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ⅩⅠ-Ⅳ 一海の不満と寧々の態度

 * * *


 一海と弥生が両手いっぱいに荷物を抱えて買い物から戻ると、事務所の中にはコーヒーのいい香りが漂っていた。


「おかえりカズミン、弥生ちゃん。おつかい行ってくれたんだってー?」

 明るい声と共に、キッチンから寧々が飛び出て来た。一海が持っている荷物を受け取るように手を伸ばす。


 荷物を渡しながら寧々の笑顔にようやくホッとする一海だったが、いつもとどこか違う雰囲気に気付いて問うた。


「あれ? 寧々さんいつの間に……ってか、その格好――?」

 寧々はゆったりとした黒いスウェットの上下を着ており、ポニーテイルをほどいて、ゆるくふたつに結わえていた。


 髪を下ろしたことでたれ目気味になり、化粧もしていないようで全体的にいつもより幼い印象だ。


 だが一海のその問い掛けは、後から入って来た弥生の歓声で中断される。


「わぁ、寧々さん、こういうのも着るんですねぇ。黒も似合うじゃないですかぁ。あ、裏地のチェックがかわいいなぁ」


「最近ちょっと風邪気味でね。たまには暖かい格好しとこうかと思って」

 寧々と弥生はそんな会話を交わしながら、またキッチンへ向かう。

 一海は置いてけぼりを食らった形になってしまった。猫餌の袋を抱えたまま立ち尽くす。


 カイルはというと、トレーニングウェアのままだったがいつものように机に向かい書類に目を通している。そして、寧々が淹れたであろうコーヒーを飲んでいた。

 カップを置くタイミングで一瞬だけ目が合った。だがなんの一言もなく書類に視線を戻したその様子に、一海は少々むっとする。


 ――寧々さんほどじゃなくても、ねぎらいの言葉を掛けてくれてもいいんじゃないか? カイルさんの代わりに買い物に出たのに……

 そんな子どもっぽい感情が、心の中で湧き起こっていた。


 いつもなら「まぁしょうがないか」と諦めるようなことだというのに、今日は何もかもが癪に障り、不快感でモヤモヤする。

 何年か前に経験したことのある『いじめ』――教師が気付かないようにさり気なく、対象者を無視するという――のような、嫌な気分だった。



「ほんと悪かったねぇ二人とも。お土産もらっちゃったうえに、お使いまでさせちゃってさぁ」

 キッチンに荷物を置いて戻って来た寧々の、タイミングが良過ぎる言葉に、一海は猫餌の袋を取り落としそうになる。


「い、いや、別に……あの、猫餌はどこに置いておけば?」

 心の中を覗かれた気がしてどぎまぎしてしまう。一海はそのまま指示されつつ荷物を片付け、弥生は四人分のケーキを運んで来た。


 所在なさがどうしてもぬぐえない一海とは逆に、弥生の方は順応が早いらしい。既に、勝手知ったる他人の家という様子だ。



「一海くんがねぇ、寧々さんたちのことが心配だから見に行こうって言って」

 テーブルをセッティングしながら弥生が言う。


「本当? わぁ嬉しいなぁ、ねえカイル」


「えっ? 俺そんな……」

 ついさっきまでは――お礼を望んだわけではなかったが――「何か一言」と思っていたはずだったのに、実際こう言われると、注目されることに慣れていないため全力で辞退したい気分になった。


「またまた照れちゃってぇ」


 社交辞令だ、と軽く受け流す技でも身に付ければ、少しは気楽になれるのかも知れないが、一海は尾てい骨の辺りがもぞもぞする不快な違和感を感じるのだった。


「ん? あぁ、そういうことだったのか……それは心配を掛けた」


「いやほんとに……」

 カイルまでこんな調子では、余計に居心地が悪い。

 だが一海の心の中など知らない弥生と寧々は、応接セットのソファに座るとはしゃぎながらケーキを選んでいた。


 弥生が一海の皿にオレンジのシブーストを載せる。

 持て余し気味の居心地悪さを押し付けるように、一海は隣に座った弥生の耳元でぼそりとつぶやいた。


「そういや横峰、あれどうしたんだよ。そのために来たんだろ? 探したのか?」


 弥生は一瞬きょとんとした後、視線を泳がせた。

「――え? あぁ、忘れてた……」


 その表情を見て、今度は弥生を意味もなくいじめてしまったような罪悪感が湧き上がる。


 ――くそ、イライラする……


 とりあえず溜飲が下がるかと思っていたが、逆効果だったようだ。一海は尾てい骨と臍下の奥の辺りに説明のできない不快さが積もり行くことにいらついていた。


 じっとしているのがつらい。今すぐ大声で叫び出したい気分だった。



「何々どうしたの?」

 寧々はカシスのムースをつつきながら、一海と弥生の間に流れた微妙な空気を気にして首を傾げた。


 一海はちらりと弥生に視線を投げる。だが弥生はケーキセロファンについたクリームをフォークの先でもてあそぶのに忙しい、という態度で、こちらを見ようとしない。


 結局一海は自分で切り出した。

「こいつ、折角もらったペンダントをここに忘れて帰ったって。今日はそれで――」


「え? 今()けてるでしょ?」と、こともなげに返す寧々。


 弥生がぱっと顔をあげた。

「すごーい、何故わかるんですか? ――あ」


「はぁ?」


 一海は、寧々よりも弥生の言葉に目を丸くする。だが寧々は一海の様子に気付いていないのか、そのまま続けた。


「まだカズミンには感じられないかも知れないけど、その石って共鳴し合うんだよね。石同士も、それからカズミンやあたしらと波長が合う――いわゆる、えっと、仲間が近くにいる時も。だから」


