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余聞 スモックとジャングルジム

※園児の台詞はひらがな多用のため、分かち書きを使用しています。

 一海が通っていた幼稚園では、当時、海賊ごっこが流行っていた。


 黄色いスモックを着た年中組から年長組の『うみのおとこたち』が、毎日のように海賊と海軍に分かれて戦ったり、海賊のみ、海軍のみのごっこ遊びなど、そこかしこで伝説が生み出されていた。



 じゃんけんで勝った者から好きな役を取って行くルールだ。


 海賊ごっこではやはりなんといっても『せんちょう』が一番人気で、海軍ごっこでは『ていとく』が人気である。



 一海は当時から積極的にイニシアティブを取る方ではなく、またじゃんけんも強くはなかった。なので、概ね『てしたA』や『ひとじちC』辺りの役に収まっていた。



 何故かお姫さま役をさせられたこともあった。


 『かずみ』という名前や、ふわふわした髪と黒目がちな瞳という外見のせいだろうか。また、元から優しい性格だったので乱暴な役には向かない、ということもあったのかも知れない。



「なんで? おひめさまだったら、ノリちゃんとかいるじゃん! ぼくやだよ!」



 ある日、ビニールのシャカシャカしたテープで作ったドレス――という設定の、フラダンス用の腰みののようなもの――を渡され、一海は愕然とした。



「だって ノリちゃんは おままごと したいって いうから。かずくん かいぞくごっこだろ?」


 そう言って急かしたのは、その時じゃんけんで勝って船長役になった、やっくんだった。



「かいぞくごっこだけど、おひめさまは いやだ」


「え? だってこないだ シゲルくんが せんちょうのとき、かずくん おひめさま やったって いってたよ?」





 それはやっくんが風邪で休んだ時の話だ。


 シゲルくんは男の子には人気があるが、女の子にはイマイチ人気がなく、誰もお姫さま役を引き受けてくれなかった。


 不人気なのは、同年齢でも一回り大きい体格と、怖そうな顔のせいかも知れない。根はいいやつなのに。



「じゃあさ、かずみが おひめさまやれよ。かずみちゃんって よんでやっからよ」


 と、けいたがからかったので一度は怒って断ったが、シゲルくんがけいたに怒ってくれたので、「じゃあ、いっかいだけなら」と、嫌々ながら引き受けた。



 初めはちやほやされたものの、あっちこっちに人質として引っ張り回され、最後は「たすけてくれた かいぐんの せんちょうと ちゅーしろ」などと無理強いされ、結局一海は半べそで逃げたのだ。




 べそをかいたのは先生しか知らない話だが――それで、もう二度とお姫さま役はしない、と一海は心に固く誓ったのだった。




「ぼくもう おひめさまは ぜったいやらない。おひめさまなしで、ぼうけんでもいいじゃん」


 きっぱりと言い切った一海の意見で、それもそうか、と、やっくん船長はその日は海賊の冒険ごっこに変更した。




「どうせなら、うちゅうに いく かいぞくにしようぜ」


 船長の一言は絶対である。



 かくして、やっくんの『かいぞくうちゅうせん』は宇宙に飛びたち、宇宙人と戦った。子どものごっこ遊びというのは、まさに『なんでもあり』である。





 雨の日でも海賊は出港する。


 一海が通っていた幼稚園は構内の広さがそこそこあったので、室内の運動場も併設されていた。


 園庭ほどではないが不自由なく遊べる広さで、跳び箱や太鼓橋などもある。その上をサルのように飛び回って、海賊と海軍が戦闘するのだ。




 狭い用具室にはマットなどがあり、たまにそこで『しょけいごっこ』などという物騒な遊びもした。


 要は、敵の捕虜や海賊の裏切り者などが目隠しをして海に投げ込まれる、というシーンの再現だったのだが、これは目をつぶってマットに倒れ込むのがスリリングで人気があり、海賊役より処刑される側になりたがる子が多かった。




