Ⅸ-Ⅳ 一海の噂と一海の気持ち
* * *
「大丈夫だったか?」
教室に戻ると鳶田が開口一番、心配そうな表情で訊いて来た。
「何が?」と問い返しそうになったが、出しっぱなしの弁当箱が目に入って思い出す。
「お、おう。図書館行って来た。なんか、図鑑の整理だか頼まれて……」
弥生は図書委員ではないが、司書や図書館に出入りしている教師数人と親しくしているのはクラスメイトの大半が知っていた。
ついでに――事件そのものがデマらしいが――長浜が広めた『誘拐事件の後、図書館登校をしていたことがある』という噂の効果もあり、屋上エスケープの話を知らない生徒には、横峰弥生といえば図書館、という印象を持つものも多い。
当然、鳶田も知っている話だったので、一海のその言い訳を疑いもしなかった。
「そんなん、図書委員に頼めばいいのにな?」
「そうだな……でも、うちの図書委員って誰だったっけ?」
「あ――そういや鷹野と俺だったわ。図鑑かぁ……横峰とかぁ……じゃあやっぱり木ノ下にお願いしとくかなぁ」
「お前なぁ……まぁ、お前ってそういう奴だよな」
一海は一瞬だけ焦ったが、弥生を苦手としている鳶田と、先日の件でまだぎくしゃくしているであろう鷹野がそうだったのなら、この言い訳は今後もそれなりに通用するだろう。
予鈴まであと十分弱、一海が弁当の残りを急いでがっついている間、鳶田や坂上たちはまた噂話に花を咲かせていた。
「お前ら、ほんといつも女子の話とかで盛り上がるんだな」
一海は苦笑しながら唐揚げを箸でつまむ。普段は女子たちの噂話に辟易しているくせに、男子は男子でやはり噂をするものなのである。
坂上も鳶田も彼女持ちなのに、他の女子についてもあれやこれやと言及する癖がなかなか抜けない。坂上はそのために、彼女と喧嘩をしてしまったこともあったと聞くが。
「またまた、木ノ下だって最近はこういう話に混ざれるんじゃないのぉ?」
坂上の言葉に、一海はどきりとする。坂上には言い訳が通用しなかったのだろうか、と内心焦り、唐揚げを詰まらせそうになった。
「え、なんだよそれ。食ってる時に変なこと言うなよ」
心外だとばかりに反論するが、語尾が裏返りそうになった。坂上はにやりと不敵な笑みを浮かべながら一海に近付いて囁く。
「こないだ俺、木ノ下が女子と一緒にチャリ乗ってたって噂を聞いたぜ? 西杜の方で」
「何それ。二ケツってやつ? 夏色じゃぁん、リア充じゃぁん」
鳶田が目を輝かせる。しかし一海は二人乗りなどした覚えがない。
「……いや、それ人違いじゃないか?」
心臓がばくばくしているが、身に覚えがないのでさすがにあっさり否定できた。
しかしほっとする間もなく坂上の言葉が追い討ちを掛ける。
「二ケツじゃねえよ。女子もチャリ乗ってたらしいし。暗くて顔まではわからなかったって話だけど、なんか楽しそうに喋ってたらしいぜ」
一海の心臓が更にドクン、と大きく鳴った。
――誰かに見られていた?
