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ⅩⅠ-Ⅱ 弥生の理由と事務所の鍵

 * * *


 一海が雑誌に没頭していると、弥生に声を掛けられた。

「ねえ、今日これから寧々さんとこ行ってみない?」


「でも……別に急ぐ用事もないし」


 一海も気になってはいた。だが、もしも事務所にまで出掛けて空振りだったら……と考えると、向こうからの連絡を待っていた方がまだ気楽だった。


 弥生の表情と口調が少しきつくなる。

「用事がなければ行っちゃいけないの? 会いたいから、は理由にならないって言うの?」


 ――相変わらず言いたいことを言うやつだよな。これで『言えてない』ってか。


「俺、今日は――」

 適当な口実をでっち上げて断ろうとした一海の言葉を、弥生は遮った。

「実は私、事務所にペンダントを忘れて来ちゃったのよね」


「えっ?」


 一海は焦る。

 ――寧々さんがお守りだって言ってたやつだぞ? あの言い方、あれが気休めの類じゃないのは確かで。当然それを身に着けてなければいけない理由があったはずで……いやまてよ。今度こそ引っ掛からねえぞ。


「行きたいからって、作り話をするのはどうかと思うぞ?」

 一呼吸置いてから――自分のことは棚に上げ――少し強い口調で言う。


「……だから、言い出しにくくて」


 弥生はしゅんとしてうつむいた。


「さすがに失礼じゃない? 折角いただいた物を置いて来ちゃうなんて……最初のパワーストーンのこともあるから。でもしばらく留守になるようだったから、悪いけど、少し安堵してたの。一海くんがすぐ様子を見に行くだろうって思ってたし。でも……」


 弥生は一気に喋ると、一瞬だけ顔を上げ、また顎を引いた。


 ――俺が行く時に便乗して、こっそり持ち帰るつもりだったのかよ。

「なんだよ。そんな事情があるんなら、回りくどいことしないで、もっと早く言ってくれれば」



「じゃあ今日行けるのね?」


 途端に弥生の声が弾む。一海はその嬉しそうな顔につられて微笑みそうになったが、ここで甘やかしちゃいかん、と無理矢理表情を引き締めた。


「まぁしょうがないだろ。でも、寧々さんたちが帰って来てて、ペンダントを預かっているかも知れないぞ」

 一応駄目押しもして、恩を着せておくのも忘れない。


「その時はもう何度でも謝るわ。人の好意を踏みにじるのは嫌だもの」


 ――いつからそんな殊勝になったんだよ……と一海は突っ込みたくなったが、反撃が怖――いや、気を遣って黙しておく。



「あ、ねえ、途中であのカフェに寄って、ケーキを買いましょうよ。寧々さんたちが戻ってたらお詫びも兼ねて、一緒に食べればいいじゃない? ね?」


 両手を顔の前で合わせ、おねだりしてるような口調の弥生には、何故か嫌な予感しかしない。一海はおそるおそる尋ねる。


「あの……その資金はどこから出るんですかね?」


「一海くんのお財布からでしょ?」


 百二十パーセント当然なことを何故訊くのだ、という顔で弥生は言い切った。


 * * *


 弥生の宣言通り喫茶店でケーキを四つ買わされ、一海はすっかり軽くなった財布の中身を嘆きつつBWエージェンシーのビルまで辿り着いた。



 ビルのすぐ脇の猫の額ほどの広さしかない駐輪場に回り込むと、一番奥のスペースにカイルの黒いバイクが停まっていた。

 いつもはつやつやに磨かれているのに、今日は所々に泥跳ねらしきくすみが見える。


「カイルさんのバイクがあるよ?」


「あら、じゃあいるのかしら」


 二人はビルを見上げる。しかしブラインドは下げられており、中に人の気配がするかどうかわからなかった。


「とりあえず上がってみましょうよ。鍵も持っているんだし」と、弥生は先頭に立って階段を上り始める。


 バイクの様子から察するに、数時間前に戻って来て仮眠を取っているという可能性もある。


 ――だとしたら、無事を確認するだけでもいいんじゃないのか。

 一海はそう思ったが、弥生はどんどん先に行ってしまう。


 階段の手前に設置されている集合ポストには、郵便物が溜まっている様子はない。だが届く郵便物の内容を考えると、月光か誰かが定期的に回収しているということも考えられる。