「つぎ おれな!」


「トモくん、さっき いっかい しんだじゃん。つぎ ぼくがしぬばんだよぉ」




 傍から見ると非常に物騒な会話だが――実際、時々先生たちに言葉などについて注意されていたのだが――当の園児たちはきゃっきゃと楽しんでいたのだった。



 * * *



 あの日も、やっくんが船長役だった。



 ちなみに一海は一度も船長をしたことがない。


 じゃんけんで勝っても、二番手だった友だちに譲ってしまうのだ。今回もそんな風にして、やっくんに船長の座を譲った。




「じゃあ クイーンマーチごう、しゅっこうだー!」



 うわーっと歓声をあげて、黄色いスモックの海の男たちがジャングルジムへ突進する。



 一海も一緒にダッシュしたが、前日の雨で園庭が少しまだ湿っていたのだろう。靴の裏に砂や土が詰まるのが気になった。


 この状態でつるつるしたタイルやジャングルジムに乗ると、滑りやすいのだ。



 一海はタイルの床で尻餅をついたことがあるので、靴裏の砂の恐ろしさ知っていた。


 園庭の飛び石ブロックに靴の裏をこすりつけ、改めて走り出すと、もう大半の乗組員はジャングルジムに登っていた。




 やはり一番早いのは身軽なやっくんで、さっさとてっぺんまで登り切り「かずくーん! おっそーい!」と両手を振って一海を呼ぶ。



「わ、まってよー」


 一海は慌てて駆け寄り、ジャングルジムに飛びつく。




 船長が名乗りを上げるまでに足が地面から離れていないと『のりおくれて』置いて行かれるルールなのだ。乗り遅れてしまうともうその遊びには船員としては参加できない。


 無人島にいるサルや、宇宙人や、人質という、超脇役しか与えてもらえない。



 だからみんな大急ぎでジャングルジムに登るのだが、一海が鉄の棒に足を掛けると、ジャリ、という音がしてまだ少し滑る。




 ――あぶないな……


 と思いながら慎重に足を掛けていると、頭の上では船長がボール紙で作ったの大振りの剣を振り上げて、既に名乗りを始めていた。



 当時の人気番組だか観たものを、各自アレンジして名乗りあげるのが、園児たちの間で流行っていたのだ。




「――われこそは、おおうなばらを かけ、ひきょうに たっする たいかいの あらわし、クイーンマーチごうの せんちょ――ぅゎわわわっ!」




 ジャリっ――という音と一緒に、慌てているやっくんの声がする。



 一海がはっとして見上げると、やっくんがジャングルジムのてっぺんから、一海に向かって落ちて来る。


 目を見開き、驚いた顔をして。




 一海も同じように目を見開いた――そして、やっくんに向かって、両手をめいっぱい広げた。




 ――周りの景色がぐるんと回る。



 * * *



 意識が戻ってもまだ景色がぐるぐる回っていた。


 どうやら一海は頭を打ったらしい。



 耳元で誰かが大声で泣いている。うるさいけれど、聞き覚えのある声だった。




「――なくなよ。おとこだろ? おとこがなくのは さいふを おとしたときだけだぜ」



 一海が泣くと、父の(けい)()がいつもそう言って笑いながら頭を撫でてくれる。


 だから一海もそう言って、やっくんの頭を撫でた。



 やっくんは起き上がったが「かずくんごめえええん!」と繰り返しながらボロボロ大粒の涙をこぼしている。



 頭か額を切ったのだろう、やっくんの顔の左半分は血まみれだった。

 だが本人は痛みよりも罪悪感の方が大きいらしい。



 一海は全身痛かったが、そんなやっくんの様子を見て、元気づけるために微笑んだ。めまいはやっくんの顔を見たら治まったようだ。




「せんちょう、せんちょうが ないてたら、みんな こまっちゃうだろ? いつもみたく、かっこいい めいれい、してくれよ」



 笑うと頬や口元が痛い。そっと顔に触れた自分の手を見ると血が付いていた。一海もどこか切っているようだ。


 ただ、顔は身体ほどの痛みを感じない。



 何よりも、いつも元気ににこにこしているやっくんが、自分のせいで泣いてるのを見る方が、幼心にはつらかった。




「わかった! おまえ、ぼくの ぶかなら、ぜったいにしぬなよ! せんちょうの めいれいだからな! せんちょうの めいれいは ぜったいだぞ!」



 びゃあびゃあと大泣きながら一海に命令を下し、血まみれのやっくん船長は保健の先生に連行されて行った。




 ジャングルジムのてっぺんから落ちたやっくんが、血まみれとはいえあれだけピンピンしているのだ。下段から落ちた一海が死ぬわけはないのだが――


 『しぬなよ』と言われた途端に重症を負っていたような気分になり、そのまま一海は気を失った。



 * * *



 落ちた時に頭を打ったので検査をしたり、捻挫が治るまで数日休んだりした。



 だがその直後に母と一海は事故に遭遇し、一海の周辺は一層慌ただしくなる。


 幸い一海は軽傷ですんだが、園まで送り迎えするような人手もなく、自宅でひとり留守番させられることが増えた。




 葬儀を済ませた後には父の仕事の都合で自宅も引っ越し、幼稚園から保育園に転園することになった。



 やっくんやシゲルくん、その他の友だちや先生たちにもろくに挨拶できないままでの転園だった。


 当然、幼児の一海には連絡先交換などという知恵もなく、それから今まで、幼稚園の頃の友だちとは連絡を取ったことがない。




 事故の精神的ショックが大きかったためか、その後の約一年半の一海の記憶は曖昧で、ずっと夢の中で過ごしていたような様子だった、らしい。



 一海自身、思い返してみても、小学校二年生までのことはあまり覚えていない。


 友だちの顔や名前も、楽しかったことすらも、すべてを封じ込めて曖昧にしてしまったようだ。


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