女子と一緒にいたからといって、それ自体にやましいことはないが、でも一海にはショックなできごとだった。
しかもクラスメイトにまで噂が伝わるとは……望んでいた平和な高校生活が危うくなる。
最悪の事態だけは避けたかった。うっかり長浜辺りが耳にしたら、面白おかしく尾ひれをつけてばら撒かれること間違いなしだ。
「なぁんだ。それなら尚更人違いだろ。空気系の木ノ下が女子と楽しく喋るなんて、まじ想像できねえ」
一海の心中を知ってか知らずか、鳶田がのんびりと否定する。一海はなるべく軽く聞こえる口調で鳶田に言い返した。
「俺、鳶田ん中ではそんなキャラ? っつか、どんだけ女性恐怖症なんだよ」
「いや、ってゆーか、女子には話ベタ? みたいなイメージ? なんだかんだ喋る機会が多い横峰にも、未だに怯えてる感じがするしさぁ」
鳶田は苦笑しながらフォローにならないフォローを入れる。やっぱりか、という予感はしていたが、それでも探るような言い方ではなかったので、そこはあえて否定せずアルカイック・スマイルで受け流す。
さっき怯えてたのは、あの目で威圧されていたからというだけなのだが。
しかし坂上人差し指を立てて話を続けた。
「あと、金髪のギャルと一緒にいたって噂もあるぜ」
「まじか。そっちの方が興味あるわー俺。金髪ギャルなんてこの辺いねーじゃん。どこでよ? やっぱ西杜エリア? ゲーセンとか?」
どうやら坂上のその口調は、噂の信憑性を疑っているようだった。つまり一海をダシに盛り上がりたかっただけらしい。一海はそう判断する。
金髪ギャル――寧々のことだろうが――と一海の組み合わせは、寧々に出会っていなければ、一海自身にも信じがたいものである。
「お前ら、俺の噂を勝手に捏造するなよな。ってか、ギャルとかもう死語じゃねえかよ、おっさんか」
おっさんと呼ばれた坂上は大袈裟な仕草でため息をついた。
「何だよ、折角話に混ぜてやろうと思ったのになぁ」
「混ざんなくてもいいんだよ。聞いてるし。お前らの話、くだらないけど面白いからよ」
「くだんないって酷くねえ?」
今度は鳶田が口を尖らせる。しかしこの程度の軽口は日常茶飯事なので、自身もくだらないと言われた坂上が笑いながら鳶田を諌めた。
「まあまあ、落ち着け鳶田。木ノ下は俺らより純情なんだよ。許してやれよ」
「純情とかじゃねえよ。ただまぁ、集団の女子はやっぱ怖ぇよな。長浜とか、俺、あいつらには嫌な記憶しかなくてさ……」
つい、ぽろっと言ってしまってからはっとする。だが鳶田たちはきょとんとしていた。
「あ、いや……えっと」
「それな。わかるわー。俺もあいつ嫌いだし」
一海が自身の発言に言い訳しようとしたのを、鳶田は構わず同意した。
「ってか、長浜って木ノ下にまで嫌われるくらい酷え奴だったんだ、って今再認識したわ。木ノ下って他人のこと滅多に悪く言わねえじゃん」
坂上も続けて同意する。守屋もしみじみとうなずいていた。
* * *
予鈴が鳴り、なんとなくそのまま解散になったが、隣の席である鳶田だけは授業が始まってもまだ、「いやー、木ノ下が本音喋ってくれるとか、なんか嬉しいなぁ」などと、むずがゆくなりそうなことを言っていた。
「うっせーよ。俺、どんだけ心閉ざしてるイメージなんだよ」と、一海は笑いながら返しておいた。
実際、女子の集団に対してそんな風にマイナスイメージでしか考えられないから、未だに『モテない』やら『空気系』やらのレッテルを貼られているのかも知れない。
一海は、微妙な嫌悪感を持ってしまう自分に罪悪感を覚える。
――別に、女性そのものが嫌いなわけじゃない。いいなと思う女優やアイドルもいるし、まぁ、可愛けりゃどきどきするし、迫られれば困惑しながらもちょっと嬉しい……いや、嬉しいというかなんというか。うん。
ふと、弥生に視線が向く。やはり姿勢がいい。今日もすました顔で課題に取り組んでいる。
一海から弥生に、なりゆきとはいえ「付き合おう」と言ったは言った。だが、その後お互いまだ一度も「好き」などという言葉を交わしたことがないのだ。
これを『付き合ってる』と言っていいのか、こんな中途半端な状態で言ってしまっては弥生に悪くないのか。
弥生のことは嫌いではないと思っている。一緒にいて楽しい、可愛い、と思うこともある。だがそれを『好き』だと言っていいのだろうか。
一海はそこに折り合いをつけられないで、ずっと悩んでいるのだ。
同じような好意なら、寧々に対してだって――そもそも、寧々は親戚なのだから、また違う感情なのかも知れないが――それをすべて同じ『好き』で表せるのかどうかが、正直なところわからないのだ。
「……っあー、わかんね」とつい口に出して言ってしまい、教室中の注目を集めてしまった。数学の教師もびっくりしている。
「木ノ下……お前でもわからない問題があるのか? どこだ?」
「あ――いや、大丈夫です。わかりました。すみません」
愛想笑いで謝ると、心配そうな表情で「そうか……質問があったら遠慮なく言うんだぞ?」と返された。