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ⅩⅢ-Ⅲ 腕輪の石と弥生の不在

 * * *


「寝坊したっ!」


 期末休暇(あきやすみ)初日。枕元の携帯電話(スマートフォン)を確認した途端、一海は叫びながら飛び起きた。



「うわやっべー。シャワー浴びてる時間が。でも浴びないわけには。急がなきゃ」

 着替えを掴み、階段を駆け下りる。その物音で()()がダイニングキッチンから顔を出した。


「一海くん起きた? おはよう。朝ごはん食べて行くんでしょ?」

「あー、えーと……どうしよう」



 そう言いながらも、一海は脱衣所に着替えを置いてからテーブルに着く。


 李湖は既に朝食を終えたようで、読み掛けの新聞と紅茶が彼女の定位置に置いてあった。開けられたベランダから気持ちのいい風が吹いている。



「時間ないから、トーストだけで……あれっ? その猫、また来てたんですか」


 掃き出し窓の前に白猫がちょこんと居座っているのを見つけ、一海は李湖に問い掛ける。小さなピンクのタオルを座布団代わりにして、まるで自分の家のようにのんびりと毛づくろいをしている。



「今朝、窓の外からご挨拶してくれたのよ。この子、人の言葉がわかるみたいに大人しくてお利口さんなの。どこかの飼い猫なのかしらねぇ」


 李湖はそう言いながら、いつもより大きめの皿を一海の前に置く。


「時間がないって言うと思ったからホットサンド作ったの。これだったら手早くしっかり食べられるでしょ。ハムチーズと、こっちはツナね」



 三角形に切られたホットサンドから、とろりと溶けたチーズとトマトケチャップがはみ出している。



「わ、ありがとうございます。いただきます」


 一海はハムチーズのホットサンドに勢いよくかぶりつく。途端に溶けたチーズが飛び出して来て危うく火傷しそうになり、ほふほふと慌てて口の中に空気を送る。


「大丈夫?」

 李湖が急いで水のコップを持って来た。


「らいりょううれす。すみません」


 一海はそう言って、まだ少しひりひりする口に水を流し込み、再びホットサンドにかぶりつく。



 瞬く間に消えて行く皿の中身を李湖はしばらく見守っていたが、やがて口を開いた。

「急ぎたいのはわかるけど、食べる時は落ち着いてね。いくらデートでも慌て過ぎよ」


 危うく水を噴きそうになった。



「な、デ、デートって」



「え? だって、ゆうべ遅くまでクローゼット引っ掻き回してたじゃない。バレバレよ?」李湖は激しく咳き込む一海に驚きつつこたえる。



 ――これが母親の勘ってやつか……?


 一海は言葉に詰まった。咳が止まってからも顔を上げられない。



「今度うちにも連れて来てね。色々お話聞きたいし。そうだ、お茶請けにタルトなんていいかも」



 何故か当事者よりもうきうきしている李湖に、一海は慌てて口を挟んだ。


「あ、あのリコさん。まだそんな……」

「え? まさかまだ告白してないの? 一海くん草食系って感じ? でもここぞという時には押さないと駄目よ?」


 ――やっぱり俺、草食系なのか? っつーか別にそんなんじゃなくて、今まで相手がいなかっただけで。


 しかし言い訳するにも説明するにも時間がない。タイミングも悪いので、一海としては不本意であったが曖昧にしておくことにした。


「いや、あの……はい。まぁそのうち。ごちそうさまでした」



 ダイニングキッチンを出ようとする一海の耳に「みゃぁう」と呼び掛けるような鳴き声が聞こえ、足を止めて振り返る。



 白猫がタオルの上に座ったまま、一海をじっと見つめていた。



「あら、この猫ちゃん、一海くんが行っちゃうのが寂しいのかしら?」


 食器を片付けていた李湖が首を傾げる。すると白猫はそれに答えるかのように、今度は李湖に向かってひと声鳴き、そのままするりとベランダから外に出てどこかへ行ってしまった。



