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ⅩⅢ-Ⅱ 手すりの高さと明日の約束

 弥生は少し慌てた様子で顔の前で両手を振る。


「あ、別に私ひとりでもいいんだけど、ほら、ショップで手続きする時に結構待ち時間があるって聞くじゃない? だから、話相手がいた方が退屈しなくて済むかなぁ、って」


「退屈しのぎの相手かよ」



 一海は脱力とともに苦笑する。

 ――まぁ実際はそんなところだろうと思ってたけどさ。



 だが、最近の弥生との距離感を考えてつい期待してしまうのは、健全な男子としては当たり前でしょうがないことなのだ。


 一海の空回りした期待を察したのか、弥生は付け加える。



「いや、だから本当は私ひとりでも平気だけどね? でも携帯買ったら、その後寧々さんたちの所に行こうかなぁ、って考えてたから。折角連絡取れるようになるのだし、連絡先を伝えておいた方がいいじゃない? それで」



 これが弥生なりの気遣いなのだろう、と一海は思う。(たか)()の件や、荒井の時も……遠回りで少し不器用な弥生の優しさ。


 そう考えるようになって来たお陰か、弥生の憎まれ口もからかいも、今の一海には不思議と腹が立たない。一海は、弥生の一番親しい異性の友人ではあるのだ。その立場だけでも今は充分だった。




「とりあえず俺も一緒に行った方がいい、ってわけね。おっけ」

「あ、一緒の方がいいっていうんじゃなくて、一緒でもいいよ、って……電話番号とか教えるのが一度で済むし……」


「はいはい、わかりましたよ。姫のご命令とあらば、ご随意に」



 弥生の慌て振りがおかしくて可愛くて、一海は笑いながら大仰に時代掛かったヨーロッパ風の会釈をしてみせる。



「あ、でも私は姫よりも海賊の方が……」

「ん? 海賊風の挨拶とか知らねえよ俺。よーほーほー、だっけ?」


 おどける一海を見て、今度は弥生は笑った。


「一海くんは、図書館より屋上にいる方が楽しそうね」

「う……そういうわけじゃねえけど。まぁ、図書館は静かにしてなきゃいけないし――そういや、何日も工事してたけど、結局どこが変わってんだろう?」


 手すりや屋根の部分が白くなり、全体的に眩しくなっているのは一海にもわかった。だが、屋上にある水タンクや申し訳程度のソーラーシステムはそのままだし、それほど変わったところは見受けられない。


 何故あんなに工事期間が必要だったのか、一海には不思議だった。



「何言ってるのよ。全然違うわよ」

 弥生は周辺を見回しながら言う。何故かぷりぷり怒っていた。



「んー? 例えばどこが?」


 一海は間違い探しをしているような気分になる。

 建造物が増えたわけでも、タンクやソーラーパネルが新調されたわけでもなさそうだ。



「まず手すりね。更に高くなったの。五センチ」

「へえ……よくわかったな」

 一海は感心したが、弥生は当然だというように胸を張った。


「伊達に毎日座ってないわ。っていうか、五センチ高くなったせいで、座るのが難しくなっちゃったのよ。前のは絶妙な高さだったのに」



 ――手すりは座るものじゃねえし、むしろ座られないように高くなったんじゃないのかよ……と一海は思うが、そんなことは弥生には関係ないのだろう。


「あと、床ね。床っていうか、これ、屋根? どっちになるのかしら」



 弥生はそう言いながら足元を蹴る。つられて一海も蹴ってみるが、つぅ……とつま先が滑る感触があった。



「え、ちょっと滑る――」一瞬、一海の背中がぞわりとする。


 この感覚は、一海は昔からやたら苦手だった。そのせいでスケートもできないのだ。多分小さい頃に、酷い転び方でもしたことでもあるのだろう。



「そうなのよ。これ、普通に危なくない? ここ走ったら転びそうだし、手すりに飛び乗る時も勢いがつかなくて」


「いや、なんで手すりに乗ること前提なんだよ」

 一海は耐えられず吹き出した。


「どうして笑うのよ」反対に、弥生はむくれる。

「手すりに乗れないなんて、屋上じゃないわ」



 一海は笑いが止まらず、くくく……と笑いながら腹を押さえる。

「どういう基準だよそれ。いてて、変な風に腹筋使ったじゃねーかよ」


「その程度で痛くなるなんて……普段笑い慣れてないの? まぁいいけど。でも滑りやすいってのは、こうくるくる回るのには便利よね」


 弥生は踊るように回り始めた。



「そういや前にもそんな風に回ってたな――ってか、危ねえって、この床滑るって今……」



「だぁいじょうぶよ――うわわっ」




「あぁっ! だっ――」




 回ってみせた弥生は案の定、滑ってバランスを崩した――だが、咄嗟に腕を伸ばした一海が、転ぶ前に受け止めた。



 一海は安堵したが、直後に震えが来た。




「――っから、あぶねって言ったんじゃんか……こういうの、肝が冷えるからやめてくれよ」


「あ……ありがとう。ごめん」

 腕の中で驚いた表情のまま、弥生が固まっている。



「まったくお前はよ――」と言いながら一海は弥生見下ろした。


 だが、上気した頬で自分を見上げている弥生と視線が合った途端、一海は発作的に抱きしめたくなり――






「ぅ……ほ、ほんとに、あぶねえって……」





 ――俺がな!



