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ⅩⅢ-Ⅳ 一海の願いと踊る風

 通話を切りながら、一海は周囲を見回す。

 

 場違いな空気を背負った黒いスーツの男が、どこかに潜んでいないだろうか……そう考えながら。



 何故(たか)()()のことが浮かぶのかはわからない。

 だが、弥生に危害を加える存在があるとするなら、通り魔や交通事故ではなくあの男ではないか、という先入観があった。


 左手首のチリチリした痛みは徐々に増している。手首をさすりながらベンチに腰掛ける。一海は冷静さを取り戻そうと努力する。



「まず状況整理だ――横峰は十時に家を出た。俺は十時十五分に着いた。今日はまだ救急車の音を聞いた覚えがない……」



 どくん、どくん、と自分の脈が聞こえて来る。



「普通に来ていればドンピシャで出会うはずだったんだ――どっかですれ違った?」



 脳裏に突然、黒マントを羽織った高千穂が不気味な笑い顔の仮面を着け、弥生を荒縄でぐるぐる巻きにして捕まえている――という映像が浮かぶ。




 ――いやいやいや、ねーよ。さすがにねーよ。一昔前の漫画じゃあるまいし。



 一海は思わず自分に突っ込んだ。

 しかしその莫迦げた妄想のお陰で、少し頭が冷えたようだ。




 ――そもそもあいつの場合、誰かにかどわかされたと考えるより、懐いたと見せ掛けてからの新手の嫌がらせ説、の方がしっくり来るんじゃねえのか。



「待ちぼうけ喰らわせておいて、実はどっかからこっそり見てるとか、さっさと携帯買って寧々さんに見せに行ってるとか……あ、そうだ、寧々さんに電話してみりゃいいんじゃね?」



 じっとりと汗をかいた手のひらをズボンにこすりつけ、携帯電話(スマートフォン)を再びポケットから取り出す。寧々の番号を呼び出すが、本人に繋がらないままセンターの留守番電話になってしまった。



「まさか、二人して俺をからかっているんじゃ……」


 そう考えると腹立たしいが、彼女たちの身に何か起きたことを思うよりはまだ気が楽だった。


 * * *


 周囲を見回すたびに、買い物客や待ち合わせの人々の顔ぶれが変わっている。


 一海がここに来た時に通った家族連れが、買い物を終えたのか反対側から来て通り過ぎた。幼稚園児くらいの男の子が母親に手を引かれながら不思議そうな顔を向ける。



 こんな長時間、同じ場所に同じ人がいたら、自分も不思議に思うだろう。

 そう考えて一海は苦笑する。



 手の中の携帯電話がメール着信を知らせて振動する。一海は急いで画面を開く。


 寧々からだった。件名はない。



『ついでに用事をかたづけるからまた今度暇になった時に借りてた物を返すね。

 たぶんしばらくかかると思う。チョコケーキは保留でまた今度にお願い。sept』


 という本文のみ。



 一海はじっと画面をみつめる。

 前にもこんなメールが来たことがあったことを思い出した。何か共通点があるのかも知れない、とそのメールも呼び出して交互に画面を見比べる。



 やがて、何事かつぶやきながら画面を操作する。徐々にその表情が険しくなる。



「何故カイルさんじゃなくて俺に送って来たんだ……」


 そうつぶやくが、直感的に予想がついている。これはきっと、寧々だけではなく弥生にも関係ある内容だ。しかし今更これだけではどうしようもない。


 もう太陽は天頂近い場所にまで移動している。



 一介の高校生には打つ手なしだ。(おお)(ごと)になるのは嫌だが警察へ――と一海が諦め始めた時、小さな突風が耳元をかすめるように吹いた。



 くるくると、見せびらかすように小さな木の葉を巻き込んで、つむじ風は空に上ぼる。



 ――昨日のあいつみたいだな……楽しそうに。


 その様子につい()()れているうちに、寧々の言葉を思い出す。



「なんて言ってたっけ……風に、お願いして、乗せてもらう、って? どうすりゃいいんだろう。日本語通じるのか? それとも念じるのか……」



 しかし寧々はいわば風を操るプロだ。その寧々ですら扱いが難しいという風に、一海風情がお願いをしてみたところでどれだけ効果があるのだろう?



