう話なのかな。さっきのアロマキャン――」
「あの! これ!」
一海の言葉を遮って、店主は唐突に、一海の目の前に白い箱を差し出した。いや、突き出したという表現の方が的確だった。
憧れの先輩に、意を決してプレゼントを渡す女子中学生のような、切羽詰まった動作だ。
目の前三センチもない距離に突き出され、一海は咄嗟に仰け反りあやうくバランスを崩し掛ける。
「なっ? えっ?」
「今回のお代は結構ですので、これをお持ちください。おじいさま――西川さんにも、お母さまにもよろしくとお伝えください。それと、今後ともぜひ当店をご贔屓に――」
「え、ちょっ」
「げ、ゲコちゃん?」
がちがちに緊張した様子の店主に、箱を受け取った一海はもとより寧々まで面食っている。
「寧々さんがサービスしろって言った意味がやっとわかりましたよ……人が悪いな。最初からそうだと紹介してくれればよかったのに」
拗ねたように文句を言う店主。何故か寧々は動揺していた。
「え? うそ。まじで? 西川って、偶然じゃなくて?」
寧々が一海と店主の顔を何度も見比べる。寧々たちの間では話が通じているらしいが、話を振られても一海にはさっぱりだ。
「いや、すみません。何がなんだか……俺はたまたま、用事を頼まれただけなんだけど」
一海が首を傾げて寧々を見ると、寧々も首を横に振った。
店主は目を丸くして呆れたような口調で続ける。
「まさか寧々さんまで知らなかったんですか? 招き猫屋、何度か寧々さんに配達もお願いしたでしょう。あれどういう意味だと思ってたんです?」
「いやあれ重かったからバイトくんに荷下ろしさせてさぁ、あたしは隣にあった喫茶店でバーガー&コーヒーで一服してたんだけどぉ」
寧々はケラケラと笑う。
「あなたはまたそうやって! ほんと、人の好意を無自覚で台無しにするのが得意だなぁ!」
店主は目を吊り上げ、今にも噛み付きそうな勢いで迫る。
「大体普段からあなたはねぇ!」とまくしたてる。
一海は慌てて二人の間に割って入った。
「ね、ね、ちょっと待って。俺だけもんのすごっく蚊帳の外なんだけど。俺のじいちゃんって有名人なの? すげー気になるんで、喧嘩は後にして説明してくんない?」
喧嘩というよりも、店主が一方的に食って掛かっているように見えるが、しかしその言葉で店主は我に返った。
深呼吸をしてから「では改めて……」と一海に向き直る。
寧々もできるだけ神妙な顔を作るが、その表情にはまだ戸惑いが見える。
「つまりですね、招き猫屋の西川さんは、重要な取引先のひとつでもあり、こちらの――」そう言って、店主は寧々の方に手を差し出す。
「西川寧々さんのお父さまであり、そしてあなたの」今度は差し出した手を一海に向けて続ける。
「――お母さまのお父さまでもあり……つまりお二人は叔母と甥という間柄なんですよね? と私は問いたかったのですが、お二人とも、間違いないでしょうか?」
「……は? い、ぃ?」
店主の言葉を聞いて茫然とする一海の横で、眉間を寄せた寧々が、無言のまま何度もうなずいていた。