 寧々はテーブル越しに手を伸ばし、一海の左手首を両手でそっと掴む。


「今これつけてるでしょ? そうすると、あたしやカイルには、この石の波長と弥生ちゃんのペンダントとの共鳴が感じ取れる。音じゃないけど聞こえる、みたいな?」


「へぇぇ……特別な石だったんですね」

 弥生が感嘆の声を上げる。寧々は得意気な笑みを見せた。


「もうちょっとネタバレすると、普段カズミンや弥生ちゃんがこれを学校で着けてても誰にもわからないと思うよ。波長が合わない、その、普通の人には、これが見えてても見えてないのと同じ状態なんだ」


「ステルスって感じですか? でもこんなきれいな色合いなのに気にならないのかしら?」

 弥生は一海のブレスレットを不思議そうに眺めた。


 一海は手首を掴んでいる寧々の手をそっと振りほどこうとしたが、何故かびくともしないので静かに焦っていた。


 窺い見ると、寧々はにやりとしてみせる。一海は心の中で舌打ちをした。また遊ばれているのだ。



「弥生ちゃんたちが見せた時は他の人たちにも見えるよ。ただ普段は認識しないっていう、そうだなぁ……精神的ステルス?」


 寧々は一海の手首を掴んだまま弥生に解説を続ける。

 弥生はブレスレットに見惚れているせいで、一海たちの秘かな攻防には気付いていない。


「じゃあ、これが見える人は、私たちやこの石と相性がいいってことですか?」


 弥生の問いに、寧々の表情が翳った。

「相性がいいかどうかはわかんないけど、波長が合うのは確かだと思うよ。あ、ただ逆に、反撥し合う相手にもわかっちゃうかな……」


「反撥?」


「なんて言うのかな……その石のことを極端に毛嫌いする人がいたら気をつけた方がいいかなぁ、って」

 そう言うと、寧々はようやく一海の手を離した。


 弥生がそっと自分の胸元に手を当てる。

「お守りみたいな石ですね、これ」


「……やっぱつけてたのかよ」

 一海がぼそりと吐くと、弥生ははっと振り向いた。


「あ、あのね、一海くん……」


 むくれている一海と焦る弥生を交互に見ていた寧々が、一拍置いて納得したようにうなずいた。


「あれぇ、言っちゃいけない感じだったみたいね?」

「今更ですよ」

 憮然とした表情で一海が答える。


「どうもおかしいと思ってたら、やっぱりそういうことだったのか……」

 ため息をつきながら、それでも一海は合点がいった。居心地の悪さの正体はそこだったらしい。



 一海自身、寧々たちのことになると二の足を踏むというのは自覚しているし、これも弥生なりの気遣いだったのかも知れない。


 しかし、先読みしたのにもかかわらず、更に嘘をつかれてまでここに連れて来られたうえに、まるで一海の提案で来たような言い方をされて。

 弥生も無理をしていたのだろうとは一海も思った。だがそんな無理をしても、いずれバレるものだ。



「だってさ……そうでも言わないと一海くん、ここに来られなかったでしょ?」

 弥生はいじいじとフォークでセロファンをつつく。既にケーキが半分ほど胃の中に消えてしまっている寧々とは対照的に、さっきから一口も減っていない。


「もういいよ。俺ばっか振り回されてたってのがわかったし、横峰も無理しなくていいから。寧々さんたちだって、こんなん迷惑だろ?」


「え? そんなことないよぅ。だって二人とも心配してくれてたんでしょ? あたしは嬉しいなぁ」

 そう言うと、寧々はぴょんと一海に抱きついて来た。


 勢い余ってそのまま一海ごと弥生にぶつかり、押し潰され掛けた弥生が驚いて小さく声をあげる。


「ちょっ、重っ。くっつかないでくださいよ。子どもじゃないんだから――」

 一海は慌てて体勢を立て直そうとするが、寧々は離れない。


「またまたまたぁ照れちゃってぇ。ほんとカズミンはかわいいなぁ。弥生ちゃんもかわいいったらもう」


「いや、別に照れてないしっ」



 寧々は頬ずりせんばかりの勢いだった。更にそのまま弥生まで抱きしめるかのように腕を伸ばし、一海はむぎゅむぎゅと全身を押し付けられてしまう。


「ってか寧々さん、いくらスウェットだからっても、こんな、マジでほんと、やめて――」


 一海の抗議とも悲鳴ともつかない訴えは、またしてもあっさり無視されてしまったのだった。


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