 それでも、駄目元覚悟の最後の手段に思えた。一海に風を操る能力がなくても寧々の甥としてなら、寧々に関わった弥生の居場所くらいは教えてもらえないだろうか、と。



「禅さんのことで『会って』いるんだから、横峰のことも覚えているはずだよな……寧々さんとなら、もっと昔からの知り合いなはずだ」



 風に人格があるのかどうかもわからない。他風(たにん)ということも、ひょっとしたらあるのかもわからない。おまけに、お願いといってもどうすればいいのかわからない。


 だがとりあえず一海は両手を胸の前で組み、歩道に踊る小さな風を見つめながら、頭の中で何度も弥生や寧々のことを思い浮かべた。


 * * *


 焦れるほど時間が経った頃、ごうっ、と一陣の風が吹いた。


 それは通り過ぎず、一海の目の前でつむじ風になった。



 橙や黄色に染まり掛けた気の早い葉を巻き込み、つむじ風はそのままぐんっと高速道路よりも高く上がる。まるで目的地が決まっているかのように、まっすぐにある方向を目指して飛び視界から消えて行く。



 ゲームをしていた子どもたちが、巻き上げられた木の葉を指差して歓声を上げていた。


 自然の風の流れとは違う、不自然な動きだった。



「まるで意思を持っているような動きだったけど――それよりあっちは、カイルさんが近寄るなと繰り返した界隈があるんじゃないのか?」


 まさか、という予感を無理矢理(ぬぐ)い捨てようとする一海の鼻先を、新たなつむじ風がかすめて舞い上がる。


 クレープ屋の向かい側でビラ配りをしていた黄色いジャンパーの女性が、短く悲鳴を上げる。



 風が、ティッシュやビラの入った大きな段ボール箱から、何枚ものビラだけを空高く巻き上げるのを一海は見た。カラフルな印刷を見せびらかしながら、同じ方向へ飛んで行く。



 すぐ脇を通り過ぎたカップルが空を見上げて「今日は風が強いね……変な風。ビル風?」と話している。



「あぁ……そうなんだ。きっといるんだ、寧々さんが。それから、ひょっとしたら横峰も?」


 声に出してそう認めてしまうと一海は急に怖くなった。得体の知れない何かが、はっきりと敵対の意志を持ってこちらを見ているような気がして身震いする。


 しかし怖いからだけじゃない。弥生や寧々がもし奴らの手の内に捕らえられていたら……そう考えると、怒りで更に震えそうだ。



 一海は自転車の方向を変えて飛び乗り、風に乗るようにペダルを強く踏み込んだ。






 自転車で十分余り西へに走り、BWエージェンシーより手前の交差点を左に曲がる。


 西(にしの)(もり)エリアの賑やかなアーケード街と並行して走っているこの道は、随分閑散としていた。古くからの小売店やシャッターを下ろした元店舗。小規模な倉庫や住居に併設された工場らしい建物などが混在する。



 郊外に近付くにつれ、周辺には霧が掛かり薄暗くなって行った。

 空を見上げると先ほどの秋晴れの爽やかな空は一片も見当たらず、暗い雲で一面覆われているように見える。



 休日午前中の工業地帯とはいえ、通行人の一人も見掛けない。心細さを紛らわせるようにつぶやく。



「いつの間に、天候が変わったんだろう……」


 気温が低いわけではなく、むしろ自転車を漕いで体温も上がっているはずなのに、悪寒を感じていた。左手の腕輪の石も、一層激しく自己主張してびりびりと一海を刺激する。



 高速道路の高架下にある大きな交差点で、長い赤信号に引っ掛かった。


 一海は肩で息をしながら先の一角を睨みつける。この信号を渡れば倉庫街だ。

 カイルが近づくなと言ったエリアで、火災のあった特殊焼却施設もこの中にあった。



 そこでようやく一海は、自分の落ち度に気づく。もしこの先に何かが、例えば高千穂がいるとして、そこに弥生たちもいるとして、しかしどうするかの算段を、一海は何も用意していなかったのだ。



 今更引き返すわけにもいかないが、インドア派の高校生が、大人相手にどうできるというのだろう。


 しかも寧々が捕らわれているのなら、相手は一人だけとは限らない。やはり警察なりに任せた方がいいのかも知れない……一海が躊躇していると、目の前の信号が青に変わった。



 せめて場所だけでも確認しよう……と思いながら自転車を降りて信号を渡ると、そこかしこに黄色いビラが散らばっているのが目に入った。



「あれ……まさか」



 一海の心臓がどくんと跳ねる。震える手でビラを拾って確かめた。



 駅前にオープンしたばかりの店名とオープン記念サービスの謳い文句が印刷されていた。それはしわひとつなく、今しがた誰かがそっと置いたように、土埃すらも掛かっていない。



「まさか、ほんとに……」



 一海はまだ半信半疑のまま顔を上げる。すると少し先にくるくると小さなつむじ風が起きていた。


 思わず息を飲み、つむじ風に掛け寄るがその途端に風は四散し、辺りにはビラが数枚と、赤く染まり掛けた桜の葉が散らばっているだけだった。

 一海は辺りを見回す。この辺りの街路樹は楓と銀杏ばかりで、桜は一本も見当たらない。



「そうか。ここなんだね……ありがとう」


 震える声で誰にあててでもなく一海はつぶやき、何かを決意するように大きく息を吸うと建物確認する。


 マンション名が掘られているプレートに右手が触ると、腕輪がムズムズと何かを訴える。腕輪をつけている左手で触れると、今度は痺れるほど痛んだ。



「――この建物なんだ」


 身体が震えて来る。いても立ってもいられず、一海は鼠色のコンクリートの階段を駆け上がった。


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