 と、心の中で全力の自己ツッコミをしながら、すんでのところで一海は弥生から視線を逸らした。



 どうやらかろうじて理性が勝ったようだった。

 だが、さっきよりバクバクしている心臓の音も、弥生を見つめる時に呼吸が止まっていたことも、多分弥生には全部聞かれているのだろう。



 そして今の表情がどんななのかも――そう思うと余計に動悸が酷くなる。



「ちょ、早く立てよ……」



「なぁんだ――されるのかと思ったのに」

 くすくすと笑いながら弥生が離れた。



「ばっ、そっ、そんなの、こんな時にすっかよ」


 ――さすがにその勇気はない――というか、何をされると思ったのかなるべく考えたくないというのが本音だがしょうがない。



「顔、真っ赤だよ」にやにやしながら弥生が覗き込む。

「うっせーっての」


「あはは――ねえ、折角ならどこかで待ち合わせて行きたいな」



 急に弥生の話が元に戻った。

 いつもながらその切り替えの早さに一海はややうろたえ、一歩遅れてこたえる。


「あ、ん……まぁいいよ。どこにするか決まったらメールで……じゃないんだっけ」



 弥生はくすくすと笑ったまま非常口へ向かった。


「そろそろ予鈴が鳴るよ……ほんの少し前の時代って、一体どうやって待ち合わせしてたのかしらね?」


「第六感じゃね?」ぴきーん、と擬音をつけて一海はポーズを取る。

「何それ、意味わかんない――それより明日、一緒にいるところを誰かに見られたら?」




「うん、まぁ、別に見られたら見られたでもいいかなぁ、って」


「ふぅん?」



 弥生に指摘されるまでもない。多分誰かに会ったら、その時すぐでなくても冷やかされることになるだろう。



 いちいち言い訳をするのが面倒なのだと、今までは自分に言い聞かせていた。だが、何を言い訳しなければならないのか。

 弥生と一緒にいて、言い訳しなきゃいけないことがあるのだろうか?



 ――これが惚れた弱み、いやひょっとしたら強みなのかなぁ……と一海は苦笑する。そう考えられるようになった自分の変化が不思議だった。




「じゃあ、待ち合わせはくぬぎ通りのクレープ屋さんの前にしましょ。あの大通りは歩道が広いし、ベンチもいくつかあるから」



「くぬぎ通りって……あの交差点の」

「平気よ、多分。うん、平気。柳の下にいつもおばけはいない」

「いやそれなんか違うし」



「それに……」


 弥生はためらうように少し間を開け、一海を見上げた。




「今の私には一海くんがいるから。ね?」




 その瞬間の弥生の視線と言葉に、一海は一瞬で撃ち抜かれる。


「……ね、熱あるんじゃないのか?」


 顔から火が出そうなくらいの熱さを感じながらも、一海は突っ込みを忘れない。



「あ、ひどいなぁ。本気にしてない。一海くんは私のこと守ってくれないの?」



 一海の顔色を見ているはずなのに、弥生もいつものように――いや、いつもより可愛らしいことを言っていじけてみせる。


「本気にしてないとかじゃなくて――よ、横峰のことは守りたいと、思って……る」



 言ってしまってから余計照れ臭くなり、目を逸らした。


「なにそれ、熱あるんじゃないの?」

「ちょ、お前なぁっ」



 そう言いかえしたと同時に予鈴が鳴り始める。弥生は軽い足取りで非常口に滑り込んだ。


「というわけで明日ね。十時半にクレープ屋さん」

「う、うん」



 一海の方はまだ半解凍といった様子で、ぎくしゃくと手を上げて弥生に答えた。


 * * *


 というわけで明日、はデートということになるらしい。

 デートという響きが、一海には先日と違って聞こえる。



「やっべえな。何着てったらいいんだろう……前、どうしたっけ」


 ぶつぶつと自問自答しながらタンスを引っ掻き回し、数少ない服でコーディネートをどうにかひねり出し――ベッドに入るまでの間ずっと、妙に浮かれ続けていた一海だった。


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