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Ⅸ-Ⅲ 図書館の匂いとヘビの図鑑

 * * *


 中庭をずんずんと突っ切って行く弥生の足は意外に早い。


「ちょっと待てよ。一体なんなんだよ? っつーか、今日は屋上じゃないんだ?」


 脇腹を押さえながら一海はようやく追い付いた。


 弥生は足を止めずにちらりと一海の顔を見る。その視線を脇腹に一瞬落としたが、またそのまま前を向いた。



「図書館の、図鑑コーナーは……この時間なら人が少ないから」


「え? ひと、人がって」


 何故かどぎまぎする一海。



「屋上、今日は消火設備の点検で人がいるの」


 ぼそりと続け、弥生は足早に中庭を抜け、レンガ造りの建物へ入る。





 赤いレンガに緑色のトンガリ屋根という可愛らしい建物が、高校の図書館棟だった。


 図書館自体にあまり縁がない一海は、弥生に続いて通りながらきょろきょろと館内を見回す。中庭から直接図書館に入れるドアがあることも、一海は知らなかった。


 建物内の空気は古い紙の匂いが漂う。そしてひんやりと心地いい。




 弥生は本棚が林立している館内をすぐ右手に曲がった。



「こっち」



 棚の向こうに消える瞬間、手だけ見せて招く。一海がついて行くと、少し奥まった所に図鑑や百科事典らしき揃いの背表紙が並ぶ棚のコーナーに行き当たった。



 二メートル以上ある書架が林立し、上から下まで分厚い背表紙が並ぶ。



「うわ……こんだけ並んでると別世界だなぁ」


 という感想に対し、「そう? 図書館としては中規模よ」と、まるで自分の所有物を謙遜するかのように弥生が答える。



 五センチ以上あるような図鑑が上段にあるのを見つけ、「あれを出す時は用心しなきゃ、うっかり殺人事件が起きそうだ……」などとつぶやいていると、弥生少し離れた場所で苦笑した。



「一海くんは、もう少し本と慣れ親しんだ方がいいんじゃないかしら」

「……悪かったな」



 ――あれ? 名前で呼んでる。


 と、一歩遅れて一海が気付いた時に、弥生は一冊の図鑑を手に近づいて来た。厚さが七センチ近くもあり、弥生には重そうだ。



「手伝おうか?」


 何がしたいのかわからないが、女子に重そうな物を持たせておくのは男子として如何なものか。と、一海は手を差し伸べる。



「あぁ、うん、でもここでいいよ。ちょっと見て欲しいの」


 弥生は図鑑を渡すが、何故かその場にぺたりと座り込む。テーブルまで運ぶつもりだった一海は拍子抜けした。


 図鑑を渡されたのは弥生が気を遣ったのか、単なる嫌がらせか。



「調べものならさ、テーブルのが……って、これヘビとかの図鑑じゃん。横峰、こういうの好きなん?」



 図鑑を床に置き、弥生と挟むような位置で一海も胡坐をかいた。『爬虫類』という表紙を見て今朝のヘビを思い出し、小さく身震いする。



「好きでも嫌いでもないけど。ちょっと気になるの。一海くん、今朝誰かにメールしてたでしょ。寧々さん?」


 図鑑の前に両手をつき、そのまま睨むように見つめて来る弥生。ゆうべ見た夢のようで、一海は弥生の視線にうろたえた。



「そう……だけど、なんで」――なんでこいつが、そんなこと知ってんだ?



