ⅩⅠ-Ⅰ メールの謎と本の壁
寧々からメールが来たのは、翌日の朝だった。
一海は、事務所を出て行く時のカイルと寧々の様子からしばらく連絡がないものだと思っていたので、訝しみながらメールを開く。
『どんな時もじっくりゆっくり作ったスープが、超絶的にうまい店に出前をおねがい。
うまいものだけ食べていたい。cinq』
という、本文だけのメールだった。
朝食を食べているタイミングだったためじっくり確認できなかったが、メールを閉じようとした時に送信先が表示されていないことに気付いた。
送信元は間違いなく寧々の携帯電話だ。
「えっと……こういう送り方をする時って、同時に何人かに送ってるってことだよな……なんなんだろ、これ」
首を傾げながらポケットにしまい、ピザトーストにかぶりついた。
* * *
「これって、お腹減ったってことなのかなぁ」
メールを読んだ弥生がつぶやいた。
「さぁな……」
一海は興味なさそうな風を装って伸びをし、辺りを見回す。
昼休みの図書館である。
黙々と自習している、いかにも勉強ができそうな顔つきの生徒や、小説らしき文庫本を読み耽っている生徒などが大半で、一海たちのような男女のペアやグループは見当たらない。
一海にとって、この時間のここは、自分が場違いだとつくづく感じてしまうような空間だった。
弥生の斜め後ろ、細長い会議用テーブルを二列分挟んだ向こうに、きっちりとした三つ編みおさげに黒縁眼鏡、という外見の女子生徒がノートや参考書を広げている。
彼女は特に神経質らしく、椅子を引く音や話し声が聞こえるといちいち音の方向を睨みつけていた。
「あんなんじゃ逆に集中できないだろが……」
弥生にも聞こえるか聞こえないかくらいの音量で一海はつぶやく。
弥生は一海の携帯電話の画面を凝視したままぶつぶつ何か呪文を唱えているが、寧々のメールの謎は解けないようだった。
「スープが美味しいお店って何だろうね? そんな話出てたっけ?」
弥生がまた問い掛けるが、一海はゆっくりと首を振った。
「出前なんて話も聞いたことがねえよ」
お手上げというポーズをしながら一海が答える。すると、すかさず三つ編み眼鏡から鋭い視線が飛んで来た。
――やっぱここは静か過ぎて苦手だ……と一海は思う。
「屋上……点検の次は工事ってかよ。早く終わんねえかなぁ」
「あれぇ? 生活委員さん何言ってるのよ」弥生に聞き咎められた上にくすくすと笑われ、一海ははっとした。
そもそも生活委員たる一海の役目は、屋上から弥生を撤収させることであり、この状態はむしろ、生活委員としては喜ばしいことだったはずである。
今のは手痛い失言だった。
「いや……何つーか、そうじゃなくて、ほら、ここであんま喋ると迷惑になるし……」
「って、ことは何かね? 別に屋上じゃなくても二人きりになれればいいや、って話なのかね?」
弥生がにやにやしながら一海をからかった。
一海は渋面を作る。
――これは一度、気を引き締めなければなるまい。
最近はなんとなく、クラスメイトの視線が『生活委員と問題児』を見る物じゃなくなっているような気がしないでもないことも自覚していた。
今日は弥生が「図鑑は華奢な女子にはほんとに重いのよ? クラスメイトとして、いえ、生活委員として、困っているクラスメイトを助けるのがうんぬん」といつもの調子で絡んで来たのだ。
図書委員の鳶田は、自分の本来の役目を棚に上げ、「とんでもない奴に目ぇつけられたな……」と一海に対して更に同情していたのだが。
「まぁ、あれだ。ヘビの話は寧々さんかカイルさんがいないとどうしようもないんで、一旦締めようぜ」
図鑑の重い表紙をばたんと閉じて、一海は宣言する。実際ヘビの種類はさして重要でもないという話を寧々がしてたはずだ。
とりあえず、もう一度変なヘビを見掛けた時は必ず写真を撮ることにしよう。
* * *
その日の放課後、一海はひとりで図書館に足を運んだ。
弥生にはああ言ったが、やはりヘビのことが気に掛かっていた。というのもあるが、寧々やカイルたちのような都市伝説的存在について、何か少しでも参考になる本がないかと思い、駄目元で探すつもりだった。
