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Ⅹ-Ⅲ 甘い雰囲気と不吉な男

 * * *


 残り半分になったケーキを食べながら、弥生はぽつりぽつりと小さかった頃の話を始めた。


 男子顔負けのおてんばだったこと。仲が良かった友だちを泣かせてしまい、謝ろうと思ってぐずぐずしている間にその子に会えなくなってしまったこと――それを今でも後悔していること。


 一海は時々相槌を入れつつ聞いていた。


「横峰って言いたいことズバズバ言うタイプだと思ってたけど、昔は意外とそうでもなかったんだなぁ」


「どういう意味よ」


 弥生は鋭い視線を向けるが、今の一海には何故かそれすらも可愛らしく見えてしまう。ケーキかコーヒーに怪しい薬でも入っていたのだろうか。


「いや、なんつーか……」

 にやけそうな顔を一海が必死に引き締めている間に、弥生のつり上がった眉は心もとなく垂れ下がった。



「ズバズバなんて言えてないわよ私……自分が嫌い。女であることも含めて。あの時も、悪いことしちゃったなってずっと悔やんでいて、なのにまだ謝っていない。いなくなったって知ったのがお誕生会の日で、それ以来ケーキ食べるたびに、その子のことを思い出しちゃうのよね」


「でも幼稚園の頃の話だろ? そいつももう忘れてるって、きっと」

「そういうものなのかな……一海くんは?」

「え? 俺?」


 弥生が一海の顔を覗き込むように首を傾げる。


「一海くんも、幼稚園の頃のことって忘れちゃってる?」

「俺は――」

 一海の視線が泳いだ。


「――忘れてるよ」



 一呼吸分、沈黙が訪れる。


 弥生は静かに一海を見つめていたが、やがてふっと微笑んだ。

「そういうものなのね。えっと、やっぱり話題がもたないね。私も話下手で」


 弥生のわざとらしい話題転換に、一海はほっとしていた。緊張していた頬を緩める。

「うん……テレビでもつける? この時間じゃドラマの再放送かニュースくらいしかなさそうだけど」



 リモコンを手に取り、ザッピングする。ここでテレビがついていたのを観たことはないが、書類や雑貨に埋もれていないところを見ると、普段から使われているらしい。少なくともニュースなどは観ているのだろう。


 この時間帯はやはり再放送が多い。少し古い刑事物や、サスペンスの二時間ドラマ。あとは最近の恋愛物。


 恋愛ドラマが映った途端、主役二人のラブシーンの場面になり一海は焦った。


「や、やっぱ何もないな。消そうか」



 父や()()と一緒に観るのも気まずいのに、クラスメイトの、しかも一応彼女ということになっている弥生と一緒に観るのは余計に気まずい。弥生はその態度を見てくすくすと笑い出し、からかうような口調で言った。


「私は別にいいけど。一海くんって、ひょっとしてこういうドラマが苦手なの?」


「苦手ってか、あまり観ない」

 一海はぶっきらぼうに答える。

 実際、弥生との話題作りのために、流行(はや)りのドラマを無理して数回――甘い雰囲気に耐えられず、部屋でひとりのたうちまわりながら――観たことがあるだけだった。


「ふぅん、そうなんだ。てっきり、ドラマに影響されて私のこと意識しちゃって困ってるのかと思ったのに」


「……わかってんならわざわざ訊くなよ」

「あ、やっぱりぃ」

 軽く握った手を口元に寄せて、弥生はまたくすくす笑う。


「いやっ。だから……」

 つい弥生の口元に視線が向いてしまい、一海の耳はじわりと熱くなった。


 ――前言撤回。やっぱこいつ憎たらしい。

 からかう余裕をみせる弥生に対し、一海は自身の格好悪さを呪う。


「やっぱり一海くんは嘘つけないねぇ。あー面白かった。あ、ニュースにしてくれる?」

「……はいはい」

 ため息をついて、チャンネルを変える。若いアナウンサーが映った。



「ふぅん。特に目ぼしいニュースはなさそうね」

 アナウンサーが読み上げるトピック一覧が終わり、弥生がぽつりと言う。一海は普段夕方のニュースなど滅多に観ないが、弥生と考えていることは同じだった。


「まぁ、探偵事務所ったって星の数ほどあるんだし、関わってる仕事がいちいちニュースネタになるほど大きくはないんじゃないかな」

「だよねぇ……私、お皿洗って来るね」


 弥生は手早く食器をまとめ、流しへ向かう。その姿がロッカーの陰に消えるまで見送り、一海はまたテレビに視線を戻した。


 十分程のニュースコーナーが終わり、夕飯のもう一品を紹介する料理コーナーの最中に速報が入って来た。テロップを読んだ一海は思わずソファから立ち上がる。



「火事だって?」


 しかしキッチンで皿を洗う弥生には聞こえなかったらしい。水音と小さな鼻歌が続いている。一海は胸騒ぎを抑え、ソファに座り直した。


 市の郊外にある特殊焼却施設が火事になり、現在消火活動が行われているというテロップは、料理コーナーの間中ずっと流れていた。


 カメラが切り替わると、先ほどのアナウンサーが緊張した面持ちで速報を読み始めた。やがて画面はヘリからの中継に切り替わる。もうもうと黒煙を上げる施設の映像が、遠くから映し出されている。