「さよならの挨拶だったのかしら? 礼儀正しいのねぇ」


 まだ首を傾げている李湖に一海も「なんだったんでしょうね?」と相槌を打ち、改めて浴室へ向かった。


 * * *


 駅前から延びる三車線の道路は途中で二股に分かれ、道路の両端と中洲のようになった部分に大きなくぬぎと桜が並木を作っている。それが『くぬぎ通り』だった。


 街路灯のせいで紅葉は進んでおらず、まだらな橙や赤が混ざっている程度だった。



 寧々が撥ねられたのは、二股が始まる大きな交差点のところらしい。

 ここは他の場所より少しだけ複雑なルールで、矢印式の信号機が各方向に設置されている。



 今日は休日で、しかも連休の初日なので、午前中でも人通りがそこそこあり、歩道の端には無断駐輪の列もできている。


 クレープ屋の付近にいるのは、花壇の縁をベンチ代わりにしてゲームをしている子どもが数人。クレープを食べている親子やカップルが三組。


 誰もが自分たちの目的のために歩を進めていて、一海を気にする人影は見当たらない。



「あれ? 早く来過ぎたかな?」


 一海は自転車を降りて辺りを見回すが、弥生らしき姿がないことを確認する。

 先に来て、「おっそーい!」と見下すように言い放つ弥生を予想していたのだが……


 そこでやっと思いつき、一海は携帯電話(スマートフォン)の画面を見た。



 十時十五分。



 家を出る時は丁度十時半に到着するかと予想してたのだが、思いの外スピードが出ていたようだ。


 一海は手近なベンチの脇に自転車を止め、座った。隣では親子連れがポップコーンを頬張りながら、時々ハトに撒いている。



 背もたれに寄り掛かり手を組んで頭上に掲げ、思いっきり伸びをしてみる。晴れた日にはまだ陽射しは少し暑いが、その光は徐々に青白さを帯びて来ている。

 半袖の腕に触れる空気も、日に日にひんやりして行く。


 ――帰りには気温が下がりそうだなぁ……上着を持って来た方がよかったか。


 屋上から見えた景色のように、ゆっくりと季節が動いているのを一海は改めて感じていた。



 待つ、という行為は漫然と過ごす時間とは違い、その間に色々考えたりあれこれ思い出したりするものだ。


 ――ガキの頃は気付くとすっかり秋になっていたもんだけど、毎日何をして何を思っていたんだっけ……

 珍しく一海は郷愁に浸っていた。




 汗がひくと同時に冷えて来る。

 一海は思わず両腕をさすり、軽く身震いをした。その手が腕輪に触れるとひんやりした石の感触に加え、何かぴりりとした刺激を覚える。


「……静電気? こすったからかな」


 腕輪と右手を交互に見て、またそっと石に触れてみる。気のせいではなくぴりぴりとした刺激が伝わる。



「え、これこういう石だったんだ? 今まで気付かなかった」


 電気を起こす石があるのは知っていたが、実際目にしたことはなかった。


 これがそうなのかと面白がって何度も触って確かめているうちに、一海は気付く。右手が触れた時に微電流が流れたのかと思ったがどうやらそうではないらしい。


「違う。なんか」

 徐々にEMSのような刺激が強くなっている。右手を触れていない状態でも左手首がむずむずとかゆい。


「寧々さんがくれた石だもんな……ただの石じゃなく、何か仕掛けがあるのかも知れないけど」

 不安になり、小声で自分に言い聞かせるように独りごちた。



 お守りと言われたが、身に付けた物で監視したりできるのだろうか。

 (たか)()()は、石が見えていないのに『ある』ことを知っていた。


 実はSF的な先端技術なのではないか、と一海は思う。

 弥生のネックレスの緻密な細工のように、この石の中に精密な機械が入っていると言われても、やっぱりね、という感想を抱くだけかも知れない。



「もう少ししたら横峰が来るし、事務所に行ってから訊いてみればいいんだ」

 そう言って一海はポケットから携帯電話を取り出す。



 だが次の瞬間、はじかれたようにベンチから立ち上がる。画面を睨みながら少しうつむき、身体を小刻みに揺らし――やがて意を決したように顔を上げ電話を掛け始めた。


「あ、リコさん。あの、俺の連絡網って……そう、そこの。それで、横峰って人の番号を教えて欲しいんだけど……いや、うん。そう、わかった、ありがとう」



 切断ボタンを押しながらぶつぶつと電話番号を繰り変えす。


 その顔は少し上気して赤い。今度は二、三度深呼吸をしてからすばやく番号を押す。電話を耳に押し付ける手にも、知らず力が入っていた。



「あの、もしもし。横峰さんのお宅ですか? はじめまして。俺、クラスメイトの木ノ下といいます」


 声がうわずりそうになり、時々咳払いが混じる。



「――横峰さんって、もう家を出ましたか?」


 戸惑うような、でも嬉しそうな弥生の母親の声色が、一海の耳に伝わる。

「あの子、ゆうべから熱があるのに、やたら元気に出掛けて行ったんですよ――」


 一海はそれを聞いて言いようのない不安を感じた。

「すみません。それって何時頃になりますか?」


「ええ、時間? そう……十時前だったかしら。もう一時間近くになるわね」



 ここから弥生の自宅までは自転車で十五分弱だ。



 一海の背筋に冷たい物が走る。


「――そうですか。じゃあどこかで薬を買って一休みしているのかも知れないですね。いえ、体調が悪いとは聞いていましたので、無理しない方が、って話はしてたんですけど」


 すぐそばで誰かが、いや『何か』が聞き耳を立てているような気配がして、一海は咄嗟に平静を装った。




「いえ、じゃあドラッグストアを覗いてみます。はい、ありがとうございます」


 電話の向こうで済まながっている弥生の母親に、心の中で謝る。この際多少の出まかせは、大目に見てもらうしかない。


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