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Ⅹ-Ⅱ 二人の留守番と甘いケーキ

「ちょっとニコちゃん、それどういうこと?」


 通話相手に対する寧々の声が、急に険しくなる。

 と、それを聞いていたカイルが机をひょいと飛び越えて、寧々の隣に着地した。


 山積みの書類をいともたやすく――しかも椅子に座っている状態から――飛び越えてみせた突然のアクロバットに、一海と弥生が目を丸くして驚く。

 だがカイルは一海たちの反応など気に留めず、寧々から携帯電話(スマートフォン)を取り上げた。


「どこにいる日光。何が――そうか、まだそこにいるのか? あぁ、こちらは大丈夫だ。月光には?」

 カイルは壁に掛かっている時計を見上げる。


「……わかった。すぐ行く。なるべく急ぐ」


 そう言うと、カイルは携帯電話を切って寧々に放り投げ、コート掛けの上着をひったくるように掴むとドアに向かって駆け出した。



 事務所を出る瞬間、思い出したように振り向いてカイルは一海を指差した。


「あ、そうだ少年。アーケードより南の方面に、コンクリ工場や倉庫街があるだろう? あの辺は最近物騒だから、決して近付くんじゃないぞ」


「え? あ、はい」

 一海がわけもわからず目を白黒させて返事をした時には、カイルはもう階段を駆け下りて始めていた。

 彼の耳に一海の声が届いたかどうかはわからない。


「カイル! あたしはぁ?」

 寧々が階段に向かって叫ぶ。


 カイルが叫び返す声が聞こえたが、一海たちにはもう何を言ったのか聞き取れなかった。直後にバイクのエンジン音が聞こえ、すぐ遠ざかって行く。



「……えーと、急に飛んで行くんだからねぇ。困ったことになっちゃったなぁ」

 音が聞こえなくなってからようやく振り返った寧々は、不自然な笑顔で一海たちを見た。


「俺ら、帰った方がいいですかね」――どう見ても緊急事態みたいだし、俺らがここにいるとかえって邪魔になりそうだ。


「んー……あ、ちょっと待ってて」

 そう言って寧々は自分のデイパックをごそごそと探る。

「あった、これ」


 寧々の手には、六、七センチ四方の薄い箱と、それよりも少し細く長い箱がそれぞれ乗せられている。


「こっちはブレスレット。カズミンの。こっちはペンダントで、弥生ちゃんの」


「あの……?」

 箱を渡された弥生は戸惑っている。が、それは一海も同じだった。


 ――何も、今このタイミングで渡さなくてもいいじゃないか。

 そう考えていると、寧々が手を合わせながら言い訳を始めた。


「これね、実はカズミンから頼まれててさ。本当はこんな時じゃなくて、本人からちゃんと渡したかったと思うんだけど。ちょっとゆっくりしてる時間がなくなっちゃって。ごめんね。カズミンのはあたしから。どうせならペアルックっていうの? あ、今は死語だっけ。あはは」


 弥生はその説明で納得したのか、寧々の言葉に小さく何度もうなずいた。


 寧々は隙間ができたデイパックに、何やら細々とした物を詰め込みながら話しを続ける。

「あとあたし、急いでカイルを追っ掛けなきゃいけないから、これ以上お構いもできずに悪いけどさ、カズミンも弥生ちゃんも好きなだけゆっくりしてっていいから。あ、いっこだけ頼みたいんだけど、帰る時鍵掛けてってくれないかなぁ」


 そう言うとポケットから鍵の束を取り出し、丸ごと一海に放った。



「んで、ついでにこの鍵、しばらく預かっといて」


 鍵束を受け取るために、一海は思わず立ち上がる。


 じゃらん、と音を立てて手に収まった鍵束は、ずしりと重い。

 ざっと十本くらいある。どう見ても事務所のドアだけではなさそうなそれらを手にして、一海は戸惑う。


「あの、寧々さん?」

「じゃぁ……ほんとごめんね。また連絡する」


 少し寂しそうな笑顔で振り返った寧々は、デイパックを肩に掛けるともう一度「じゃ、ね」と言いながら手を振り、階段を飛ぶように駆け下りて行った。



 後に残された一海と弥生はしばらく無言でドアを見つめていたが、寧々が戻って来る気配はない。すりガラスの衝立は、カイルが出て行った時に脇によけられ、そのまま放置されていた。