「教室の辞書使ってて、戻そうと思って通ったら、たまたま見えただけ」

「見えただけ、って」


 辞書が置いてある棚は(とび)()や一海の丁度後ろにあるが、一海たちの方を見ていなければ、何をしていたのかわからないはずだ。



「遅刻ぎりぎりで入って来るし、やけに慌ててるし、何かあったのかと思うじゃない……」



 一海の考えを読んだかのように、一瞬だけ弥生が困ったような顔をする。



「そ、うなんだ」


 心配されたのか。一海はそう思い至り、浮ついた声を出しそうになった。


 だが弥生はすぐにまたいつもの無表情に戻り、図鑑をゆっくりとめくり始める。



「で、ヘビって見えたから、一海くんがそんなに慌てるのはどんなヘビなのかなぁ、って」


「いや、別にヘビで慌ててたわけじゃ」



 一海の視線が泳ぐ。弥生はその様子に咎めるような鋭い視線を向けた。



「じゃあ何故さっきから目を()らしてるの?」


「逸らしてるわけじゃ」

「逸らしてるじゃない」


 弥生は図鑑に手をつき、一海の顔を覗き込もうとした。



「っつーか、その、目の前でとんび座りで両手ついてて、そんな風に見つめられたりしたら……あれだ。困るし」


 慌ててそう言うと、一海は咳払いをして横を向いた。



「え?」



 ――こいつわざとやってんじゃないだろうな……


 一海は横目で弥生の表情を盗み見ようとしたが、弥生の真っ直ぐな視線に捕まってしまった。


「変な言い訳してないで、何があったのか教えなさいよ」




「言い訳じゃねーよ。っつーか横峰、そういう格好(ポーズ)すんな。俺の前でもあれだけど、他の奴らの前では絶対するな」




 思わず言い切ってしまった一海だったが、弥生はきょとんと目を丸くする。


「それどういう意味(こと)?」



 ――あああ何言ってんだ俺。


 一海は赤面し、がりがりと頭をかく。



「えっと――あ、それから、人のスマホは見せられてもいないのに見るな」

 思い出して付け足す。



「何故よ。見られたら困るような内容なの?」

「そうじゃねーけど」

 一海はため息をつく。



「横峰はスマホ持ってないから知らないだろうけどさ、まず、人の手紙とかを勝手に見るのはマナー違反だろ? それと同じで、スマホを使ってる人に対してのマナーとして覚えておけっての……俺のだったからよかったけどさ」



「……そう。わかった。覚えておく」


 さっきまでの尖った視線が消えて、弥生は少ししゅんとする。



「で、何なんだよ?」

 と、一海が改めて訊くと、


「どんなヘビだったのか知りたい」



 そう言った弥生の表情は真剣だ。しかし、たかがヘビにそこまで興味を持つとは、一海には意外だった。



「何でだよ。あれか、最近流行(はや)りの爬虫類女子か」

「知らないけど、そういうのが流行ってるの?」


「いや……」



 冗談のつもりがそう返されると立つ瀬がない。一海が口ごもってると、弥生がまた顔を覗き込んで来た。



「やっぱり、誤魔化さなきゃいけない何かがあったのね?」

「ちげーし、ってか近っ」



 一海は()()る。しかし弥生は更に迫って来る。


「じゃあ照れてるの?」

「そ、それもちがっ!」


 反射的に一海が否定すると、弥生は自分の口に人差し指を当てて囁いた。



「しー、静かに。ここ図書館だよ?」

「誰のせいだ……」


 一海はぐったりとうなだれる。



「なんか意味もなく疲れたよ。まぁいいや……ヘビな。俺が見たのは黒いので、こんくらいの長さで、なんつーか、ヘビってイメージよりもっと太かった。メタボってたっつーか」



「黒ヘビ……」


 弥生の表情がこわばった。



 図鑑をものすごい速さでめくりだし「こんなの?」とあるページを指す。



 そこに写っている黒ヘビは、頭部の鱗が大きめでつるりとしたつやがあり、つぶらな瞳と形容したくなるような愛くるしさもある……といえばあるかも知れない。



「おー、まぁこれを全体的に太らせたような感じだったかな。あと頭の辺りはこんなだけど、目は黒じゃなくて――」


「赤、でしょ?」



「うん? そうだけど。よくわかったな。何か珍しい種類のヘビだったりするのか?」



 ほんとに爬虫類女子かも知れない、と一海は考えた。弥生は答えずに話題を変える。



「寧々さん、メールの返事、なんて?」

「あれ? そういや来てないな」



 携帯電話(スマートフォン)を出した一海は、画面を見て慌てた。


「忘れてた。電源切ってたんだ俺」



 携帯電話の電源を入れると、早速メールのマークがちかちかと点滅を始める。



「やっべ……五通も来てる」


 履歴を確認しながら一海はつぶやく。


「うわ、留守電も入ってるよ。とりあえず返信しとかないと、また後から何言われるか……」



「今日も寧々さんのところに行くの?」



 弥生は一海の指がせわしなく動くのを眺めながら問い掛ける。一海は顔も上げず、メールを打ちながら答えた。



「そうなるかなぁ……いや、寧々さんとこってか、カイルさんとこだけど」

「……私も行く」



「へ? なんで?」


 思わず手が止まり、一海は顔を上げる。弥生は口を尖らせた。



「なんででもいいでしょ。私が行っちゃいけない理由があるの?」

「ないけど。門限とかいいのかよ」


「連絡しておけばいいのよ。今日はちゃんと公衆電話から掛けるから大丈夫」



 弥生の口振りからして、それほど厳しい門限ではなさそうだと一海は思った。そしてまた画面に視線を戻す。



「そっか。大丈夫なら俺はいいんだけど――」

「うん。彼氏とデートするから遅くなる、って」


「ちょちょっと待てっ!」



 一海は小声ながらも全力で突っ込んだ。


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