数台並んでいる検索用端末の一番奥、少しでも人目につきにくい場所を選び、さてなんと入力したものかと思案する。
「ん、ん、ん……化け猫、とか?」
自分のつぶやきに、直後吹き出しそうになった。寧々の前で言ったらどんな顔をするだろうか。いや、それよりも何をされるかわからない。
とりあえず『猫』『人間』『変化』『もののけ』などと打ち込んでみる。するとリストアップされたものは昔話の全集と、ファンタジー小説。それから一昔前に流行った、超能力や宇宙人に関する怪しげな雑誌のバックナンバーばかりだった。
「この中で一番関連ありそうなのって、やっぱこの辺だろうなぁ……」
ため息をつきながら、超常現象についての雑誌を何冊か選択してプリントアウトを押す。カタカタ、ジ、ジーと小さな機械音を立ててレシートのような紙切れが排出されるのをぼおっと眺める。
紙片を手にし、さて、雑誌が並んでいる棚を探しに――と踵を返した途端、
「うわ、びっくりした」と一海は思わず声を上げてしまった。
目の前に弥生がいた。
危うくぶつかりそうだった一海は慌てて半歩下がる。
「へぇ? 一海くんってこういうの読むんだ?」
『心霊現象の検証』だの『都市伝説スポット』だのの文字が並ぶレシートを無遠慮に覗き込み、弥生は楽しそうな声を出す。わかってて言ってるよなこいつ、とは思うが一応答える。
「まぁ、最近興味を持つ出来事があってね。俺、そういうのには詳しくないんで、少し勉強してみようかなぁ、と」
「それなら私がお勧めの本を何冊か持って来てあげようか」
言うが早いか、弥生はずんずんと棚が林立している中へ踏み込んで行く。
一海は少し迷ったが、とりあえずそのまま弥生について行くことにした。
* * *
「……で、この本全部目を通せってか?」
少々うんざりしながら一海は弥生に問い掛ける。
一海も自分で探した雑誌を何冊か、窓際のテーブルに積んでみたが、弥生が選んだ本がそれどころじゃない量だった。
一海たちの傍らで、壁のようにそびえている。
弥生が積み上げたのは、神話や超常現象に関する本ばかり十冊以上。それぞれが結構な厚みのもので、何冊かは百科事典並みだった。
「全部は無理でしょ、さすがに。でもこうやって積んでおくと、壁みたいになってちょっと落ち着くじゃない?」
テーブルを挟んだ向かい側で弥生が微笑む。
「それなら向こうの、仕切りがついてる方に行けばいいんじゃないのか? あっちなら半個室仕様だし」
一海が壁際の一角にあるブースを指差すと、弥生は何故か困ったような表情になった。
「うーん……一海くんがいいなら」
「何で俺――」と、言い掛けて、一海は途端にはっとする。
「……ごめん」
「――ね、壁みたいでしょ」
そう言ってまた軽く微笑むと、弥生は自分も本を一冊取って読み始めた。
「そうだな。確かに落ち着くよな」
今度は一海も素直に同意する。
――多分こいつは、俺が人目を気にしていることを知ってて、個室ではなく開放的な場所に仕切りを作ったのか。みんなの前で「一海くん」と呼ばないのと同じ、これがこいつの気遣いなんだ……
本に視線を落としている弥生を眺めながら、一海はそう考える。
――あ、そうか、だとしたらひょっとして……
「お前さ、こないだの」
「お前って呼ぶな」
相変わらずこれだけは素早い突っ込みが飛んで来る。
「ごめ……横峰さ、鷹野のスマホの件、あれって」――わざと、なんだろ?
そう問い掛けようとして、だが一海は口ごもった。
――俺、何がしたいんだ? こいつが、このつんけんした態度の裏で実は結構気遣ったりして優しい奴だ、って確認したいのかな? でも訊いてどうすんだよ。
弥生に問い掛けるつもりが自問自答になってしまい、そのまま一海は無言で弥生を見つめ続ける。弥生は小首を傾げた。
「……スマホが、何か?」
「いや、なんでもないや……ごめん」
一海はぼそぼそと謝り、また雑誌に視線を戻した。
数秒後、「ふぅん……」というため息とも相槌ともつかない声が、テーブルの向こう側から聞こえた。