 これだけでは留守かどうかの判断材料にならないだろう。



「カイルさん、寧々さん。あの、どなたかいますか?」


 先に行った弥生が事務所のドアをノックをしているが、しばらく待っても反応がなかった。

 バイクを置いてまた出掛けたという可能性もある。もう一度、今度は一海が声を掛けてノックしてみる。


 ――あぁそういや、こいつのペンダントが中にあるんだ。


 ここに来たもうひとつの目的を思い出し、一海はカバンの中をまさぐって事務所の鍵を探した。取り出す際、鍵同士が奏でる金属音が廊下に響く。


 するとそれに呼応するかのように、事務所の中から、何か軽い物が落ちたような音が聞こえた。

 そして――うなるような声も。


「……ね、誰かいるみたい」

 弥生は緊張した声で囁き、鍵をつまみ出した一海の手を押さえる。


「うん……カイルさん? あの、俺です。一海です」


 もう一度、ノックして声を掛ける。今度は答えるようにはっきりとしたうなり声が聞こえた。


 それからまた、がさがさと物音。

 一海と弥生は顔を見合わせる。


 人の声なのか、事務所に出没する猫たちの声なのか。

 猫なら「にゃあ」という鳴き声が混ざってもよさそうなものだが……低いうなり声は、警戒するようにも苦しんでいるようにも聞こえる。


「カイルさん? 大丈夫ですか? 開けますよ?」

 弥生は青ざめた顔で一海の手から鍵を奪う。急いで鍵穴へ差し込もうとするが、その手は震えている。


「お、おい横峰、ちょっと落ち着けよ」


「落ち着け? 何を言ってるのよ一海くん。熱があったり怪我しているなら、一刻を争う事態かも知れないじゃない」

 そう言いながらがちゃがちゃと乱暴に鍵を回し、それでも解錠後は鍵を抜き取り、一海へ押し付けるのを忘れない。



「カイルさんっ!」


 大きな音を立ててドアを開け、弥生は事務所へ飛び込んだ。






「……カイル、さん?」


 数歩駆け込んだ所で弥生の足が止まり、呼び掛ける声に戸惑いが混じる。

 一海もドアの外側から眺めるが……


 ――えっとこれは……どういうことなんだ?


 弥生と、その後ろに立っていた一海の目の前には、昨日とはまったく違う光景が広がっていた。電灯のスイッチをつけると、その惨状、ともいえる様子が、よりはっきりする。



 応接セットのソファの背には上着が掛けられ、ソファにはゴミ袋くらいの大きさの何かの塊が鎮座している。重さはそこそこあるようで、ソファの座面が少し沈み込んでいた。


 テーブルの上には、ネクタイがだらしないヘビのように寝そべっている。カイルのものだろう。


 だがそれだけではなかった。

 右手に見える書類用の大きなロッカー付近の床や、そこに向かう通路上にあるカイルの机などそこかしこに、男物の――つまり、カイルのものらしい靴や衣類が点々と脱ぎ散らかされていた。


 ちなみに、ロッカーの裏手は、洗面所や小さなキッチン、あとはカイルや寧々が仮眠用に使っているという、古ぼけたソファベッドが置いてあるスペースだ。


 応接テーブルの上には数通の封筒が投げ出されており、また、床などそこら中には、衣類と一緒に書類や新聞も散らかっていた。

 勢い込んだ弥生も、入り口付近に散っていた数枚の書類に、足跡を付けてしまっている。


 少なくとも書類はカイルの机の上に積まれていたはずなので、誰かがわざと撒き散らしたような有様だ。



 しかもこの状況だけで判断すると……今現在カイルが事務所内にいるとすれば、ほぼ全裸の可能性もあるということになる。弥生が戸惑ってしまうのも無理はない。



「どうしよう……悪いんだけど一海くん、奥の様子を見て来てくれる? 私はここを片付けようかしら」


 弥生も同じような結論に達したのだろう。一海はうなずきながらこたえる。

「とりあえず向こうは見て来るけど、万が一空き巣の仕業だったりすると現場保存が必要になるかも知れないから、片付けはもう少し後の方がいいんじゃないかな」


 ゆうべ刑事ドラマを観たばかりだったので、ついそんな台詞が出て来る。

 だが弥生は納得したようだ。大人しく従い、その場で待つことにしたらしい。



 キッチンなどのスペースは、カイルの机から多少離れていたのもあってか、書類なども散らかっておらず、足の踏み場が確保されていた。しかしそこにカイルの姿はなく、更に奥のシャワー室やトイレの電灯も消えている。



「カイルさん? どこですか?」


 声を掛けながら進むと、ソファベッドに小さなくぼみができていことに気付いた。一海がそっと触れてみると、まだほんのり温かい。


 ――あの声のこともあるし、確かにさっきまでここに誰か――もしくは何かがいたはずだ。


 一海は周囲を見回す。

 万が一、それが凶器を持った空き巣だった場合は、身を守れるような物がどこかにないだろうか、とも考えながら。



 またどこかで、がさり、と物音がした。


「一海くん、そっち、物置っぽい方だわ」


 弥生がロッカー越しに指示する。一海は洗面所とは反対側の部屋の隅に目を凝らした。ダンボール箱やがらくたが天井近くまで積まれている物置のような一角で、何か動いた気がした。



 咄嗟に手近な物を掴むと、枕代わりに使われている寝袋の塊だった。

 何もないよりはましなのでそれを構えつつ、そっとがらくたの山に向かう。



「誰だ? カイルさんは――うわっ?」



「一海くんっ?」


 叫び声を聞いて弥生がロッカーの向こうから駆け付ける。しかし目の前の様子を見てまた驚いた声を上げた。



「――え? 猫?」


 そこにいたのは、黒く、つやつやした毛並みの猫だった。


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