「これ、まさか……」


 傍らで緊張した声が聞こえ、一海はぎょっとした。いつの間にか弥生が戻って来て、一海のすぐそばに立ちテレビ画面を食い入るように観ていた。


「いや、市内とはいえ特殊焼却施設(あそこ)はここからじゃ少し遠いし、寧々さんたちがこういう事故や事件に関係あるとは思えないけど……」

 一海は否定するが不安は消せなかった。



 番組のレポーターの二人は、上空と地上から交互にレポートをするが、出火の原因もまだ掴めず、スタジオと現場のやりとりがだらだら続くだけだ。


「まだ混乱してて詳細がわからないみたいだな。これ以上観てても――」

 そう言って一海がリモコンに手を掛けた時、事務所の電話が鳴った。二人とも身を固くする。


 三回目のコールが鳴り終わった時、ようやく弥生が一海に問う。


「……寧々さんかカイルさんかな?」

 弥生は小声だった。一海もつられて小声で返しながらリモコンを取り、テレビを切った。


「だったらスマホに掛けて来るんじゃないかな……客だったとしても、俺たちが勝手に出ていい電話じゃないだろうし」


 コールは七回で切れた。しかしまたすぐ掛かって来ないとも限らない。

「そうだね――やっぱり落ち着かないね。帰ろうか」

「だな。そろそろ……ん?」


 静かになった部屋に、階段を上って来る足音が届く。


 ゆっくりと落ちついた足取りは聞き覚えのない歩調で、二人はまた緊張する。


「お客さん……かな」

「ポスティング……はないよな、やっぱ」

 そのまま通り過ぎてくれるように、と一海は願いながら囁く。


 しかし足音はドアの前でぴたりと止まり、ドアのすりガラスに長身の影が映った。トン、トン、というゆっくりしたノックの後、中の様子を窺うように影が揺れる。二人は息を飲み、無意識に身構えた。


 ――寧々さんが出て行く時、施錠は――いや、鍵を渡されたんだからしているわけがない。

 一海がそれに思い至った直後、ドアが急に開いた。



 そこには闇色のスーツの男性が立っていた。

 ひょろりと背が高く、かぶっている山高帽に気をつけないと入口の上辺を擦りそうなほどだ。以前階段ですれ違った、あの人物だった。


 カイルも黒づくめという点では同じだが、この男性のように葬式の帰りのごとき不吉さが漂ったりはしない。


 一海は固まった。弥生の表情は見えないが同様だろう。しかし相手は人がいることに別段驚きはしなかったようだ。

 ナイフで切り込みを入れたような細い目でゆっくり室内を見渡してから、ようやく二人に目を留め短く言い放った。



「他には」


 紙やすりをこすり合わせたように、酷くかさかさした声だった。


 一海は、それを声だと認識するのに少し時間が掛かり、つい訊き返す。

「――え?」


「他にはいないのでしょうか。きみたちだけですか?」

 男性は感情をまったく感じさせない平坦な口調で、かさかさと問い掛けた。二人とも制服のままなので、バイトの留守番にでも見えたのだろうか。


「あ、はい、あの」

「ふむ……留守番には仔猫が一匹。それと」



 細く、つり上がった目でじろりと一海に冷たい一瞥を送ってから、弥生を見る。


「ふむ、面白いことになっていますね?」


 男の視線に身震いしそうになるが、一海はかろうじて耐えた。シャツが肩甲骨の下辺りで引っ張られていることに気付く。弥生がそっと掴んでいるらしい――少しだけ震えているのも伝わって来る。



「あの、カイ、所長が戻りましたらご連絡を差し上げますので、ご連絡先を」


 一海は精一杯落ちついた声を出し、関係者であることをさり気なくアピールする。客だということにしておいた方がよかったのかも知れないが、この男には通用しない気がした。


「それには及びません。(たか)()()が来たと言えばわかるはずです」

 男の抑揚がまったくない平坦な口調は、まるでカイルたちが留守なことも知っているように聞こえた。


 電話を鳴らしたのもこの男なのだろうか。もっとも、内情を知っている人なら、カイルのバイクが近くに停まっていないことで気付くのかも知れない。


「そうですか。伝えておきます」


 一海の言葉に小さくうなずき、男は踵を返す。あとは見送るだけ、と一海が安堵した時「あぁ、そうそう」と言いながら男が振り返った。



「――今日はこれで帰りますが……お坊っちゃんにお嬢ちゃん、せいぜいあの化け猫どもに化かされないようにすることですね」


「なっ……」


 一瞬にして引きつった一海たちの表情を確認すると、高千穂と名乗った男は歯の隙間から息が漏れるような、耳障りな笑い声を残して帰って行った。


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