「何だろうね……」

 弥生が恐る恐るという感じで一海に問い掛けるが、当然一海に知る由もない。


「探偵の仕事って、大変だなぁ」

 肩をすくめながら弥生に言い、鍵束をポケットにしまう。布越しに、ひんやりとした固い感触が腿に伝わる。


 寧々に、鍵束の重さ以上のものを預けられた気がして来る。



「ね、ケーキ、食べよ。一海くん」


 弥生が急に明るい声で言ったので、それどころじゃないだろう? と、一海は内心(いぶかし)しんだ。


「帰れって言われなかったのは、多分寧々さんが気を遣ってくれたんだと思うの。それで私たちがケーキやお茶を残して行ったのを知ったら、余計に気にするんじゃないのかな、って。だから食べよう?」

 その笑顔はぎこちない。弥生もやはり、寧々たちのことを心配しているのだろう。


 だから一海はうなずく。

「あぁ、そうか。そういう考え方もあるな」


 弥生は小さくうなずき、手招きしながらソファに座り直す。

「でしょ。食べ終わったら、食器も洗って行った方がいいだろうし」

「うん、そうだな」


 一海も弥生の隣に座り――心もち遠慮気味に隙間を空けてはいたが――早速フォークを手にする。その様子を見て弥生がにこやかに付け足した。


「と、いうわけで一海くん、洗うのお願いね?」

「俺かよ!」



 兎にも角にも、二人きりでお茶の時間が再開された。


 * * *


「ねえ、もらったアクセサリー開けてみようよ」


 ケーキを半分ほど食べた頃、弥生はそう言って一海をうながした。


 一海がチェシャーの包み紙をばりばりと破くと、真っ白で光沢のある、ぺたりとした質感の箱が現われた。そっと開けるとオパールに似た淡い虹色の石を連ねたブレスレットが入っている。


数珠(じゅず)みたいだな……」

 ぼそりとつぶやくと弥生が覗き込む。


「そういえばそういうタイプのお数珠も最近は見掛けるよねぇ。でもこれ粒が大きめだけどさざれ石で、丸い球じゃないから、お数珠とは違うと思うよ」


 一海は手のひらにブレスレットを乗せ、もてあそびながら弥生に問う。

「ふぅん? 丸くないと駄目なのか?」


 ひんやりとして、そこそこの重量感があるのは鍵束とも共通している。だがすべらかな感触の石には、ゴツゴツした角を持つ鍵とは違い、いつまでも触っていたいような、しっとりとした心地よさがある。


「さぁ、私もよくわからないけど。そういうのは坂上くんが詳しそうじゃない?」

 そう言いながら、弥生も手を伸ばして一海のブレスレットに触れる。



 時折その指先が一海の手のひらに触れる。いつの間にか二人の肩がぶつかるくらい近付いていたことに気付き、一海はにわかに緊張し始めた。


「どうかなぁ。あいつ、跡取りってわけじゃなさ、なさそ、うだし」

 声がうわずりそうになりつつも平静を装って一海は答えるが、もはや石の感触を味わう余裕はなくなり、呂律も怪しくなっていた。


「っつか、横峰のは? 開けないのかよ?」

 一海がそう言うとようやく、弥生は一海から離れて自分がもらった箱を手に取る。


 弥生の箱には、銀色の細い鎖と、繊細な細工に包まれた一粒の石からなるペンダントが入っていた。


 精巧で緻密な透かし彫りの台座と翼にそっと守られるように包まれ、はっきりとした意志を持って鎮座している存在感のある大粒の石は、一海のブレスレットと同じオパールめいた色合いだった。


 寧々が言っていたペアルックとは、この石のことだろう。



「……うわ、予想以上にきれい」

 弥生は感嘆の声を上げる。つられて一海もぼそりとつぶやいた。


「高そう……」


 それを聞いて弥生が苦笑する。


「もっとまともな感想言いなさいよ。自分で選んでないのバレバレよ」

「うっ」


 本当に、寧々は何故このタイミングで渡したか。頼まれたこととはいえ、急なシナリオ変更を一海は恨めしく思う。


「まぁそんなとこだと思ったけどね。一海くんが自分で選んでるところが想像できないし」

「うぅ……」


 一海は何も言い返せない。しかし弥生はほんのりと頬を染めて柔らかく微笑んだ。

「でも、ありがとう。嬉しい」


 社交辞令ではないその笑顔に、一海はちくりと胸の奥を刺された気分になった。弥生は、カイルたちの思惑をまったく知らないのだ。



「……いつか、今度は俺がちゃんと選ぶから」



 つい、そんな言葉が口をついて出た。言ってから一海自身も驚くが、今更取り消すこともできず「いや、あの」と挙動不審に陥る。


 弥生は一海の言葉に目を丸くしていたが、やがてくすくすと笑いだした。

「うん、期待してる。給料三ヶ月分くらいのお願いね」


 意外な返答に、今度は一海の目が丸くなった。


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